第5話 夫人
今日は宮廷で王妃様主催のお茶会だ。婚約者で王太子のフィリベールと、フィリベールの1歳年上の姉サラ姫も参加している。
フィリベールはひと言で言うと天使。フィリベールと同じプラチナブロンドの髪にピンク色の瞳のサラ姫も、本当に可愛らしいお姫様だ。
絵になる姉弟ね。
今まではフィリベールに近付く女の子達に睨みを効かせて追い払っていたものだけど、少年に恋する気持ちがすっかり冷めてしまったあたしは離れた場所にいる。カロリーヌとしての感情も残っているから、好ましいとは思うんだけど……でも恋愛対象ではないわ。
「妃殿下、遅いですわね」
そんな声が出始めた頃、妃殿下はお風邪を召されたので欠席すると侍女から知らされた。
「一体何を考えていらっしゃるのかしら。ソフィア様がいらしているというのに欠席だなんて!」
お母様は憤慨している。
「そうですわねぇ。明日には領地に戻られてしまうのでしょう?」
「主催者がいないだなんて……」
クリサンセ伯爵夫人とフロロックス伯爵夫人も同意した。
「私の事でしたらお気になさらず」
ソフィア様らしき人は柔和に微笑む。
全体的にふっくらとした優しそうなおば様だ。
「ですが、こんな時にご病気だなんて日頃の行いが悪いとしか思えませんわ」
お母様の怒りは収まらない。
「本当に運のない方ですわねぇ」
「まぁ、そんな風に仰って頂けて光栄ですわ。ではせっかくですから、最近サロンで聞いたお話でも致しますね」
ソフィア様が空気を変えようとしているのが分かる。できる人だな~。
そうしてソフィア様が語ったのは地動説の話だった。
この世界ではまだ天動説が主流の様で、地動説について説明するソフィア様に他の御婦人達は、そんな馬鹿なと笑っていた。でもお母様は「ではなぜ空を飛んでいる鳥は地球の回転に取り残されないのですか」と疑問を投げた。
ほほ~、いい質問だねぇ。天才達もそれに答えられなかったんだよね。上に飛ばされないのは万有引力の法則で、後ろに行かないのは慣性の法則なんだよって教えてあげたいけど、ここで下手に口出しはしない方が良さそうだ。それ以上の事は知らないし変に天才扱いされても困る。あたしはゲイバーが作れればそれでいい。
ソフィア様も答えられなかったけど、お母様の議論しようとする姿勢に好感を持った様だ。
お母様は他にも、税率を低く抑えて外国の技術や物資を積極的に取り入れるべきだといった、租税貢納論の様な話に激しく同意していた。
「こういったお話ばかりしておりますの。もし興味がおありでしたら私のサロンへいらっしゃいませんか」
すっかり2人だけで話し込んでいた事に気付いたソフィア様が、話を切り上げるべくお母様に微笑んだ。
「ぜひお伺いしたいですわ」
ソフィア様のサロンに集まる人は、きっとこの世界の歴史に残る様な人達なんだろうな。あたしも行きたいわ。
……連れて行って貰えないだろうけど。
帰りの馬車の中でお母様に聞いてみる。
「お母様、今日お話しされていたソフィア様、凄いですね」
「あら、キャロルは賢いわね。子供でも分かるというのに、全くあの王妃は……本当に陛下は彼女のどこが良かったのかしら。ソフィア様はカリカルプ辺境伯夫人よ。とてもご立派な方でね――」
お母様はソフィア様を熱く語った。
翌日、朝食の席でお母様がお父様に報告をした。
「私、カリカルプ辺境伯夫人のサロンにお邪魔しようと思います」
「何かあるのか?」
普段お母様はサロンに行くくらいでお父様に報告なんてしないので、お父様は怪訝な面持ちだ。
「しばらく家を留守にしますので」
「まさか……ラプソンの町屋敷ではなく辺境伯領まで行く気か?」
「はい」
地図で見た感じ、カリカルプ領って結構遠かった気がする。
「馬車で8日はかかるだろう?」
そんなに!?
「国益になる様な情報をお持ちの方々が招かれているサロンですので、是非参加したいと思っております」
「だが……」
「ソフィア様は宮廷のお茶会の為に領地に帰る日程を変更して下さったというのに、主催者である王妃が欠席しましたの。王家にとって大事なお客様だというのに大変失礼な事ですわ。もう参加させて頂くとお返事してしまいましたし、今さらお断りしたらあの王妃と同じになってしまいます」
「そこまでして……分かった。いつ行くんだ」
「昼前には出る予定です」
「今日なのか!?」
「はい。領地へ戻られるご夫妻に同行させて頂ける事になりましたの」
お父様は「はぁ」とため息をついた。
「……気を付けて行け」
「はい。キャロル、良い子にしているのよ」
「はいお母様」
お母様、行動力あるわぁ。
そうしてお母様はカリカルプへ旅立った。
あたしの1日は、午前中に家庭教師のマダムと勉強、又はお母様に行儀作法を教わり、午後はダンスや楽器の練習をするか、お茶会に参加というのが主なスケジュールだ。
しばらくはお茶会にも参加できないし暇だな~。
お母様がカリカルプへ行った日、いつもより早く帰ってきたお父様と一緒に夕食をとる事ができた。
でも……会話がない。
ただ、早い帰宅が3日も続くと、あたしの為に早く帰ってきてくれているという事に気付く。そして会話がないのはそれが嫌な訳ではなく、娘と何を話していいのか分からないのだと悟った。ならば積極的に話し掛けよう。
「お父様、カリカルプ辺境伯夫人ってどんな方ですか?」
「辺境伯夫妻はあまりラプソンに出て来ないから夫人の事はよく分からないが、辺境伯にこの国は助けられているな。隣国をよく見張ってくれているので戦争を回避できた事が何度かある」
王家にとって大事ってそういう事か。
「今回はその辺りの情報でも取りに行ったのではないか?」
「なぜお母様が……?」
「さあな。大方、陛下のお役に立ちたいのだろう。妃殿下は政治に無関心だからな」
お母様って国王の事まだ好きなのかな……
「お母様は政治に関心があるのですか?」
「そうだな。若い頃からお義父様やお義兄様から色々と教わっていた様だ」
何の為に……と聞きそうになって口を噤んだ。王妃になる為だ。話を変えねば……
「お母様はお爺様が政治に興味がないと仰っていましたよ」
「お義父様は政治に興味がないというより、国王になる事に興味がなかっただけだろう。把握されていない訳ではないよ」
「お爺様に国王になって欲しいという人がいたんですよね?」
「ああ。よく知っているな。前の宰相がその筆頭だった」
なに!?
「キャロルは政治に興味があるのか?」
「はい」
「殿下の件といい、本当によく似た母子だな……」
お父様は料理へと目線を下げ、皮肉げに独り言ちた。
お母様が国王を好きになり、あたしがフィリベールを好きになった事を言っているんだろうな。申し訳ない……
朝晩2人だけで食事をとる様になり、10日も経つとだいぶ打ち解けてきて、お父様はだいぶ自然に接してくれる様になった。
今日も早く帰ってきてくれている。
「お父様、お仕事は大丈夫ですか?」
一緒に夕食をとってくれるのは嬉しいけど、その分しわ寄せが来るはずだ。
「はは。首になることはないから安心しろ」
いや、そういう心配じゃない……
「キャロルはお母様がいなくて寂しくないか?」
「大丈夫です。お父様がいて下さいますから」
「そうか」
お父様は、はにかんだ笑顔を見せた。
その瞬間、普段は厳しいくらいに感じる無表情なお父様の、気の抜けた素の表情に思わずドキッとときめいてしまった。
今までお父様に対しては父親であるという認識しかなかったけど、客観的に良く見たら顔の造りはだいぶイケメンじゃないの。あたしとしては国王より格好良いと思うんだけど。お母様にもそういう表情を見せればいいのになぁ。もったいない。
「お父様は若い頃、女性に人気があったのではないですか?」
まだアラサーだし今でも充分若いけど。
「どうしたんだ急に」
「だってお父様、格好良いですもの」
「………」
お父様は驚いているのか照れているのか分からない顔で絶句している。
「私もお父様に似れば良かったのに……」
あたし、瞳の色以外は残念ながらお母様似なのよねぇ。お母様が不細工という訳ではないけど、ちょっと顔がキツめなのよ。
「何を言う。こんなにも美人だというのに」
仲の良くない妻に似ていても、1人娘だと可愛く見えるものなのかしら。まぁでもそう言ってくれるなら有難く受け取っておこう。
「うふふ。嬉しいです」
お父様は顔を綻ばせた。
「キャロルは本当に可愛いよ」
「ありがとうございます」
その翌日、お母様が帰ってきて、夕食の席で久しぶりに家族3人が揃った。
「もう少しゆっくりして来れば良かったのではないか?」
確かに、2泊しかしないで帰って来るとはなかなかの強行軍だ。
「何か不都合がありましたか?」
お母様は『早く帰って来て悪かったわね!』とでも言いたげだ。何でそうなる……
でもお父様は慣れたものでそれをスルーした。
「あちらはどうだった?」
「それが……植物学者の方のお話では、麻薬になり得る植物の取引が最近隣国で盛んに行われている様なのです。もしこの国に入って来る様な事になれば由々しい問題かと」
「では明日にでも陛下に報告しよう」
「いえ、あちらに滞在中すぐに国境の取締りの強化をお願いする手紙を出しましたので、それには及びません」
は!?
「……そうか」
お母様……仕事だったらパーフェクトだよ。
でもそんな事したらお父様の立つ瀬がないじゃないの! 男には面子ってものがあるのよ!! 何やってんの……もう。
翌日からまた、お父様の帰りは遅くなった。
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