第2話 祖父
生死の境を彷徨ったらしいあたしだけど、もうすっかり元気になった。
「明日からキャロルを連れてヘリオストロープに行って参ります」
朝食の席で、お母様がお父様に報告していた。
「そうか。お義父様によろしく」
「はい」
初耳だわ。子供のあたしは予定なんか聞かれないし、拒否権なんてないのね。でもそっか、今年もお爺様の所に行く時期か~。
毎年夏から秋の終わり頃まで、あたしとお母様はお母様の実家であるお爺様の領地へ行く。
そういえば、聡としての記憶が入り込むまで疑問に思わなかったのだけど、ピーコメック家にも侯領があるのに当主の夫人であるお母様はそちらに行かなくていいんだろうか。お父様は両親共まだ健在で、領地の運営は主にお爺様達がやっているから実務としての問題はないみたいだけど、嫁としてそれでいいのかという問題がね……
お母様の父親であるお爺様、レノー・カンパヌラスは前々国王の次男で、実はあたしと婚約者のフィリベールは又従兄弟同士だった。キスどきゅにはお母様もお爺様も出て来なかったし、そういった説明もなかったので驚いたものだ。カロリーヌとしては、フィリベールと血の繋がりがあるらしい事は知っていたけど、親戚付き合いの様なものが無い為ぴんときていないまま婚約した。
お爺様は結婚する時に父王から公位と領地を授けられ、ヘリオストロープ公となったらしい。ヘリオストロープというのは公爵名の元となった都市の名前で、お爺様の領地で一番大きい街だ。お爺様の住むお城もそこにある。
お婆様はあたしが小さい頃に亡くなってしまったので顔はあまり覚えていないけど、コバルトブルーの髪で、優しい人だった気がする。
お爺様とお婆様の子供はお母様とその兄の2人で、伯父様は現在、お爺様の従属爵位のヴルガリス伯爵を儀礼称号として使っている。
翌朝、あたしとお母様は侍女や従者を連れてヘリオストロープへ向かった。王都ラプソンからヘリオストロープまでは馬車で5日かかるので、途中の街で4泊する。
慣れた道程なので特に問題なく、日が暮れる前に無事お爺様のお屋敷に到着した。
お爺様の屋敷はカンパヌラス城と呼ばれている白亜の城だ。敷地も建物もとにかく広くて、部屋数なんて数えきれないし、もはや家というレベルではない。
跳ね橋を渡って前庭を抜け、城の前に停められた馬車を降りると、お爺様と従兄弟達が出迎えてくれた。
伯父夫妻には2人の男の子がいて、兄弟のいないカロリーヌにとって従兄弟の2人は兄の様な存在だ。明るいコバルトブルーの髪と紫色の瞳のエメリック兄様はあたしの5歳年上で、濃いコバルトブルーの髪と紫色の瞳のジスラン兄様は1歳上。
そう、1学年先輩となるジスラン兄様はキスどきゅの攻略キャラなのだ。まさかカロリーヌの従兄弟だったとはね……。こちらもゲーム内での説明はなかった。
でもフィリベールとジスランが親戚関係である事のヒントの様なものがなかった訳ではない。この世界では髪や瞳の色が多彩なので気にしていなかったけど、フィリベールとジスランは同じ紫色の瞳だった。緑かぶりのキャラもいたし、たまたまだと思っていたけど、この世界に来てみて、緑は割と多い色で、紫はとても珍しい色だと知った。この国の最初の王様に起きた突然変異だったらしく、紫の瞳を持つのは王家の血を引いている者の特徴なのだ。
そして、この世界では男の子は必ず父親の瞳の色を受け継ぐ。あたしもお母様もたまたま父親と同じ色だけど、女の子の場合は父母どちらかの色を半々位の確率で受け継ぐらしい。両親の瞳の色が混ざり合うという事はない。
ちなみに髪の色は男女関係なく両親どちらかの色になり、あたしもお母様もお爺様譲りの淡いブラウンだ。
ゲームの中のジスランは、表向きクールな優等生だけど実は腹黒くて裏の顔を持つキャラだった。そして親が内々に決めた婚約者がいるせいで学園で恋愛ができないという設定になっていた。政略結婚なのか、婚約相手の侯爵令嬢を疎ましく思っている様子だった。
ジスラン兄様には今の所まだ婚約者はいないみたいだし、腹黒い感じもないのだけど、何かあってこれから腹黒くなるんだろうか……。カロリーヌの記憶の中のジスラン兄様はいつも優しいお兄ちゃんだったので、なんだかイメージが変わってしまった。
「ごきげんようお父様」
「おかえり、マルティーヌ、キャロル」
「お久しぶりですお爺様」
「キャロル……元気になって本当に良かった。疲れただろう。さあ入れ」
形のいい口ひげを蓄えているお爺様は、紫の瞳を細めて優しい眼差しでそう言うと、あたしの頭を撫でた。
邸の中へと促され、みんなで応接間に移動する。
気心の知れた執事レジスの淹れてくれたお茶を飲みながら、お母様がお爺様に尋ねた。
「お兄様とお義姉様はいつ頃いらっしゃるのですか?」
「予定が長引いてまだ海外だ。この夏はこちらには来ないだろう」
「そうですか」
ジスラン兄様をちらりと見る。
「なに? キャロル」
こっそり覗き見たあたしの視線に気付いたジスラン兄様が、不思議そうな表情で尋ねた。
「寂しくないですか?」
「大丈夫だよ」
ジスラン兄様は少し驚いた様子でそう答えた。
あたしはお母様と一緒にラプソンとヘリオストロープを行き来しているけど、この2人はずっとお爺様の城に住んでいて、伯父様夫妻だけラプソンの町屋敷から行き来しているのだ。エメリック兄様はもう14歳だから親がいなくても寂しくはないだろうけど、ジスラン兄様はまだ10歳だからねぇ。たまにしか会えない両親に夏も会えないなんて寂しいんじゃないかと思ったけど、全く平気らしい。
病み上がりのあたしを気遣ってくれてか、今日は少し早目に夕食を取り早く休む事になった。
準備が整ったという知らせを受けて、絢爛豪華なダイニングルームへ移動する。金の額に入ったたくさんの絵や、大きなシャンデリアがキラキラしているここでは、かつて晩餐会を開いたりもしていたらしい。
いつも帰りが遅いお父様とは夕食を一緒に食べられる事があまりないから、大抵お母様と2人で食べているけど、やっぱり食事は大勢で食べた方がおいしい。お父様は今日も1人で夕食を食べているのかな……
翌朝、お爺様、お母様、従兄弟の2人と朝食をとる。
「ゆっくり休めたか?」
お爺様がお母様とあたしに尋ねた。
「はい。ぐっすり眠りました」
お母様がそう答え、口の中に料理を入れたばかりのあたしは大きく頷いて返した。
「そうか」
お爺様は満足気に微笑んだ。
「キャロル、何かしたい事はあるか?」
「街に行きたいです!」
「いいぞ。では馬で行くか」
「はい!」
朝食後、お爺様と馬に乗って、従者を2人従え街へ出た。沿道の至る所に花壇があり、おとぎの国の様な美しい港街だ。
街の中心地に着き、従者の1人に馬番をさせて歩いてみる事になった。ラプソンでは街歩きなんて絶対させてもらえないので、これはチャンスと思いお爺様に強請ったのだ。
お爺様と手を繋いで進み、花屋の前に差し掛かると、大きなたんぽぽの綿毛の様な紫色の花が目に入り、釘付けになった。
うわ~不思議な花。
「お爺様、初めて見るお花がいっぱいです」
「異国から入った品種だろう。まだラプソンにはないかも知れんな」
珍しい花をしばらく眺めていると、目の前に可愛らしいブーケが差し出された。目線を上げると、この店のおかみさんらしき中年の女性がにっこりと微笑んでいる。
「お嬢様どうぞ」
「わぁ綺麗! ありがとう!」
「代金を」
お爺様が従者に目配せして支払いを命じると、人の良さそうなおかみさんは慌てて両手を振った。
「そんなそんな、お代は結構です。贈らせてくださいませ」
「そうか、では頂こう」
露店の多いエリアに入り、漂ってきた香ばしい匂いに引き寄せられて歩みを進めると、肉の塊が回しながら焼かれていた。ドネルケバブにそっくりで思わず立ち止まる。
おいしそう……。
「これは公爵様とお姫様! おひとついかがですか?」
「キャロル食べるかい?」
「食べたいです!」
やったー! お母様は露店の料理なんて絶対に許してくれないわ。
中を割いた半円形のパンに、削いだ肉とグリルした野菜を挟んだ物を受け取る。
やっぱりドネルケバブだ。久しぶりのB級グルメー!
「おいし~」
「そうか。代金を」
お爺様が従者に目配せすると、お店の人に止められた。
「めっそうもございません! 領主様とお姫様に召し上がって頂けるだけで光栄な事ですから」
「では大いに宣伝するといい」
「ありがとうございます!」
あら、この店は今日から領主御用達になるのかしら?
さすがに歩きながら食べる事は許されず、海の見える広場のベンチに座らされた。
ここへ来るまでに「可愛いお姫様ですね」「なんて愛らしいお嬢様でしょう」そんな言葉をもらい、お爺様は明らかに嬉しそうだ。この世界で平民が貴族に話し掛けるなんて事はなかなか無いはずだけど、お爺様はしょっちゅう街に出ているらく、この街の人は公爵である事を分かった上で臆すること無くお爺様に話し掛けている。
でもお爺様、それお世辞ですよ。あんまり嬉しそうにしないで……
食べ終わってそろそろ行こうかと立ち上がると、慌ててやって来た恰幅のいい町人がお爺様の前に膝を突いた。
「領主様、この度は山道の整備をして頂きありがとうございました。おかげ様で雨の後も迂回せずに荷を運べる様になり大変助かっております」
「あそこは度々崩れていたからな」
「よろしければこちらをお嬢様に」
差し出した箱を開けて見せられたのは、大きな宝石が付いた1粒ネックレスだ。お爺様の瞳と同じ紫色だ。
「ほう。これは値が張るのではないか?」
「今回仕入れた物の中でも特に良い品です」
この人は宝石商かしら。裕福そうな身なりだわ。
「では邸に請求を」
「いえいえ。迂回にかけていた労力や費用を考えれば充分お釣りが来ますので。どうかお嬢様に。きっとお似合いになられます」
「ふむ。……分かった。貰うとしよう」
「はい! ぜひ」
そうしてお爺様が箱を受け取ると、宝石商らしきおじさんは一礼してにこやかに去って行った。
「キャロル付けてやろう」
お爺様はそう言ってあたしの首にネックレスを付けてくれた。
「まだ少し大きいな」
大人の女性が付けるやつだよね。高そう。
「もらってしまって良かったのですか?」
なんというか賄賂っぽい。
「まぁそのうち橋をかけてくれと言って来るだろうな」
「!?」
やっぱり賄賂だった! しかも滅茶苦茶高くついてる! あいつ、とんだ狸親父だ……
「気にするな」
はははと笑ってお爺様はあたしの頭を撫でた。
「ありがとうございます……」
お爺様、孫に弱すぎない?
その後も街の人達からお菓子や雑貨などをプレゼントされ、従者の両手は荷物でいっぱいだ。
再び馬に乗って帰路に就く。歩き疲れてお腹もいっぱいで瞼が重くなってきた。
子供だからなのか女の子だからなのか、この身体すぐ眠くなるのよね。
「ふわぁ~」
大きなあくびが出てしまった。マナーに煩いお母様がいたら間違いなく怒られている。
「キャロル眠いか?」
「少し……」
「寄りかかって寝るといい」
手綱を握っていたお爺様の手がお腹に手が回され、身体を預けると暖かくてすぐに眠りに落ちてしまった。
揺れが止まって目が覚めた。
着いたのかな……
「おかえりなさいませお父様。あら、キャロルは眠ってしまったの? 大変でしたでしょう」
お母様の声だ。
目は覚めているのに瞼が重くて開けられない……
「可愛い寝顔だ。嫁にやりたくないな」
「お父様……」
「お前は、本当にこれで良かったのか?」
「ええ。この子とあの人の為になるのなら……」
「……そうか。何かあったらすぐに言え」
「はい……」
あの人って誰だろう……?
父親と接する機会の少ないカロリーヌにとって、お爺様は父の様な存在でもある。だがしかし、お爺様にとっては孫なのだ。やはり厳しさに欠ける。むしろ厳しくされた覚えが全くない。甘えさせてくれて何でも叶えてくれる。昨日だって、きっと似合うなんて言われてもらっちゃったネックレスで、とんでもない代償を支払わされるかも知れないのだ。
恐らく、あたしが誘拐されたらいくらでも身代金を払ってしまうだろう。身の安全には気を付けよう……
「どうしたのキャロル、元気ないね」
考え込んでしまっていたあたしに、エメリック兄様が声を掛けた。
あたしは今、エメリック兄様、ジスラン兄様と共にグラウンド並みの広い庭を眺めつつ、テラスでおやつを食べている。
「私のせいでお爺様が橋を造らされるかも知れないのです」
2人に昨日の出来事を話した。
「あぁ、それなら大丈夫だよ。橋を欲しがる宝石商といえばオディロンだろう。でもお爺様は既に馬車の通れる大きな橋を作ろうとしているんだ。そこは今、吊り橋しかないから大きな荷物が運べないんだけど、完成すればかなり物流が良くなる。危険な場所だから技術のある人を探すのと、後から隣の領主に『自分の領を経由していた通行者が減って税収が減った』って文句を言われない様に根回しも必要だったから時間が掛かったんだけど、そろそろ始められるんじゃないかな。でもただ作るより、領民からの願いで作ってやったとなれば感謝されるし恩も売れるから、逆に良かったと思うよ。特にオディロンはこの辺りの顔役だしね」
なんと! お爺様の方が上手だった!
そしてお爺様がなぜあんなにも街の人達に愛されているのかよく分かった。統治の仕方が上手いんだ。
人の為になる事をするのは美しくはあるけど、黙ってやってあげるだけじゃそれが当然だと思われる様になる。でも押しつけがましくなるのは駄目だ。さりげないアピールで相手の感謝を引き出し、売れる恩はどんどん売るというのが商売の鉄則。夜の店で働いていた今なら分かる。昨日のお爺様とオディロンのやり取りは、まさにその駆け引きだったのだ。
お爺様は今回はあえて恩を買ってあげたという事か。オディロンの願いを叶えて橋を掛けてやったとなれば、向こうも自分の領主への発言力を周りに自慢するだろう。そうなればオディロンは橋が出来て助かるだけでなく、周囲からの評価も上がって良いこと尽くめだ。宝石の1つくらい安いものかも知れない。
「よかったです」
「キャロルはそんな事を気にする様になったんだね」
エメリック兄様に頭を撫でられた。
嬉しいけどこの程度で褒められるなんて……普通は気にするよ?
でも確かに今までのカロリーヌなら「綺麗な宝石! お爺様大好き!」で終わっていたな。
お爺様に限らず、この邸ではみんなカロリーヌを蝶よ花よとちやほやする。女の子供のいない伯父夫婦も、年下の女の子だからと我儘を聞いてくれる従兄弟達も。
ちなみに、お母様は難産の末あたしを産んだそうで、元々は死産を覚悟する様に言われていたらしい。無事に産まれて来られただけでも幸運なのだと聞いた事がある。なんかもう、成長するだけで喜ばれる、そんな感じだ。
ここは悪役令嬢を育む環境が整い過ぎている。このぬるま湯に慣れてしまわない様に気を付けねば……人間、楽に慣れる時と落ちる時はあっという間なのだ。
「でもエメリック兄様、よくご存じでしたね」
「僕はあと半年位しかここにいられないから、今のうちにお爺様が色々教えてくれているんだ」
あぁ、ミスルト学園に通う為にラプソンに引っ越すからか。
「私も早く勉強がしたいです」
「何の勉強?」
ゲイバーを作るのに必要な事は……
「この国の税についてと、土地建物の売買の方法でしょうか」
あとお酒の仕入れも。
「「ええ!?」」
エメリック兄様とジスラン兄様がハモった。
エメリック兄様が困惑気味に尋ねる。
「何でそんなこと知りたいの?」
「興味があって……」
「僕が知っている事で良ければ教えるけど……」
「本当ですか!? お願いします!」
「税は……領によって大分違うけど、うちの領の農民だったら、主に人頭税と農地代かな。その他に水車なんかの使用料や移転、結婚、死亡、相続で別に税金を徴収しているね」
人頭税って収入に関係なく全員同じ額納めなきゃいけないっていうやつか。
「貧しい家は厳しいでしょうね……」
娯楽に使えるお金なんてほとんどないだろうな。
「飲食業の場合はどうですか?」
「ん~思いつくのは人頭税と納付金の他に営業免許税、もし他領から食材を仕入れるなら通行税と関税かな」
「同じ国内なのに関税がかかるんですか!?」
「うん。だからお爺様は、橋を造る前に下流の領主に根回ししたんだ」
「通行する人が物を買ったり泊まったりする事で落ちるお金が減る事なのかと思っていました」
「それもあるけどね。でも一番変化が分かりやすいのは川を渡る為に納める税が減る事だろうね」
「橋の通行料ですか?」
「いや、川はどこからどう渡っても税がかかるよ。船でも浅瀬を歩いてでも」
「!?」
貴族って鬼だな……
食材は地産地消で何とかなるとしても、お酒はそうもいかないだろう。そもそも車だってないから輸送に時間が掛かるし、その間の馬と人の食費や宿泊費が上乗せされる。なのに行く先々で税金を取られたらたまったもんじゃない。結果的に売値を高くするしかないわよね。
「王都の物価って相当高くなっているのではないですか?」
あーでも、逆に近くで生産した物を遠くから運んだという事にして貴族からぼったくるという技が使えるか……
「そうだろうね。しかしキャロルは賢いねぇ……」
はっ! あたしたぶん今、子供らしからぬ事を言っている。そしておそらく悪い顔をしている!
「エメリック兄様、ありがとうございました!」
話を変えねば。……そうだ!
「か……川と言えば、小川に行きませんか?」
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