第23話 動揺する心

 バーンと音を立てて猫カフェのドアが開くと、やや年配の男性が高校生の男の子の腕を引っ張って入って来た。

 窓際にいた聖子さんとまこくんは、入って来た二人組を見ながら、何故か言い争っていた。そして二人が大声で話す間に、猫達が一斉に3階にある居住空間に逃げ出し…。え?って感じになって…その後には人間の声だけが響いていた。


「だから…。どっちなの?」と聖子さん。

「分かった。分かった。答えは…高校生の方ですよ。」とまこくん。

何だかほっとしたような、でも戸惑っているような表情だった聖子さんだったけど、何かを決めたようなきっぱりとした口調で入って来た二人に向かってこう言った。


「あらあら…。素敵な親子の登場ね?省吾さん、今日はお仕事はどうしたの?涼平も受験勉強は?」


え?旦那さんと息子さんなの?って叫んじゃいましたよ、私は…。

私は、木戸美優。さっきまで聖子さんやまこくんの恋バナを聞いていたから、急にリアルなその相手と向き合う形になってしまい、少し戸惑ってしまった。

市井君のコーヒーを作りに厨房に入っていたあんこちゃんもこの二人を見て驚いたみたいだった。

あれ?ちょっと顔色が悪いかな…?


私が声を掛ける前に、様子がおかしいのに気づいたのか、市井君がすかさずあんこちゃんの近くに駆け寄り、肩に手を掛けた。

「どうしたの?気分が悪いの?猫ちゃん達もお家に戻ってしまったようだし、ちょっと上に行って休んだ方がいいんじゃない?」

市井君は、紳士だなぁ。あんこちゃんの肩に手を掛け、もう一方の手はあんこちゃんの手を支えている。

あんこちゃんは俯いたまま、肯いた。市井君は慣れた様子で居住空間につながるドアを開けると、私に「ここが落ち着いたら上がって来てね。」と言い残し、そのまま登っていってしまった。


残った4人に目を向けると、なんだか面白い感じになっていた。


「聖子さん、あんこちゃんの応援って言いながら、もしかして…もしかして…浮気してたの?俺下から見てたよ?二人抱き合ってたじゃん?」

「あら、転びそうになったところを助けてもらってただけよ…」

旦那さんは、よっぽど聖子さんが好きなんだな…。これは、やきもちだよね?

やっぱり誰にも盗られたくないってやつですか?ふふふ。仲いいなぁ。

聖子さんの旦那さんは、話しながらも、わざとらしくまこくんと聖子さんの間に入り込み、そう…二人を遮る様に自分の身体の位置をずらして、物理的距離を離そうと必死になっている。


まこくんの目線は、息子さんにくぎ付けだ。高校生なのかな?紺色のブレザーとグレーのパンツ、ネクタイは紺とグレーとレッドの斜めストライプの制服で、シャツやパンツにはビシっとアイロンが掛っている。いかにも育ちのよい家の子って様子で小顔で切れ長の二重、父親に似た鼻筋の通った鼻、口元は聖子さん似だろう、ふっくらと厚めだけど小さい唇、180㎝位はあるかもしれない細めですらっとしたいい体形…きっと将来はモテるだろう…。


まこくんの喉がゴクっと鳴った。

「初めまして、僕、神原誠って言います。カメラマンをしています。今は、あんちゃん…いえ、このお店のホームページの撮影のためにこちらにお邪魔しています。」

営業スマイルで自分の名刺を息子さんと旦那さんに渡している。

おいおい、名刺を渡す順番が違うだろう?なんで息子さんが先なの?


「本気は分かったわ。不本意だけど、でも絶対応援するわ!」

何でだか盛大な溜息を吐いた聖子さんは、この言葉とともにまこくんの背中をポンと叩いた。


「あー私は名刺を持参していないので、今日はご挨拶だけで、申し訳ございません。岡島省吾と申します。このお店に出資をしている者です。この度は、Web制作に関していろいろとありがとうございます。この件に関しましては、平澤さんに一任しておりますので、あとはよろしくお願いいたします。では。

さぁ。聖子さん。もう帰ろう…。さ!涼平も帰るよ!」


大人の対応なのかと思えば、やっぱり聖子さんをこの男から離したくて仕方ないようで、この後ご夫婦間で揉めなきゃいいけど…。


3人がお店から出てしまうと、本当の静寂が訪れたような気がした。

そうだ、あんこちゃん、大丈夫かな?

「ちょっと上を見に行ってくるね。」

ふやけた表情のまこくんに言い残して、私は居住空間に繋がっている階段を登って行った。初めてのお宅訪問…なんだけど、あんこちゃんの様子が心配だ。


◇◇◇


「だいじょう?顔色が悪いよ…。何か飲み物でも…。」

「すみません。市井さんに淹れたコーヒー冷めちゃいましたね。きっと…。」

「俺の事は気にしないでいいから…。それよりも…。

 あ!もし嫌じゃなかったらキッチンに入って何か作ってもいいかな?」


久し振りに見た省吾さんの姿に動揺した私は、何も考えられない状態だった。

「大丈夫です。お気遣いありがとうございます。」

私をソファーに座らせると、市井さんはキッチンに入ってしまった。


思考がまとまらない。

手の震えが収まらない。

手が自分のものでなくなってしまったようだ。


震えを止めようと硬く握りしめていた両手に市井さんの手が触れた。そっと片手で私の両手をほぐすと、もう片方の手で持っていた白い液体が入った温かいマグカップを渡してくれた。


「飲んでごらん。落ち着くよ。」


甘いホットミルクだった。

一口飲むと、身体全体に温かさが沁み込んできた。気持ちが落ち着いて来るのが分かった。

私の隣に座った市井さんの顔が何となく見れない。何かを言いたいけど、言葉に出来ない。

ゆっくりとホットミルクを飲みながら、部屋を見渡した。

いつもの自分のリビング…。猫ちゃん達は、思い思いの姿勢で転がっている。座ったり、寝そべったり、キャットタワーの一番上には相変わらず花ママがごろんと横になっている。


「可愛いね。何だか癒されるね…。」低くくて優しい声の市井さんが話している。



「お邪魔します…」美優さんが下から上がって来てくれたようだった。

市井さんは、立ち上がり「じゃ。俺は下に降りるね。落ち着いてから戻ってきたらいいよ。何かあったら声を掛けるからさ…。」そう言うと私の肩に一瞬だけ手を置いて、美優さんと入れ替わるように下へ降りてしまった。


「大丈夫?それにしても、聖子さんご夫婦はとっても仲がいいみたいね。息子さんもとってもイケメンだったし…。」

美優さんが話しているのに、私は言葉を返すことが出来ない。

自分の頬に熱いものが流れている…。


「どうしたの?なんで泣いてるの?」

急に泣くなんて、訳が分からないだろう…美優さんを困らせてはいけないって思っても、涙が止まらない。


「とりあえず、話しを聞かせて?お店はどうする?一旦閉めちゃう?アルバイトさんはいつ来るんだっけ?あ!この時間ならもうすぐ来るよね?」


独り言を呟きながらお店の段取りを決め、携帯電話で下にいるだろう市井さんやまこくんと連絡を取り合ってくれた。アルバイトの森さんは定刻に来てくれていたようだ。最近雇った森さんは40代の主婦の方だけど、コーヒーを美味しく入れてくれる働き者だ。もちろん猫ちゃんも大好きと言ってくれている。


テキパキと調整をしてくれている美優さんを見ながら、自分に嫌気がさしてきた。

「市井くんもまこくんも今日はもう帰るらしいよ。これでゆっくる話せるね。」


気付くと猫達の大半は2階の猫カフェエリアに戻ってしまったらしい。

きっとお客様もいらしているのだろう。

キャットタワーの一番上には、降りていかなかった花ママがいる。でも寝ているようだ。


「美優さん、聞いてくれるかな?」

私は省吾さんのことを全て話したくなった。そう、誰かに聞いて欲しかったんだ。




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