第03話 妹の変化

 そして、中学に進学して間もなく、ライトノベルの世界に心を囚われた僕は、インターネット上の小説投稿サイトに自作の小説を投稿するようになった。


「はぁ……また1話だけ読んでブラウザバックか……」


 つい独り言を漏らしてしまう。そう、僕の小説は人の目を滑らせる能力を持っているようで、一見さんを一見さんのまま帰らせてしまっているのが、アクセス解析から如実に見て取れた。だが、1件だけ書かれた感想が、僕の創作意欲を後押ししてくれていた。


「ミナト先生、こんにちは。私は先生の作品のファンです。先生が繰り出すどこまで本気なのかわからない目まぐるしい展開は、いつも私を楽しませてくれています」


 ミナトは僕のペンネームだ。本名をもじって「(アマ)ミナ(オ)ト」と名乗っていた。そんな僕に寄せられた、今考えて見れば貶してるんだか褒めてるんだかわからない感想は、「ファンです」のひとことで僕の心をすっかり支配してしまっていた。その読者がどんな人なのだろうと想像してニヤニヤしてしまう、それが僕の心の支えだった。しかし、僕の作品は書けば書くほど陳腐なものに思えてくる。「なんか違うんじゃないかな」そう感じ始めていた僕が中学2年生になって数日後、なんと中学1年に上がった妹が久々に話しかけてきた。


「ねえ兄さん、かくれんぼ……しよ?」


 成長して落ち着いた雰囲気を醸し出す妹からの突然の誘いに、僕は戸惑いながらOKを出す。カウントを終え妹を探し始めた僕は、数多ある部屋の扉を開く度に、妹と遊んだ記憶が蘇るのを感じた。だがその日、家の中を一日中駆けずりまわった僕は、ついぞ妹を見付けることができなかった。そして、次の日朝食のテーブルに顔を出した妹は、それまでかけていなかったメガネをかけていた。


「目、悪くなったの?」


「前からだよ……」


 その会話を最後にその日は、いや、それからずっと、妹と会話することはなくなった。それからしばらくして、僕は小説を書くことに限界を覚える。いや、飽きてしまったのだろう。原稿に向かっても一文字も書けない日々が続いていた。そんなある日、隣の部屋から果音カノンの声が微かに聴こえてくる。私は壁に耳を当て、それに聞き耳を立てたのであった。


「だから、悠季ユウキくん! ……あの人のと私のパンツを一緒に洗わないでって言ってるでしょ!?」


「しかし果音カノン様、洗ってしまえばどちらも綺麗になります。問題ないかと思いますが?」


 果音カノンと同様に中学生となった悠季ユウキさんは、その年からメイド服を纏い、僕たち兄妹の世話係となっていた。口調も以前とは違う敬語で話し、僕らには敬称を付けて呼ぶ。そして、感情を表に出すこともほとんどなくなっていたのだ。そんな彼女に高ぶる感情をぶつける果音カノンなのであった。


「そういうことじゃないのっ! なんでわからないかな……?」


「そう言われましても、果音カノン様のお召し物も、菜音ナオト様のお召し物にも汚いところなんてございません。ほら、こんなこともできるんですよ?」


「え……何やってんの? いや、それはないわー……っていうか悠季ユウキくん、汚いところがないなら洗濯しなくていいんじゃん……」


 悠季ユウキさんは度々冗談なのかわけがわからない行動に出る癖があった。その時の彼女が何をしていたのか、僕には想像もつかなかった。


「……それはそれは、盲点でした。では逆に、洗濯に使っている水が、果音カノン様のお召し物を通すことで浄化されていると考えてはいかがですか?」


「わっけわかんない……そんな屁理屈言ってる暇があったら、私なんて無視してさっさと洗濯すればいいじゃない」


果音カノン様、自分で何を仰っているのかご理解できていますか?」


「……ごめん、悠季ユウキくん。私がどうかしてたよ……でもさ、なるべくあの人とは……」


 その時の果音カノンの声は、非常にトーンが落ちていた。悠季ユウキさんはそれを気にも留めなかったようで、妹の部屋を去って洗濯を始めるのであった。とは言っても、洗濯機に衣服を放り込んでボタンを押すだけなのであるが。メイドとなった彼女は、自分の仕事を減らすために家の設備を次々と電化製品に変えていっていたのである。


 その頃、あっさりと小説を書くことを辞めた僕は、持て余した時間を様々な趣味に使うようになっていた。そして、それは僕が自室で筋トレをしている時の話である。


菜音ナオト様、果音カノン様が隣の部屋から聞こえる音が気になって勉強に集中できないと仰っています。騒がしく動くのはやめていただけますか?」


 悠季ユウキさんがいつの間にか僕の部屋の中に居た。彼女はすました顔でダンベルを持ち上げて固まる僕の目を見つめる。


「え、そんなにうるさかった?」


「私はそうは思いませんが、果音カノン様がそう仰っているので」


「そうか、勉強の邪魔をしちゃ悪いか……」


 しかし、僕は果音カノンが家で勉強をしている姿を見たことがなかった。だけど彼女は成績が非常に優秀である。僕と遊ばなくなってから自室に篭り勉強に励んでいたということなのだろうか。勉強ができる、それは同じ血を引いている僕にとっても同じこと――だと思っていたが、この頃の僕は、小学生時代の勉強の貯金を切り崩しながら成績を維持しているに過ぎなかった。空いた時間は全て趣味に費やしていたからだ。筋トレもその一環であったが、多感な時期、反抗期とも言える果音カノンにとってそれは癇に障るものだったのだろう。


 また別のある日、ゲームプレイ動画の視聴にハマった僕は、自分でもその真似事をしようとしていた。ネット通販で録画に必要な機材を揃え、マイクを前にコントローラーを握る。意を決しての収録、しかし、それを公開する前に悠季ユウキさんがやってくる。


菜音ナオト様、果音カノン様が声がうるさくて眠れないと仰っています。即刻やめていただけますでしょうか?」


 不思議なことと言えば、悠季ユウキさんは僕と妹に仕えるメイドさんなのに、妹の命令だけを忠実に聞いていることであった。


「いやいや、防音設備も買ったんだし、そんなバカな……」


果音カノン様がそう仰っているので」


 悠季ユウキさんはそれ以上の言葉を持っていなかった。僕はそれに黙って従うしかないようだ。そうでないとロボットのように同じ言葉を続ける彼女を部屋から追い出すことができなかったからである。何より彼女が仕事をしてくれなければ、僕たちの生活はままならない。しかし、彼女はそんな状況を楽しんでいるように見受けられた。


 そのまたある日、僕はDTMで作曲を始めた。適当に音を並べているだけでも、それっぽいメロディに聴こえてくることに楽しみを見い出す僕。しかし、数時間後にはやはり悠季ユウキさんが僕の部屋にやってくるのである。


菜音ナオト様……」


「また果音カノンが何か言ってるの?」


「はい、ヘッドホンから音漏れしていてうるさいと……っ……」


「えー……」


 彼女も今回ばかりは半笑いを浮かべている。しかし、笑いをかみ殺して続ける言葉には新たな展開が用意されていた。


果音カノン様は、菜音ナオト様が何をしていてもお見通しとのことです」


「そ、そうか……でも何でいつもいちゃもん付けてくるんだろう……」


「わかりません。ただ、学生という身分でありながら、勉強もせずに日がな一日パソコンに向かっている菜音ナオト様に問題がないとも言い切れませんが」


 その後も何か始める度に悠季ユウキさんを通して咎められる僕は、自室に居ながらにして完全に自由を奪われている状態であった。だがしかし、不思議なことに、咎められるのは僕が創作にあたる活動をする時のみで、そうでなければゲームをしていても、本を読んでいても自由を奪われることはなかった。それどころか、外出をするのはある人物に呼び出された場合のみとなっており、すっかり部屋に引きこもるようになっていた。昔起こったとある騒動によって在宅していながらも高校の出席日数と単位が取得できるようになっていたことも、それに拍車をかけていたのだ。

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