第7話 奪われたもの

 外の階段を二人がゆっくり登てくるのが分かった。俺たちは、急いで話し合ったんだ。あんこを守ることが出来るのは、俺たち猫しかいない。ここは陣形を作るしかないだろう。そう、今から戦いが始まるんだ。


「鶴翼の陣でいくぞ!」おやじがどなった。

『鶴翼の陣』これは、両側の翼を前方に張り出して『V』の形を取る陣形だ。

日本の昔のお侍さん達が戦闘力を最大限に発揮するために人員を配置するためにつくったとっておきの戦い方の一つとも言われている。いろいろな戦い方ってあると思うけど、特にこの陣形は、中心に大将を置き、敵が両翼の間に入ってくると同時にそれを閉じて包囲し、壊滅することが出来るすごい戦い方なんだ。相手より兵力が劣っているときには使えないけど、こっちは11匹もいるから有効なんだってさ。

四男の小夏君がググって教えてくれた。あいつはインテリなんだよな。


 ドアを開けて二人が入って来た。笑いながら、和やかな雰囲気で猫エリアにそのまま入ってくる。つい俺は自分の口回りをぺろりと舐めてしまった。緊張してんのさ。

 おやじの太いしっぽが「バン」と床を叩いた。それを合図に俺たちは、すっとあんこの周囲を固めた。あんこの目の前には二匹、長女の茶々ちゃんと長男のシャーアズナブル君が立った。あんこの足元には四男の小夏君と次女のだいちゃんがすり寄っていった。茶々ちゃんとシャー君に何かあったら、すぐにあんこを守るために前に出られるように…。左側にはハッピーおやじと次男レパード君、右側には俺ロイミと三男ちょび髭君、少し離れた場所には花おふくろと末っ子ミミちゃんと六男きなこ君が待機していた。おふくろは戦闘が嫌いで、ミミちゃんときなこ君はとろいから戦力外ってとこだな。


「あらー、本当に可愛い猫ちゃん達ね…。」

その女性の声は少しハスキーで優しかった。猫が好きなのだろう、あんこの前に立ちはだかる猫に自分の手の甲を差し出した。茶々ちゃんが警戒しながらも手の匂いを嗅いだ。

 猫ってさ、凄く警戒心が強いんだ。だから初めて会った人に急に頭を撫でられると、つい手で払いたくなる。それか触れられないように、姿勢を崩して逃げるんだ。まずは、相手の匂いを嗅いで危険がないかを判断するのが猫の初見セオリーなんだよ。でも、この人はまず手の甲を差し出したってことは、相当の猫手練れと考えていい。ほら、もう茶々ちゃんは警戒心を解いてしまった。

 茶々ちゃんが女性の方へふらふらとすり寄っていくのを見た小夏君がすぐにあんこの前に出た。まだ戦闘できる体制だ。


「ご主人を本当に好きなのね?守ろうとしているわ。大丈夫よ、何もしないわよ。」

 ちょっと不敵な笑顔を作るとあんこに向き直って話しかけた。

「何か飲むものを注文してもよろしいかしら?カフェオレお願いできる?」


 あんこはいつも通りの対応をしながら、注文されたものを作りに厨房に行ってしまった。その間、俺たちはじっくりとその女性を観察していた。

 年は、40代くらいだろうか。隠していても白髪があるのが分かる。金色に光る髪は大体白髪だからだ。品のいい香りもする。きっと香水をつけているんだろう。化粧はけばくないけど、念入りにやってきたって感じで、よれていない。アイラインがくっきりと入った瞳の周りを見ながら、俺たち猫の目の周りと同じだなって思った。俺たちアメショは、目の周りが白く縁どられていて、この女性の真逆になっているけどな。

 おふくろが小さな声で話しかけてきた。

「この女性、省吾さんと同じ匂いがするわ。きっと関係者よ。」

 俺たちは、ちょっと緊張した。修羅場?なんてことになったら、戦わなくっちゃいけない…。


「お待たせ致しました。こちらに置かせていただきますね。」

 あんこが飲み物を飲むブースのテーブルにカフェオレを置いた。


「ねえ?猫ちゃん達に差し上げたいものがあるんですけど…。」

その女性は自分のブランドカバンをごそごそして小さな袋を取り出した。

「いえね、本当は猫カフェが目的だったんじゃないのだけど、ちょっとお土産にと思って…」

 俺の本能が牙を剥いた。あれは…あれは…。

「これ、マタタビなんですよ。猫ちゃん達にどうかな?って思いまして…」


あー、こんな時にこんなブツを出すなんて。なんて策士なんだ…。頭の片隅で思うが、本能は止められない。他の猫達もしっぽを立てて興味津々で近づいてきている。あんこが微笑んでいるのを見て、了解したと思ったのか、その女性はエサ皿にその魔法の粉を入れた。とたんに俺たちは警戒心を破壊され、下僕のように粉の周りに集結してしまった。あー、抗えない…。


 女性は飲み物ブースに腰かけると、カフェオレを一口飲みにっこりと笑ってから切り出した。

「あら?とっても美味しい!豆にこだわっていらっしゃるのね?初めまして…。私、岡島聖子、省吾さんの妻です。この度は謝りに来たの。主人が本当にいろいろとご迷惑をお掛けして申し訳御座いませんでした。さあ座って?」

 マタタビに酔いしれている目の端にあんこの姿が見えた。二人が何を話しているのか、うまく聞こえない。あんこを守りたいのに、猫の性が俺たちをこの場から離さない。


「お二人にはお二人の事情があったと思うのよ。でもって私もいろいろ思うことがあるわ。でもね、どうしてもあの人が『あんこちゃん』って呼ぶ杏子さんにお会いしたかったのも事実なのよ。省吾さんが思い入れる人に一目会いたかったの。本当に突然でごめんさない。このお店のことも聞いているわ。何をどうしようとかじゃなくて…。」


あんこが泣いている。声も出さずに涙だけこぼしている。本当は入ってはいけないブースに茶色の少し痩せた猫が入っていくのが見えた。少し正気に戻ったらしいきなこ君があんこの足元にしっぽを立てて寄っていく。あんこは怒らない。怒る余裕がないようだ。きなこ君よろしく頼む…。このマタタビは、いやー本当にいい…。


「申し訳ございません。奥さまにはなんて言っていいか。私がいけなかったんです。省吾さんに頼ってしまって…。」


◇◇◇


 杏子さん、いえ、あんこちゃんにお会いしてから、私はずっと感じていた。この人はユニコーンのような人だ…。いやユニコーンに唯一触れることのできる無垢な処女ってこんな女性なんだろうなぁって。29歳って聞いていたけど、童顔で20歳過ぎと聞いても頷いちゃうくらい可愛い顔をしている。さらさらのストレートの髪、細いけど発達した体形、何よりも穢されていないって感じの清楚な雰囲気…。

きっと世の男性はこんな女性を好きになるのだろうって思ったわ。省吾さんが匿ってしまう気持ちが分かった気がする。そして省吾さんが手が出せなかった理由もそれなんだわ。穢したくないって、守りたいって思わせる女性なのよね。とっても羨ましい…。

 それにここの猫ちゃん達は、かなり愛されている。ご主人の危機を本能で悟って守ろうとしているのが、なんとなく感じられたわ。私もこの子を守りたいなってなんでだか思っちゃったくらいだもの。もう、省吾さんなんていいから、私の方に気を向けて欲しい。


「省吾さんのことは、もういいのよ。私達夫婦の問題は、これから解決していくわ。でもね、やっぱり今後は二人だけで会ってほしくはないのよ。このお店のことも、できれば私が援助させてくれないかしら?

もう軌道に乗ってきていることも知っているんだけど、ホームページとかやっていないでしょう?もう少しマーケティングを考えてもいいかなって思うし。出来れば、経営についてビジネスとして関わらせてもらえないかしら?」


「そんな…。私がしたことを考えれば、もっと詰って頂いてもいいくらいですのに…。このお店だって、取り上げられても文句なんて言えませんのに…。有難いお言葉です。」

「うん、まずはWebとかで宣伝を考えていきましょう。いい人を紹介するから…。また、私もここに来てもいいかしら?私猫ちゃんが大好きなのよ。また、連絡させてね。」

 カフェオレを飲み干すと女性は立ち上がって、あんこと握手をした。きなこ君が相変わらず足元にいる。何かあれば、二人の間に入って爪を立てる位はできる姿勢だ。

 握手した手をその女性は少し手前に引いた。あんこは引っ張られると思っていなかったようでバランスを崩した。

 そして、二人は……接吻をした。わーわーわー。


 あんこの唇が奪われてしまった。

 シャー君が小さく「シャー」っと怒った。

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