第9話 念書

 ユーゴとアルマンの1回目の稽古の日が訪れ、アルマンは待ちきれなかったのか約束の時間よりだいぶ早く到着した。

 執事のスチュアートから知らせを受けて応接間へ向かうと、応接間の前でユーゴがあたしを待っていた。


「お嬢様……本当に私がお教えするんですか?」


 ユーゴの顔には『気が進まない』とハッキリ書いてある。


「乗り気じゃないなら断ろうか?」

「私は剣術の基礎をちゃんと習った事がないですし、できれば……」

「分かった。まぁでも今日だけは付き合ってあげてよ。念書を持って来てなかったら即座に帰らせるけど、持っていたらボコボコにしてやればいいわ。それ位しないとあいつ何度でも来そうだし」


 あたしが応接間に入り、続いてユーゴが入るとアルマンは目を輝かせて立ち上がった。

 この子、あたしには目もくれないのね。


「念書は持って来た?」

「おう」


 差し出された紙を確認すると、稽古中に何があってもユーゴの責任は問わないといった内容の文章と、父ジュスト・アムブロスジアのサインが書いてある。


「いいわ。じゃあ早速庭で始めましょう」



 庭に出て準備運動をした後、ユーゴとアルマンはあらかじめ用意しておいた木剣を持って向かい合う。

 あたしはそれをガーデンチェアに腰掛けて見ている。


「お好きな様にかかって来てください」

「おう」

「ちょっと! ユーゴはあなたの師匠なのよ。返事は『はい』でしょ! ユーゴも敬語なんて使わなくていいわ」

「はい」


 返事をしたのはユーゴだけで、アルマンはあたしを一睨した。


 アルマンは剣を振り回すが、ユーゴはひょいひょいと避けてかすりもしない。

 しばらくそれを続けると、可哀想になったのかユーゴは避けるのをやめて剣で受け始めた。


 ユーゴが困った顔でこちらに視線をよこす。

 あたしは顎をくいっと動かし『やれ』と目で訴えるが、『できません』と顔に書いてある。


 大きく剣を振り回していたアルマンは早々にへばって剣を振るのをやめ、汗だくになって肩で息をしている。


 いやいやいや……素人のあたしが見ても分かる。相手にならないのは当然だとしても、こんなに隙だらけな事ってある!? それに攻撃されてもいないのにバテバテじゃ戦いにならないじゃない!

 どうしたもんか……


「アルマン、あなた今までに1度でも剣を使った事はあるの?」

「ない」


 まさに根拠のない自信……


「とりあえず、誰か他の人から剣の基礎を学んでらっしゃい。ユーゴの指導を受けるのはそれからにしましょう」

「何でだよ!」

「私は基礎は教えて差し上げられませんのでそれがいいと思います」


 すかさずユーゴも同意する。


「師匠がそう言ってるんだから。それと、ユーゴに礼を尽くす事って言ったわよね? あなたの敬意ってその程度な訳? 始まる前に『よろしくお願いします』、終わったら『ありがとうございました』それくらい言いなさい。指導料はいらないから、これで終了!」


 悔しそうにするアルマンを帰した後、ユーゴに詰め寄る。


「ちょっとユーゴ、ボコボコにしてって言ったのに!」

「できませんよぉ」


 情けない顔をするユーゴに溜息が漏れる。


「はぁ。何の為の念書よ……」


 この調子じゃ、師匠らしく振る舞う事なんてできそうにないわ。


「貴族出身の騎士で滅茶苦茶厳しい人とかいないかしらね……」

「それなら心当たりがありますよ」

「え!? 本当?」

「シャルトエリューズ伯爵です」

「それって、アルマンのお父さん?」

「はい。私自身はお話しした事はありませんが厳しい事で有名ですし、現役時代は相当お強かったのだと聞いた事があります」

「現役って?」

「次男なので騎士としての叙任を受けたそうですが、お兄様が亡くなって家を継がれたそうです」

「なるほど……」


 アルマンのあの根拠のない自信は、お父さんが強かったのだから息子の自分も強いはずだって事なのね。


「でも、それならどうしてお父様から教わらないのかしら」

「そうなんですよね。厳し過ぎてお嫌なのかも知れませんね」

「あの子はそれくらいの方が良いんだけどねぇ」


 もー! 何であたしが悩まなくちゃいけないのよ!




 翌日の朝食の席で、お父様に聞いてみる事にした。


「お父様、シャルトエリューズ伯爵ってどんな方ですか?」

「どうしてだ?」

「息子のアルマンさんからユーゴに剣を教わりたいと言われているのですが、伯爵が騎士だったと聞いて、どうしてお父様にお願いしないのかなって思ったんです。厳しい方なんですか?」

「いや? 人当たりの良い、大らかな男だよ。正義感も強いしな」


 なんだ良い人そうじゃない。最初からお父様経由で言いつけて息子の暴挙を止めてもらえば良かったわ……


「では何で父親に教わらないのでしょうね」

「親なら息子が自分の得意な事を教わりたいと言って来たら嬉しいだろうね。だから、教えて欲しいと頼んでいないか、剣だから教えたくないかのどちらかじゃないか?」


 あの押しの強いアルマンが頼んでいないというのは考えにくいわね……だとすると教えてもらえないという事になる。次男で騎士になるしか道がなかったシャルトエリューズ伯と違って、嫡男のアルマンが騎士になる必要はないからね。だったら怪我をさせたくはないだろうし、戦場に行かせたくないのが親心だろう。

 でも、それならなぜ念書を書いてくれたのかしら? 怪我をする可能性があるならせめて自分の目の届くところの方が良いのでは?


 まさか……他の人に書かせた?


「お父様、アルマン様の稽古を引き受けるにあたって、稽古中にどんな怪我をしてもユーゴに責任はないという念書を書いて貰ったんです。後でそれを見てもらえませんか?」

「もうそこまで準備しているのか?」

「はい……」


 というか既に1回目の稽古が終わっています。事後報告でごめんなさい。お母様が話したとばかり思っていました。

 どんだけ会話ないんだうちの両親!


「分かった。食事が終わったら持って来なさい」

「はい」



 急いで食事を終わらせ、書斎で出掛ける支度を始めたお父様に念書を渡す。


「これなんですが、もしかしたらシャルトエリューズ伯が書いたものではないかも知れません」


 念書を受け取ったお父様は文面に目を通した。


「文書としては問題ないが、だからこそ他人が偽造したとなると問題だな」

「ご本人に確認して頂いてもいいですか?」

「あぁ。そうしよう」

「お仕事増やしてごめんなさい……」


 お父様はあたしの頭を撫でてくれた。


「何でも1人でやろうとするな。娘に頼られるのは悪くない」

「お父様~」


 あたしはお父様に抱き付いた。




 翌日の朝食の席のお父様は難しい顔をしていた。


「キャロル、昨日の念書は偽造されたものだったよ」

「やっぱり……」


 あのガキー! 舐めた事してくれるわね……


「それで今夜、伯爵がアルマン君を連れてうちへ来る事になったから同席しなさい」

「はい。ユーゴも一緒にいいですか?」

「ああ、もちろんだ」



 お父様が出掛けた後、ユーゴと2人で庭のガーデンチェアに腰掛ける。


「アルマンの念書、偽造だったんだって」

「え?」

「それで今夜シャルトエリューズ伯爵が来るから同席してね」

「ええ!?」


 思わず笑ってしまう。


「何でユーゴがびびってるの?」

「だってそんな大事になるなんて……申し訳ありません」

「ユーゴは悪くないわよ。全部あのガキのせいじゃない!」

「それでも……」


 ユーゴの顔色が悪い。

 この怯え方はどういう事なんだろう。これまでに貴族に嫌な目に遭わされた事があるとしか思えない。


「ユーゴは貴族が怖い?」

「そうですね……」

「何かされたの?」

「実家の辺りは税の取り立てが厳しくて……何をするにも税金がかかる上に、無償での労働も当たり前でした。拒否すれば見せしめに暴力を振るわれます。ノーコギーに出たのは、領主を守る為の使い捨ての兵士としてでしたし。騎士になってからも、貴族の子息と揉め事が起きれば内容に関係なく私のせいにされました……」

「酷いね……。でも今はもう侯爵家の専属なんだからそんな事にはならないよ。今夜も謝罪に来るだけだと思う。だってこっちは何も悪くないんだから。とりあえず、ご家族の引越しは急がなきゃね」

「ありがとうございます……」



 夕方になり、いつもよりだいぶ早くお父様が帰宅し、お母様と一緒に玄関で出迎えた。


「おかえりなさいませ」

「お父様おかえりなさい」

「ただいま」


 お父様の後ろには、ペールオレンジの瞳の貫禄ある男性の姿がある。


「いらっしゃいませ、シャルトエリューズ伯爵」


 お母様が挨拶をした。


「急に押しかけて申し訳ありませんマルティーヌ様」

「いえいえ、ゆっくりなさって行ってください」


 お父様はあたしの肩に手を置いた。


「娘のカロリーヌだ」

「初めまして。カロリーヌです」

「初めまして、ジュスト・アムブロスジアです。今回は悪かったね」

「いいえ」


 あたしは首を横に振る。


「こちらがユーゴです」


 後ろを振り向き、控えていたユーゴを紹介すると、ユーゴは1歩前へ出て敬礼しシャルトエリューズ伯爵は答礼をした。


「君にも迷惑をかけた様だね」

「とんでもございません」


「こちらへどうぞ」


 ちょうど良いタイミングで執事のスチュアートが声を掛け、奥へ案内する。



 応接間に移動し、お父様は1人掛けのソファ、あたしとお母様達は3人掛けのソファ、シャルトエリューズ伯爵はあたし達の向かいの3人掛けソファにそれぞれ腰掛け、ユーゴはあたしの後ろで直立不動になっている。


 シャルトエリューズ伯爵は話し出す。


「昨晩、息子と話したのですが、念書は父の代から仕えている執事に書かせたそうです。孫の様な歳のアルマンにとにかく甘くて……。兄の代では執務はほとんどその男がやっていましたし私には口煩いので、ばれても私が強く出られないとでも思ったのでしょう。念書を誰に渡すのかも正確には伝わっていなかった様です」


 つまりアルマンは、平民出の騎士に剣を教わるとしか言わずに執事に念書を書かせたのか。そして執事はジェイドバイン侯爵家の人間に渡すと知らずに書いた……平民出の人間相手なら何かあっても念書の存在なんて知らないと言い張れるし、恐れるに足りないと考えて。


「でも執事は解雇しました」

「そんな!」


 執事も悪いけど、根本的に悪いのはアルマンだ。慮外な厳しい措置につい声を上げてしまった。


「はは。ご心配なく。もう歳なのでそろそろ引退させようと思っていたところです。でも使用人が主人の名で勝手に署名するなどあってはならない事ですから、退職金は減らしますがね。ただ、アルマンには自分のせいで首になったと思わせておきたいので、この事は内密にお願いします」


 あたしは頷いて了承の意を示す。


「経緯はアルマンから聞いていますが、カロリーヌ嬢からも聞かせて貰えますか?」

「はい」


 あたしは、ユーゴが非常に嫌がっている事や、彼がとても無礼である事、そしてあたしが大いに迷惑している事をマイルドに、でも包み隠さず詳しく話した。


「あいつ……」


 伯爵は眉根を寄せ小さく呟いた。

 おそらくアルマンから聞いていた話より酷かったのだろう。


「申し訳ありませんでした……」

「いえいえそんな」


 伯爵に頭を下げられてしまって、あたしは慌てて両手を振る。


「でも……」


 う~ん、他人の家の事情に踏み込んでしまうのは良くないかな……

 言い淀むあたしに、伯爵は優しく促す。


「何ですか? 何でも言ってください」

「……あの、どうしてアルマン様はお父様にお願いしなかったのでしょうか」

「何度か頼まれた事はあったんですがね……騎士というのは格好良いだけではないですから。自らの意志で戦う相手を選べる訳ではないし、何より人を殺す経験などしないで済むならさせたくなかったのです」


 アルマンを見ていてあたしも感じた事だ。でもあたしが考えていたよりも深い。経験者の言葉は重いな……


「しばらく放っておけば熱も冷めるかと思いましたが、まさかこんな事をしでかすとは。ちゃんと向き合ってやらなかった私の責任です」


 いや、向き合っても変わらないかも……だってあたしは知っている。あの子の熱は16歳になっても冷めない。


 その時、部屋の扉がノックされた。


「到着されました」

「中へ」


 スチュアートの声にお父様が答え、開けられた扉からシャルトエリューズ伯爵夫人とアルマンが入って来る。


「この度は本当に申し訳ありません」


 入室するなりアルマンの母は頭を下げた。


「まぁまぁミラさんやめてくださいな」


 お母様が立ち上がって夫人の所へ行き、背中に手を当てる。

 そしてそのまま夫人を伯爵の隣に連れて行って座らせた。


 伯爵にギロリと睨まれたアルマンは「申し訳ありませんでした!」と頭を下げた。

 なんかもう、こんなに謝られる事だっけ? と思えて来る。

 でも、結果的に伯爵が良い人だったから良かったものの、もしそうじゃなかったらユーゴがアルマンに怪我を負わせた時、大変な事になっていたかも知れないと思うとやはりゾッとする。

 ユーゴの顔を見ると、こちらも複雑な表情をしている。

 アルマンに対しては許しますとも許しませんとも言い難い……。あたしは絶対的にユーゴの味方だし、そうじゃなきゃならない。


 お父様に視線を移すと目が合った。するとお父様はあたしのどうしたらいいか分からないという気持ちを汲み取ってくれた様だ。


「アルマン君、頭を上げなさい」


 アルマンが頭を上げると、なんと左の頬が腫れ上がっている。


「おふ」


 令嬢らしからぬ変な声が出てしまって、慌てて両手で口を塞いだ。

 パパから鉄拳制裁を受けたのね……ユーゴが言っていた厳しさってこれか。


 お父様も軽く息を飲んだものの、アルマンを見据えた。


「君のお父様からも言われただろうけど、たとえどんな事情であろうと伯爵のサインを偽造するなどあってはならない。それは分かるね?」

「はい」

「だったらもういい。キャロルとユーゴもいいね?」

「「はい」」


「感謝しますエミール卿」

「はは。ひとつ貸しだな」


 お父様は冗談めかしてそう言い、明るく振る舞った。


「せっかくだから夕食を食べて行ってくれよ」

「では、お言葉に甘えて」



「でもっ……俺ッ……諦めたくないッ!」


 ぎょっとしてアルマンを見ると、拳を握ってぷるぷる震えている。

 おーまーえー! 今、丸く収まったじゃん!!


「アルマン!」


 大きな声と共にシャルトエリューズ伯爵が立ち上がった。


「だって! お母様が……」


 何よ今度は人のせいにするの?

 アルマンはぽろぽろと涙を零しながら言う。


「騎士だった時のお父様がとても格好良かったって……だから、だから俺もっ……お父様……みたいにぃ……」


 マザコンかよ!


 夫人は伯爵の腕を掴み、おろおろしている。


「違うんです旦那様。今の旦那様が格好良くないという訳では……」


 奥さん、今それどうでもいい!

 でも伯爵も満更じゃない感じ……何だこの家族愛劇場。


「……分かった。剣は俺が教えてやる。だからもう他所様にご迷惑をかけるな!」

「本当!?」


 アルマンは涙でぐしゃぐしゃの顔に喜色を浮かべた。


「その代わり俺の指導は厳しいぞ。音を上げたらそこで終了だ。そうなったら潔く諦めろ。いいな?」

「うん!」

「返事は『はい』だ!」

「はい!」


 今度こそ丸く収まった。どうぞ精神から鍛えてやってください。

 でも我に返ったシャルトエリューズ伯爵と夫人は気まずげだ。

 どうするのよこの空気……


「お夕食の準備が整いました」


 割って入ったのはスチュアートだった。

 うちの執事は優秀だ。




 ダイニングルームに移動し、6人での夕食が始まった。

 お父様は伯爵と、お母様は夫人と話をしている。

 あたしの正面に座るアルマンをチラ見すると、頬の腫れが痛々しい。

 視線に気付いたアルマンは、ばつの悪そうな顔をした。


「よかったじゃない」


 そう声を掛けたら、アルマンは喜びを噛みしめる様な表情に変わった。


「おう」


 結局、この子は最初からお父さんに教えて欲しかったのね。でも全く相手にされなくて、イライラしていたんだろうな。


「では念書はカロリーヌ嬢の発案ですか。あの年齢で危険を予測し、事前に手を打てるとは大したものです」


 あたしの盗み聞きセンサーにシャルトエリューズ伯爵の声が入って来た。


「私も驚いたよ」

「考えずに行動するアルマンに見習わせなければ。王太子殿下と婚約しておられるのが残念ですな。我が家が申し込みたかった」


 え、絶対やだ。

 つい反応して顔を向けてしまったせいでお父様と目が合った。


「本人の希望だからな……」


 お父様は笑顔だけど少し寂しそうに見える。


 なんか今日はあたし達、見せつけられちゃった感があるのよね。夫婦愛とか、母子愛とか、父子愛とか。

 お父様は『息子が自分の得意な事を教わりたいと言って来たら嬉しいだろう』って言っていたし、息子が欲しかったんじゃないかな……。可愛がって貰ってはいるものの、息子と娘はやっぱり違うもんね。フィルとは結婚しないけど、いつかは嫁に行くだろうし。

 あたしもお父様に何か教えて貰えないかな。お父様の得意な事って何だろう……


 ……ヤバい。何も思い浮かばない。

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