第13話
「お邪魔します」
「あ! 真白ちゃんいらっしゃい!」
真白さんが来ると、母さんはとてもご機嫌になった。
「すいません、頼子さん。最近、毎日のように来てしまって……」
「なに言ってるのよ。水臭いわね。真白ちゃんなら大歓迎よ。むしろ蒼汰の代わりにうちの子供になって欲しいくらいよ」
「それ実の息子の前で言う?? 言っちゃう??」
「あれ? 蒼汰、あんたいたの?」
「いるよ!? なんで僕がついでみたいなの!?」
「あはは……」
真白さんは困ったような愛想笑いを浮かべた。
部屋に入ってから、僕は謝った。
「いや、ごめん……うちの親って本当に適当だからさ。好きな作家があんなんで幻滅したんじゃない?」
「ううん、そんなことないよ。頼子さん、すっごくいいお母さんだと思うよ」
「そうかな……?」
「うん。それにソータくんと頼子さん、すごく仲良いじゃない」
「……仲が良い?」
……はて?
そうなのか?
人からはそう見えるのか?
僕は本気で首を傾げてしまった。
「……正直、ちょっと羨ましいな。うちとは大違い。わたしとお父さん、顔合わせたらすぐに喧嘩しちゃうからさ」
「……真白さん」
「って、ごめんね。つまんない話して。ほら、それより〝例の計画〟の話しようよ」
と、真白さんが急かした。その様子はやっぱりクリスマスの子供みたいだった。
思わず苦笑がもれた。
「そうだね。そうしようか」
例の計画。
それはもちろん、北海道ツーリングのことだ。
正確にはキャンプツーリングだけど。
ぱかっ、とノートパソコンを開いて、北海道の地図を表示させた。
そこには青い線が走っていた。
それは地図上に僕らが引いたルートの線だ。
つまり、これが〝計画〟そのものというわけだった。
「控えめに言って、このルート完璧じゃない?」
「……真白さん、実は非常に言いにくいんだけど」
「え? なに?」
「このルートは現実的に無理だ」
「ええ!? 何で!?」
「これさ、走行距離4000キロになってるんだよね。これだとほとんど一日に400キロ走ることになるんだけど、それってできると思う????」
「え? 走ればいいんじゃない?」
きょとん、とした顔で真白さんは言った。
……マリーアントワネットもこんな感じだったのだろうか。
「……まぁ頑張ればできなくもないとは思うけどさ、それだとひたすら走るだけの旅になっちゃうよ? 観光なんてまず無理かな……」
「え!? そうなの!?」
「それに僕らはキャンプで移動することになるから、せめて夕方にはキャンプ場に到着してた方がいい。宿なら暗くなってから到着してもいいけど、キャンプは設営があるからさ。暗くなってからの設営はかなりしんどいんだよ。それに僕のバイクって90ccだしね。そういうのを考えたら……まぁ一日あたり頑張っても200キロくらいにしといたほうがいいかな」
「なるほど……そんなもんなんだ……」
「後これも言いにくいんだけど……」
「え? なに?」
「函館は日程的に厳しいから行けないかな……」
「ええ!? 函館いけないの!? 100万ドルの夜景は!?」
「そもそも日程が14日しかないからね。移動日も考えたら、実質北海道にいられるのは12日くらいだから」
「も、もっと伸ばせないの?」
「それ以上はお金が……」
「あ、うん、ごめん……そうだよね……」
少しだけお通夜みたいな空気になってしまった。
「ここから北海道に行くのって、まず大洗まで移動して、そこからフェリーに乗るんだ。それで苫小牧に到着するんだけど、そこからだと函館ってすごい遠いんだよね。
「そうなんだ……じゃあしょうがないね」
「いけたとしても洞爺湖とか、そこぐらいまでかな……帰ってくる時に余裕があれば羊蹄山とか地球岬も寄りたいけどね」
「あの黄金岬っていうのはどこだっけ?」
「あれは留萌だから……このあたりかな。やっぱり行きたいよね?」
「うん。行ってみたい」
「今回の予定だと、留萌は最後のほうになるかな……」
「あの星空のキャンプ場は?」
「あれは富良野だからこのへんだね」
「北海道のど真ん中だね」
「ここに行く日はだいたい決めてあるんだよ。8月19日くらいって」
「どうして?」
「その日は新月なんだ。新月の時は月の光がないから、星空がよく見えるんだ。月の光ってかなり明るいからね」
「へえ、そうなんだ……」
「だから現実的なルートで考えると……こうなっちゃうかなあ」
新しい線を引き直した。
初めの線は『とりあえず一周しとけ!! 観光地は全部行っとけ!!』みたいな感じだったけど、それに比べればまだ大人しい感じになった。
かなりざっくり言うと、苫小牧、帯広、釧路、知床、網走、紋別、稚内、留萌、旭川、富良野、札幌、小樽、室蘭、苫小牧という感じだった。
「……」
……いけるか、これ?
だいぶ削ったつもりだったけど……これでも走行距離はざっくりと1500キロか。まぁ二日ぐらい余裕を持たせるとしても、一日150キロ走ればいいから、十分現実的か。
「うーん……何か北海道一周! って感じじゃないわね」
「まぁそれは仕方ないよ」
走るだけならそれもできるかもしれない。だけどちゃんと楽しもうと思ったらそれなりに時間はかかるものだ。
……あの時、父さんの作った日程はかなり厳しかったからな。途中から「なぜ僕はこんなことをしているんだろう?」と思うことが多々あった。なぜわざわざ北海道にまで来て、こんなに苦しい思いをしなければならないのか――と。そうなってくるともはや苦行でしかない。まぁそういうのが楽しい人もいるんだろうけど。このルートは、その反省も踏まえてのものだった。
「……そう言えば真白さん。一つ、大きな問題があるんだけど」
「え? なに?」
ルートの話が少し落ち着いたところで、僕はおもむろに切り出した。
「実は……テントが一つしかないんだ」
「ああ、そうなんだ?」
「……」
……あれ?
けっこう深刻に切り出したつもりだったけど、真白さんはめちゃくちゃ軽かった。
「それって一人用とか?」
「いや、いちおう三人までなら使えるけど……」
一人用のテントは本当に小さい。だからソロでも二人用のテントを使う人は多い。室内に荷物も置けるからだ。
僕の持っているテントは父さんのお下がりだけど、いちおう二人から三人用のものだ。まぁ本当に三人で使えばとんでもなく狭いけど……二人なら少し余裕を持って使えるだろう。
……いや、でもまずくない?
ほら、年頃の男女が同じテントはさ……やっぱりまずいでしょ?
と、僕はそう思ってたけど、
「じゃあ、それを二人で使えばいいんじゃない?」
真白さんはものすごくあっさりそう言った。
「……いいの?」
「え? うん。別にいいけど」
「……」
……そうか。別にいいのか。
……。
ま、いいならいいか!!(思考停止)
テント問題はあっさり解決した。
「わたしが自前で用意しなきゃいけないものとかって、何かある?」
「うーん……父さんのお下がりでいいなら、ほぼないかな。寝袋もマットも二つずつあるし……着替えくらい?」
「あ、ああ、着替えね、着替え……」
真白さんはちょっと困ったような顔をした。
……どうしたんだ?
もしかしてだけど……本当に制服しか服がないなんてことないよな?
今のところ、僕は真白さんが制服以外の服を着ているところを見たことがない。
普通に考えれば、それってやっぱりおかしいよな……?
……疑問の答えを知るきっかけは、すぐに訪れることになる。
μβψ
僕が真白さんと会わない日はなかった。
学校帰りにも必ず会うようになった。
落ち合うのはあのベンチだ。
真白さんは必ず僕より先に待っていて、そして日が沈んだら僕らは「またね」と言ってその日を終わりにした。
それが当たり前のようになっていた。
何をするかはいつも流れ任せだ。
でも、最近はけっこうウチに来ることが増えていた。母さんも妹も真白さんが来るのを喜んだし、真白さんもそれが嬉しいみたいだった。
まるで家族が一人増えたみたいな感じだった。
……まぁ、日に日に家族からの僕に対する『真白さんを大事にしろよ』というプレッシャーも強くなっているんだけど。
僕と彼女が出会ったのは二月ごろだった。
でも、もう気がつくと六月だった。
僕もいつの間にか高校三年生になってしまい、周囲も受験ムードになってきた。
春も過ぎ去り、暦の上ではとうとう夏だ。
僕の学校は六月から衣替えだ。
夏服になった僕がいつものように真白さんの待っているベンチに向かうと、そこにはこれまでと変わらない彼女の姿があった。
……そう、冬服のままの彼女だ。
「あれ? 真白さんの学校ってまだ冬服なんだ?」
「あ、ああ、うん。うちってまだ合服期間だからさ……」
「さすがにそろそろ冬服だと暑くない?」
「う、ううん? そんなことないよ?」
真白さんは誤魔化すように笑った。
それはやっぱり、何かを隠しているように見えた。
「ほら、いこ!」
「うわっと!?」
真白さんのほうから手を繋いできた。
実はこうやって手を繋ぐのもけっこう当たり前になっていた。我ながら心臓が強くなったものだと思う。
「えへへ」
真白さんが何やら嬉しそうに笑っていた。
……いや、やっぱりまだドキドキするな。心臓が強くなったのは気のせいだったみたいだ。
で、結局疑問はうやむやになった。
ああ、僕って本当に流されやすいよな……。
「ところで、今日はどこ行くの?」
「さあ?」
「さあって……」
まぁ僕は真白さんと一緒ならどこでもいいんだけど。
なんて、そんな恥ずかしいことさすがに言えないな。
ははは。
「わたしはソータくんと一緒ならどこでもいいし」
「……」
……めちゃくちゃ小っ恥ずかしかった。
「あれ? 何でそんな顔赤いの?」
「え? ぜ、全然赤くないよ? いつもこんなんだよ?」
「ええー? 絶対赤いって」
「光の加減とかじゃない?」
……なんて、そんなくだらないことを言いながら歩いている時だった。
「――もしかして、真白か?」
ふと、声が聞こえた。
その声は僕のものでも、ましてや彼女のものでもなかった。
「ん?」
振り返ると、見知らぬ誰かがこっちを見ていた。
男だった。すらりと背が高くて、何だかオシャレな感じだ。帽子を被ってサングラスをしているから、人相はよく分からなかった。
……誰だ?
ていうか、いま
「――げ!!」
相手の男はますます驚いた顔をした。
「……は? いや、ちょっと待て……本当に
「ち、違います!! 人違いです!!」
「嘘吐け!
がっ、と
「え?」
と思っている間に、すごい勢いで引っ張られた。
「うお!?」
「え!? 真白さん!? 何で逃げるの!?」
「いいから早く!!」
理由はよく分からなかったけど、真白さんは本当に焦った顔をしていた。
僕らは物陰に逃げ込んだ。
すぐに誰かが追ってくるような、慌ただしい音が聞こえた。
「くそ、どこいった!?」
すぐ近くで声が聞こえたけど、足音はすぐに遠ざかっていった。
「……行ったわね」
僕らはこっそりと顔を出した。
ふう、と真白さんは息を吐いていた。
「……あの、真白さん。今の人は……知り合い?」
「え? ぜ、全然知らない人よ?」
「でも、明らかに真白さんの名前呼んでたよね?」
しかも呼び捨てで。
「さ、さあ? 誰かと勘違いしてるんじゃない? あは、あははは」
真白さんは誤魔化すように笑ってから、
「あーもう、何でこんなところいるの……?」
と、小さくこぼしていた。
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