第10話 画家
お母様による厳しい立ち居振る舞いレッスンからやっと解放された。
明日は筋肉痛だろうな……
部屋に戻る途中、スチュアートに呼び止められる。
「お嬢様、王太子殿下からお手紙です」
開いてみると『明日の午後に遊びに行ってもいい?』と書いてある。
明日はフロロックス伯爵夫人のお茶会があるけどまぁいいか。
「お返事書いて来るね」
スチュアートにそう告げて、部屋で『大丈夫だよ』と認め封をする。
手紙を預けるついでにスチュアートに聞いてみる事にした。
「ねぇスチュアート、お父様の得意な事って何かしら?」
「お若い頃から何でも卒なくこなされていましたよ」
何でもじゃ選びようがないし、どうせならお父様が楽しめるものがいいわね。
「じゃあ趣味とかない?」
「趣味……ですか」
「好きな事とか」
スチュアートはにっこりと笑った。
「…………お嬢様と過ごされる事、でしょうか」
絞り出した答えがそれか……。それをしようと思って聞いたのに振り出しに戻っちゃったわ。
翌日、遊びに来たフィルに聞いてみる事にした。
「フィルのお父様って趣味とかある?」
「趣味って何?」
「空いた時間に楽しんでやっている事とか、つい時間を忘れて熱中してしまうような事よ」
「僕がドレスのデザインを考える時みたいな感じ?」
「そうそう」
フィルがアメリーにドレスを着せられている横で、あたしはフィルが手土産に持って来てくれたゴーフルを口に運ぶ。
うん、おいしい。
「ん~最近は絵かなぁ」
「どんな絵を描くの?」
まさかドレスって事はないわよね?
「お父様は描かれる方だよ」
「なるほど……」
王様なめてたわ。
「色んな画家に描かせているけど、最近はモハメドが気に入ってるみたい」
「へぇ~。何か違うの?」
「よく分からないけど、人気がある人みたいだよ。予約しても何年も待たないといけないんだって」
フィルのお父様、王様の権限で順番待ちに割り込んだって事かしらね。まぁ、貴族が文句を言うはずもないけど。
「でも、描かれるのが趣味ってどういう事?」
「出来上がった絵をずっと見てる」
「それってフィルやお母様も一緒の絵?」
「ううん。お父様だけだよ」
ナルシストかな!?
けどそういうのもいいかも。描かれている間はお父様と一緒の時間が持てるし、お父様イケメンだからいい作品になりそう。
「描いてもらおうかな……」
ついぽろっと口に出してしまった。
「じゃあ言っといてあげるよ」
「あ、うん。ありがとう」
何年もかかるなら予約しておくのもいいかも知れない。
翌日の朝食の席で、早速お父様に提案する。
「お父様、肖像画を描いて貰いませんか?」
「どうしたんだ急に」
「フィルがモハメドという人の予約を取ってくれるらしいんです」
「まぁ!」
興味を示したのはお母様だった。
「サロンでもよく聞く画家よ。最近は新規の注文を受け付けていないという話だけど、予約できたの?」
「たぶん? だいぶ待つみたいですけど」
「そうよね。ポレモニウ伯爵夫人はもう2年待っていると言っていたわ」
2年待ってさらに待つのか……
「お父様、みんなで描いてもらいましょう!」
「私はいいよ。2人が描いてもらいなさい」
お父様は全く興味がないらしい。
「そんなぁ」
「自分の顔なんか鏡で充分だ」
あーもう、せっかくお母様が乗り気になっているのにそんな言い方して……
うちのお父様ってフィルのお父様とは真逆なのねぇ。
「私はお父様の顔を鏡で見られないじゃないですか」
「はは。キャロルは面白い事を言う」
結構本気で言ってますけど!
とりあえずまだ先の事だろうし、時間をかけて説得するかな……
……と思ったのに!
「モハメドがいつ行けばいいかって」
数日後、遊びに来たフィルからそう告げられた。
「ふぇ?」
「今度、お父様が隣の国の王太子の即位式に行くからその時はどうかって言ってたよ」
「それいつ?」
「来月」
年単位で待つつもりだったのに何と急な。もしかして、王太子の婚約者という権威が発動してしまったの……?
「お父様に聞いてお手紙書くね」
「うん、分かった」
またしても翌朝の朝食の席でお父様に報告する。
「来月、国王陛下が留守にされる時にモハメドの予定が空くそうで、来て貰える事になりました」
「あら、もう?」
やはりお母様は反応がいい。
「良かったな」
お父様は他人事だ。
「お父様も一緒に描いて貰いましょうよ」
「私はいいよ」
お父様は苦笑して首を振った。
う~ん……当初の目的を考えると、無理強いしたのでは意味が無い。
「わかりました……」
「他の方には申し訳ないけど、タイミングが良かったのね。ドレスを新しく作ろうかしら」
お母様はウキウキだ。
ちょうどいいからあたしもフィルに依頼しようかな。
朝食の後、フィルに相談があると手紙を書いて送ると、次の日に来てくれた。
「ねぇフィル、絵を描いてもらう時に着るドレスをデザインしてくれない?」
「僕のデザインしたドレスが絵になるの? すごい!」
あたしとしてはむしろドレスを着たフィルの姿を絵にできないのが残念だわ。
「じゃあお願いね」
「うん! どんなのがいい?」
「絵って残るからねぇ。私のイメージぽいのがいいかな」
今回ばかりはフィルが着たいドレスだと困る。
「分かった!」
それからしばらくして、遊びに来たフィルはドレスを持参していた。デザイン画だけでいいと言ったのにドレスが届くのはもう想定内だ。
今回のドレスはミントグリーンで、なるほどあたしの瞳の色だ。スタンドカラーの襟ぐりにはライトブラウンのサテンフリルが付いていて、袖口や裾にも光沢のあるライトブラウンの糸で刺繍が施されている。こっちは髪の色か。
「目と髪の色だね」
「そう、分かった?」
フィルはいたずらが成功した様な無邪気な笑顔を見せた。
ウエストの位置の前面には大きなリボンが付いていて可愛い。後ろにリボンを付けてしまうと絵には描かれないから工夫したのね。
「ありがとう!」
「どういたしまして」
だが……モハメドが来る3日前、熱を出したあたしは、医師におたふく風邪だと診断された。
よりによっておたふく……
当日には耳の下が腫れて酷い顔になっていた為、絵はお母様だけ描いて貰う事となった。
そもそも他人にうつるので部屋から出られないあたしはモハメドに会えず、描いている所すら見られなかった。でもお母様の話だと作業の大半は彼のアトリエに持ち帰ってやるらしく、ポーズを取ったのは短時間だったそうだ。
その後、完成した絵を持ってモハメドが訪れた。もっさりとした髪とひげを生やした小太りのおじさんだ。
彼が布を取ると、椅子に腰掛けているお母様の絵が現れた。
絵の中のお母様は、青い生地全体に銀糸の刺繍が施してあるドレスを身に纏っている。写真じゃないかと思う程に刺繍やレースが緻密で、透明感があって、絵画としての完成度がもの凄く高い。
「すごい! 綺麗! 上手!」
何より、お母様が美人!! どう見ても本人より綺麗だ。でもそっくりで、知っている人が見ても誰だか分からないという様な変わり方ではない。そして気品が漂っている。これはアプリで加工した写真なんか目じゃないな。
あんた凄いよモハメド! 人気がある訳だよねぇ。モハメドに描いてもらえるとなってウキウキしていたお母様の気持ちがよく分かった。
「素晴らしいわ」
お母様は大満足だ。
「ありがとうございます。モデルが美人だと筆も進みます」
お世辞も上手!
「お父様も描いてもらえば良かったのにな……」
絵を眺めながらつい愚痴ってしまった。
「せっかくキャロルが良いお話を持って来てくれたのに残念だったわね」
お母様はそう言ってあたしの肩を撫でた。
お母様の絵は、応接間で1番目立つ場所である暖炉の上に飾られる事となった。
ちなみに、わざわざドレスを作ってくれたフィルに謝らなければ……と思っていたが、フィルもおたふくに罹っていたらしい。聞けばドレスを持って来た日の夜から熱を出したらしく、あたしのおたふくはフィルから貰ったものだった。
「ごめんねキャロル」
「いいよいいよ。子供のうちに罹っておいた方がいいって言うし」
「そうなの?」
「うん。1回罹ればもううつらないし、大人になって罹ると大変らしいよ」
「そうなんだ」
あたしは落ち込むフィルを慰めた。
そんなフィルはちゃっかりミントグリーンのドレスを着ている。
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