第13話 完成された肉体への欲望。

 彼は手に入れた人物の肉を口の中に放り込み、咀嚼していた。

 以前はフライパンにオリーブオイルを入れて、焼いて食べた事もある。

 牛肉や豚肉を口にするのとは違う、まるで違った恍惚感と満足感を得る事が出来た。


 彼は姿鏡で自分を見る。

 自分の容姿は余りにも醜い。

 言ってしまうと、グロテスクだ。

 矮小そのものが、鏡の中には映っている。


 だが、美しい肉体を持つ者達の身体の一部を取り込む事によって、彼は言葉に出来ない程の異様なまでの万能感を得る事が出来た。


 自分で無い者の人生を歩んでいるような気分になる。


 彼は先日殺したクロールの上手な男の肩の肉の残りを口にする。

 噛み砕いて咀嚼して、自分の血肉にしていく。


 闇の中、彼は歓喜の声を上げ続けていた。



 ワー・ウルフのプロファイルを佑大と話し終えてから、二日後の事だった。


 葉月が大学を終えて、特殊犯罪捜査課のオフィスに行くと、“スポーツ選手殺し”事件に関しての進展があったのだと聞かされた。


 何と、リンブ・コレクターの正体の特定に至ったのだ。


 犯行現場の目撃証言の積み重ねによって、ある人物の姿が浮上した。

 警察の地道な捜査の手柄だ。


 リンブ・コレクターが住んでいるアパートが発見されたと、刑事課から特殊犯罪捜査課に情報が入ってきた。つまり、犯人逮捕までもう一歩、という処まで行ったのだ。


 その点は地道に証拠品や目撃情報、指紋、声紋、ありとあらゆる現場の情報を追及していった、刑事課の人間の功績だと言える。


 本名は方蛾 均史(ほうが ひとし)。

 年齢は三十四歳の男。

 ビルの清掃業者を営んでいた。

 その前はラブホテルの監視員をやっていたらしい。

 八畳の安アパートに住み、派遣社員などを転々として回り、職場での人間関係が希薄の男だったそうだ。


 一連のスポーツ選手殺しの現場に居合わせていた、方蛾の目撃情報は一致した。

 それから、警察は方蛾の住んでいる場所を特定したのだった。


 もっとも、警察手帳を持って家の中に入り込んだ警察官、刑事の何名かに重軽傷を負わせて、逃走してしまったらしい。…………、やはり、一筋縄では無い。

 幸い、死傷者が出なかったのは、方蛾の側でも“殺すターゲット”に“ルール”を設けているのだろう。異能力犯罪者は、葉月いわく本人達にしか分からないような“ルール”が存在している傾向が強く、令谷もそれに同意している。


 方蛾 均史(ほうが ひとし)の容姿は、三十代半ばにしては、頭髪が薄く、腹が出っ張っていた。

 ぱっと見て、全身がひょろひょろと細長く、腹が目立つ形で出ている。

 顔もお世辞にも美男子とは言えない。


「典型的な容姿コンプレックスを抱いていそうな人間だな」

 令谷は方蛾の写真を見ての感想はその一言だけだった。


 だが、うだつの上がらない人生を送っていた中年男性が、ある時から怪物に豹変した。それは間違いなく、異能者としての力に目覚めたからだろう。

 人間の殻を脱ぎ捨てて“人を喰らう狼男”へと変貌したのだ。

 もっとも、方蛾の姿は狼とは程遠く、今はよりおぞましい化け物へと変わっているかもしれないが。

 

 おそらく、刑事課の人間、普通の警察官達では、犠牲者を無暗に増やすだけだろう。

 令谷は拳銃の手入れをして、率先して動く事に決めた。


「で。リンブ・コレクターこと、方蛾の家宅捜査を行った際に、様々なものを押収する事が出来た。犯行に使われた凶器と、それからポルノ雑誌、アダルトなDVDの類が沢山、見つかったな」

 崎原はニコチン度の高い煙草に火を点ける。


「何ヵ月か前に令谷が始末した『アシッドマン』というシリアルキラーがいたんだが。そいつの部屋の中からも、大量にポルノが見つかった。サディスティックな性的傾向のものが多かったな。そのコピーに今、眼を通している。それから、可能な限り、リンブ・コレクターの収集していたポルノもコピーが取れた。それも今、交互に、見ている感じだな」

 崎原は仏頂面だったが、少しだけ眼付きがにやついていた。

 犯人のプロファイルという名目で、仕事中に堂々とポルノが見れるのだ。

 一般男性の価値観と感性を持っている崎原は、スケベ心を隠せずにいるみたいだった。


 令谷と葉月の二人は、そんな崎原の内面を見透かして、苦笑いを浮かべる。


「私にも、両者の所有していたポルノを見せて」

 葉月は言う。


「おいおい。女の子がポルノを沢山見るのか? ……まあ、確かに女の子もそういうのは好きだけどな。だが、何というか、セクシャルハラスメントにあたる気がして申し訳ないんだよな」

 崎原は少し困った顔になる。


「私は自分の趣味嗜好なら別として、他者の性的欲望は、概念や分析対象としか思っていないの。だから、私にとってポルノ雑誌の類は単なる“記号”でしかない。大丈夫よ、見せて。比較してみるわ」

 葉月は淡々と告げる。


「という事で。私にも彼の性的嗜好のファイルを渡してくれないかしら?」

「ああ。パソコンにデータが入っている。こっちに来てくれ、一緒に観よう」


 崎原は動画データにしたポルノ雑誌の中身と、ビデオを延々と流していく。

 三十分くらいエロ動画を観ていただろうか。

 崎原は途中、我慢出来なくなったのか、もよおしたと言って、便所に駆け込んでいった。便座で処理するのだろう。

 男の悲しい性だ。葉月は極めて、無感情なまま幾つもの動画を眺めていた。


 崎原がオフィスに戻った頃、葉月は満足したような顔をしていた。


「成程。分かったわ」

 葉月は親指を立てる。


「どうだ?」

 崎原は全て、体内からひねり出してやった、という顔をしていた。


「アシッドマンだっけ? 彼の方は、性的嗜好は歪んでいるわね。極めて支配的。でも、執着性が無いわ。対して、リンブ・コレクターはアダルト漫画を読む際に“人体デッサン”がしっかりしているものを好んでいる。アダルト漫画には、胸や尻などの性的パーツが過度に協調されて奇形じみたキャラデザインをされている事が度々あるけれども、そういった作品を嫌っているわね。対して、アシッドマンは、人体デッサンが崩れていれば崩れている程、好んでいるように思えるわ」

 葉月は分析していく。


「やはり。“健康な人間”に変身したいのよ。欲しいのは、均一の取れた身体なの」

 葉月はペン回しをしながら、もう片方の手を顎に置いて眉を顰めていた。


「では。葉月さんのプロファイルをわたくし、富岡がパソコンに記録しておきますね」

 富岡は羞恥心があるのか、アシッドマンと、方蛾、それぞれの家から押収したアダルト動画のデータを羞恥心に満ちた顔で眺めていた。……もっとも、送られてきたデータをまとめたのは、富岡自身であるのだが。


「ありがとう」

 葉月は屈託の無い笑みを浮かべる。


「さて。今日もさっさと帰るわ」

「彼氏と一緒か?」

 崎原は訊ねる。


「そんな処」

 葉月は、佑大に会って、直接、プロファイルを手伝って貰う事を考えていた。


 二日前は、ワー・ウルフのプロファイルを行った。

 今回は、リンブ・コレクターだ。

 …………。佑大は、ワー・ウルフのプロファイルを行った際に、半日、寝込んだ。今回、彼の精神的負担にならなければ良いのだが…………。



 暗い物置部屋のような場所に、二人の殺人鬼がいた。

 

 腐敗の王と、スワンソング・白金朔。

 彼らもパソコンの画面をまじまじと眺めていた。


「『特殊犯罪捜査課』の情報を今、入手している」

 パソコンに向かいながら、腐敗の王は、リンブ・コレクターの情報を入手していた。

 特殊犯罪捜査課の機材はハッキング済みだ。少なくとも、崎原と富岡では分からないように小さな機材を仕掛けている。

 まだ、彼らは気付いていない。

 もしかすると、昼宵葉月や……牙口令谷辺りは気付いている可能性は大いにある。

葉月の方は“うっかり”気付かなかったフリをして、令谷はあえてこちらの動向を泳がせている可能性があるが、今の処は問題無い。


「パソコンのハッキングか……。そんな事も出来るんですね、腐敗の王」

 スワンソング、白金は驚嘆していた。


「ああ。若い頃、工作員をしていた事があるからな」

 腐敗の王は、かちゃかちゃと慣れた手付きでキーボードを叩いていた。


 リンブ・コレクター事件のファイルがまとまって手に入る。


 葉月のプロファイルの記述、現場写真、所有していたポルノグラフィーなどのデータを入手する。


「さて。スワンソング、この犯人にも“美意識”のようなものは、どうやら、存在したようだ。均一の取れた女の裸を好む。それはエロ漫画の絵、美少女のイラストにまで及んでいるというわけだ」

「確かに、人体のバランスが悪いのは好ましくない。それはたとえ、萌え絵にしろ、デフォルメされたキャラクターにしろ、マッチョなアメリカンコミックのデザインにしろ、身体の一部のフェティッシュのみを追求し、バランスの悪い絵というものは僕も好きではないですね」

「そうか。胸や尻。たまに、太腿や、頭だけデカいのもあったな。そういう絵は美的には、確かに俺も好ましくないと思う。まあ、個人の好みだけどな」


「差別的でしょうが。奇形的にも見えますからね。リンブ・コレクターは、均一の取れた健康な筋肉の付き方をしている被害者をターゲットにしている。戦利品の集め方もそうだ」

 白金は、小さく溜め息を吐いた。

 愛憎の篭った眼で標的を始末しようとしていた、自分自身と、この犯人が重なる。

 そして、嫌な気持ちになってくる……。


「となると、奴は“完成された肉体を持つ人間”になる事を望んでいるのか」

 腐敗の王は、ソファーにもたれ掛かる。


「さて。こいつは正体が特定された。どう出るんだろうな? スワン、君なら自首でもするか?」

「僕なら…………。全力を尽くしますよ。自分の目的を最後まで達成させる」

 二人は同族にしか分からない感情を話し合っていた。

 たとえそれが、自分達とは本質的には、まったく異なる存在だとしても、同族なのだ…………。

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