第1話(3) 契約
「……さて、取り残されてたのはあの二人だけか?」
ヴィクトールが二人に質問をしていた間に見回りをしていた三人に、スオウが尋ねる。
「ああ。このあたりを見回ってきたが、他に人はいなかった」
あと一人の班員、ヴィルヘルム・ヘルツバリがそう報告した。
「よし。それなら先に進もう。このあたりから先は天使に占拠されているらしい」
スオウがそう言うと、班員の四人は真剣な面持ちで頷き、そして再び、襲撃の最前線の方へと走り出した。
スオウたちはその数分後、天使たちと戦闘状態に入った。
「はあっ!」
ヴィクトールの声とともに、天使たちは胸のあたりで胴体が分離する。
「せい……!」
ベルトランが叫び、彼の持つ大剣を天使に向かって振り下ろす。天使の体は中央で分かれ、そのまま崩壊した。
「はっ!」
ナターリヤはアサルトライフルのような銃を構え、床も壁も関係なく駆け回り、天使を殲滅していた。
「せああ……!」
スオウもまた、跳び、蹴り、駆け回り、その手に持つ剣を振るっていた。
「はあっ、はあっ…………あと、どれくらい残ってる……⁉」
二十分は動き続け、目前の天使を殲滅した後、スオウはアザゼルにそう尋ねた。
――…………まだまだ、一割も減ってないな。やっぱり奴らは長期化させるつもりなのか、もしくは別の目的があるのかはわからんが。
アザゼルは学校周辺を索敵してそう言った。
「マジか……三十体は倒したはずなんだが…………」
スオウは唸ると、体力が切れて座り込んだ。
――おい、ここはもう奴らのど真ん中だ。座り込むな、死ぬぞ。
アザゼルは半分ぐらいは本気だという声で注意した。
「わかってるよ…………ッ!」
アザゼルに言われ、スオウが立ち上がろうとしたとき、スオウたちがいた近くで、けたたましい破砕音と土煙が起こった。
そして破砕音は急速にスオウたちに近付いていた。言うまでもなく、天使の攻撃によるものだ。
「みんな、避けろ!」
ベルトランが焦って叫んだ。冷静に見れば、言っていることは滅茶苦茶だ。
しかし、まだまだ経験の浅い彼らには、第二次エルサレム防衛戦のときのハルカやカイのような、飛来物を直接砕く、または叩き落とすなどという芸当は不可能に近かった。
「ヴィック、後ろだ!」
急いで立ち上がったスオウが、ヴィクトールに向かって叫んだ。
彼の後ろから大量の剣が、一列に降り注いできたのである。このまま行けば、近くにいるナターリヤも危ないだろう。
さらにその上を見れば、大量の天使たちが待ち構えていた。この剣の雨をしのいだところで、彼らの命は危ないままだ。
スオウは走り出す。スオウとヴィクトールとの間は約十三メートル。対して降ってくる剣の方は、あと数秒でヴィクトールの頭を貫くだろうというところまで来ていた。
ヴィクトールはスオウの叫び声を聞いて振り返り、そして降ってくる剣の雨を避けようとするが、到底間に合うとは思えない。
それを察したか、彼の契約悪魔は障壁を張り、剣の雨を防ごうとした。
「間に合わないっ……!」
ベルトランが叫ぶ。
もっと……もっと速く…………! スオウが、加速する思考の中でアザゼルに向かって叫ぶ。
「もっと、力を……力をよこせ、アザゼル……!」
スオウは声に出してそう叫んだ。
――……良いぞ。
一瞬の沈黙の後に、ポンと発された言葉。そしてその直後、スオウの視界は真っ白な光に包まれた。
「ぐあっ……」
スオウの体は、突如謎の白い空間の床に叩きつけられた。
「……それで、お前はオレに『力をよこせ』と言ったか」
アザゼルが腕を組み、地面にうつ伏せになっているスオウを見下ろしながら言った。
「ああ……そしてお前は、『良いぞ』と言った。そうだろう!」
スオウは立ち上がり、そう言い返した。
「そうだな。その通りだ…………では、一つ訊こう」
アザゼルは組んでいた腕を解くと、その胸の前あたりで右手の人差し指を立てて言った。
「お前は今、何のために力を欲している? 最初に言った復讐のためか?」
スオウは即答する。
「違う」
「では、何のためだ」
アザゼルは重ねて質問した。
「それは……守るため…………あいつらを助けるためだ……!」
スオウは、アザゼルの目をしっかりと見据えながら言う。
「そうか……なるほど。『守る』と出たか……」
スオウの言葉に、アザゼルは若干の笑みを浮かべた。
「…………よし。オレの全力、お前に貸してやることにしよう。この剣を抜いて、オレの名を呼べ。お前の仲間を助けてやる」
アザゼルは一本の剣を、スオウの前に放り投げて言った。
その剣は、スオウの目の前で空中に停止した。
スオウはその剣の鞘を握ると、グリップに手をかけて引き抜いた。
徐々に光が薄くなり、アザゼルの輪郭も消え始めたとき、彼は叫んだ。
「頼む、アザゼル…………!」
そして次の瞬間、スオウから光が溢れ、彼を中心とした光のドームが広がっていった。
そのドームの半径は十五メートルまで大きくなり、そしてフッと消えた。
その中心にはやはりスオウが立っていて、彼らを取り囲んでいたはずの天使たちは、跡形もなく消滅していた。
「……行くぞ、アザゼル」
――おう。お前の期待には応えてやるよ。
スオウが呟くと、アザゼルはそう言ってニヤッと笑った(ような気がした)。
スオウは腰を下げ、足に力を入れて飛び出す。
「はあーー!」
そして勢いそのままに飛び上がり、彼の宿天武装の軌跡は空中の天使を捉えた――それも、一気に二十体を。
スオウはそのまま壁に張り付き、そして壁を蹴って再び空中に出た。
「アザゼル、あと何体だ!」
――……あと一〇二! ここから見えてる、あの集団だ!
アザゼルはスオウの質問に返答する。
「了解……教官、スオウ・アマミヤ、そちらに向かいます……!」
スオウは、現在位置から二百メートルほど離れた場所に天使の集団を確認すると、教官たちに対して無線を飛ばした。
『アマミヤ……⁉ 気をつけろ! こっちは数が多い!』
応答した教官は、そう喚起した。
「わかっています……!」
そう返答してスオウは、
天使たちの中に着地したスオウはすぐに動き出し、動作が追いついていない天使たちを次々と切り伏せた。
その動きはまさに鬼神のような……悪魔のような戦い方であった。
しかし、天使たちの動作が追いついていないのと同様に、スオウの意識もまた、その動きに付いて行けていなかった。すなわち、ほとんどアザゼルだけが動いていたのである。
――逃がすか……!
スオウの……いや、アザゼルの攻撃を受けて、撤退を図ろうとした天使たちをアザゼルが追いかけると、氷に熱した釘を打ち込んだかのように天使たちは崩壊していった。
あまりの大損害に作戦失敗と判断したか、天使たちは次々と消滅……ワープだろうか……していった。
ここに、この襲撃は終結したのである。
――……終わったぞ、スオウ。オレの全力を耐え抜くとは、なかなか見込みがある。これからもよろしくな、我が契約者。
アザゼルが、呆然と立ち尽くすスオウにそう言ったが、スオウにそれを聞くだけの気力は、もはやなかった。
次の瞬間、スオウは気を失い、地面に倒れた。
教官たちが、スオウの名前を呼びながら駆け寄ってきていたような気がした。
奇跡的に襲撃を免れた医務室。一人の学生……スオウがベッドに横たわっていた。
「うっ…………」
スオウはそう唸り、目を開く。
「ここは……?」
「医務室だ。全く、無茶しおってからに……」
スオウに、ベッドの隣に座っていた教官が言う。
「教官……? 襲撃は、終わったんですか……?」
スオウはまだ少し薄い意識の中で尋ねる
「お前が終わらせたんだ。記憶が無いのか?」
スオウは必死に記憶をたどる。
「あ、ああ……思い、出しました……確かアザゼルが……」
スオウはそこまで言って、意識が完全に覚醒した。
ハッとした顔で言った。
「そうだ、みんなは⁉ あいつらはどうなりましたか⁉」
ここで彼の言う「あいつら」は、彼の班員のことであろう。教官は安堵のため息を吐くと、扉に向かって言った。
「お前たち、入ってきていいぞ!」
すると、医務室の扉が開き、そこからスオウの班員四人が入ってきた。
「お前ら、無事だったんだな……! 良かった……」
「『良かった……』じゃねえよ。お前がぶっ倒れて、俺たちがどれだけ心配したと思ってんだ!」
ベルトランが叫んだ。
「まあまあ、落ち着け……何はともあれ、君が無事に目を覚ましてくれて嬉しいよ、スオウ」
そのベルトランをたしなめながら、ヴィクトールは言った。
「本当に、仮にも班長なら、班員に心配をかけさせるようなことはするべきじゃない」
ナターリヤが、スオウを睨みつけながら、しかし冷静にそう言う。
「
ヴィルヘルムがナターリヤを指差しながら、彼女に続けて言った。
「みんな……ごめん」
スオウはベッドの上で上半身を起こし、そう謝った。
「おう、いいってことよ」
「やれやれ……」
「まったく……」
「ははは、あまり気にするなよ」
ベルトラン、ヴィクトール、ナターリヤ、ヴィルヘルムがそれぞれの反応を返す。
「……それにしても、スオウが倒れて一番取り乱してたのが、普段は冷静沈着なナターシャだったのは意外だったね」
ヴィクトールが、ナターリヤを見て、少し微笑んで言った。
「そっ、その話は、しないで……」
ナターリヤは顔を赤くしてそう言った。
「ス、
ナターリヤはさらに顔を赤くした。
しかし、ナターリヤを正気に引き戻す出来事が起こった。
「スオウが目覚めたって本当か⁉」
リッカルドが、医務室に飛び込んできたのである。
ナターリヤが反射的に、リッカルドを殺気が込められていそうな目で睨む。
「おいおい、そう睨まないでくれ……」
リッカルドは半歩後ずさりをしたが、すぐに持ち直してスオウの近くに来た。
「いやー、お前が倒れたって聞いたときは驚いたぜ……もう大丈夫なのか?」
リッカルドは尋ねる。
「あ、ああ。多分な」
「そうか、そりゃ良かった……」
リッカルドもまた、安堵のため息を吐いた。
「……よーしお前たち、もう課業に戻れ。アマミヤ、お前は、今日一日は安静にしていろ。三日間寝込んでいたとは言え、お前はまだ万全じゃない」
教官がリッカルドたち五人を連れて医務室を出るときに、振り返ってそう言った。
一人残された医務室のベッドの上でスオウは呟く。
「俺、三日間も寝てたのか…………アザゼル」
そしてスオウは、アザゼルを呼んだ。
――やっとお目覚めか、スオウ。
アザゼルはため息を吐きながら言う。
「お前、この前言ったこと忘れてないよな?」
スオウはそのアザゼルに、そう確認した。
――もちろんだ…………お前が、
「……わかった。復讐のためには力を貸さないって言いたいんだろ?」
――いや? 別に復讐したいならすればいい。それはオレの預かり知らぬところだ。ただ、その気持ちを忘れるなってことだよ。
アザゼルはそう言って、会話を終えた。
結局、抵天軍はこの襲撃で、第一管区兵学校の校長、教官合わせて五名と、学生十二名を失った。
天使たちの目的はついぞわからなかった。
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