あの本
石海
あの本
僕は本が好きだ。物語でも、エッセイでも、図鑑でさえも。
あらゆる本から得られる知識が、僕に強さを与えてくれる。そう信じている。
小さい頃から本ばかり読んできた。友達も少しはいたが、高校に入ってから僕へのいじめが始まって皆離れていった。しかし、それを悔やんだり、友人を恨んだりすることはなかった。
本さえあれば、それでよかった。
高校一年の終わり頃、僕はその本に出会った。
よく通っていた古書店が閉店するらしく、店を営んでいたお爺さんから「好きな本を持っていってくれ」と言われ店内や裏の倉庫を物色していた時だった。
床に山積みにされた本の一番下、誰も気が付かない様な場所にひっそりと置いてあった。
なんらかの金属で装飾された表紙は紙ではなく、白塗りの木材のような硬く滑らかな物で、分厚く、大きなその本の重量に拍車をかけている。
裏表紙や背表紙には何も書かれておらず、表紙の真ん中に小さく名前が彫られている。中の文字も表紙の文字もその時は読めなかったが、それでも僕はその本に惹きつけられた。
それから一年の間、僕はその本だけを読み続けた。独学でフランス語を勉強し、本を読み、分からない単語や文法を調べ、また本を読んだ。
エイボンという人が書いたこの本は読めば読むほど、知れば知るほど、理解に苦しむ内容ばかりが延々と書き連ねてあった。
聞いたこともない神とその眷属、それによってもたらされる災厄と祝福、その悍ましい信仰と崇拝。或いは世界を揺るがすほどの超常の技術、人の歴史を否定するような恐ろしい真実、正気を蝕む邪悪な思想。
一年余りかけてそれらの内容に触れ、理解しようとした。理解してはいけないことはわかっていた。だからこそ理解しきる前に踏みとどまった。押し入れの奥に封じ込んで忘れようとした。人として大切なものを失わない為に。
放課後、僕は本を読みながら歩いていた。この間話しかけてきた図書委員の女の子から、今日借りた本。もう三年生の秋だというのに初めてまともな会話した気がする。だから、浮かれていたのだ。僕をいじめてくる不良達がニヤニヤ笑いながら立っているのに気が付かなかった。
路地裏に連れ込まれ、財布を渡すように命令される。財布を渡して早々に立ち去ろうとすると肩を掴まれた。抵抗はしない。抵抗すればするほど痛い目に遭うのはこの三年弱の間に嫌というほど学んだ。
彼等は次に僕に向かって苦言を呈する。最近態度が悪いとか、調子に乗っているとか、金が少ないだとか彼等特有のよく分からない理論で僕が彼等を貶めているのだと言う。
今すぐ食べ物を買ってきたら今日のところは見逃してやると言われた。何を言っているのだろう、財布を取り上げたばかりではないか。言ってしまえば機嫌を損ねるのは分かっていたのに、つい口が滑ってしまったのだ。
彼等は怒りだし、僕を殴る。三度殴りつけたあと、尻餅をついた僕の胸ぐらを掴んで凄んで見せた。何も言わないでいたら顔を殴られた。思わず、本を落としてしまう。慌てて拾おうとすると、彼等はいい物を見つけたとばかりに本を取り上げた。
本のタイトルを読み上げ、恋愛モノなんてお前には似合わないとか、口々に稚拙な侮辱の言葉を並べた。しかし本の最後、裏表紙の内側に書かれた名前を見てその動きが止まった。
一層大きな声で笑い出し、嘲るようにその名前を読み上げた。彼等は笑いながらその本の処遇について考えた。短く、くだらない議論の末に水浸しにして解体することにしたようだった。
もう我慢は出来なかった。僕の本ならどうでもいい。これまでにも何度かあったことだったから。しかしあの本だけは駄目だ。彼女が大好きな本だと言っていた、きっと思い入れもあるだろう。きっと悲しむだろう。
そう考えた直後には、その言葉を口走っていた。半年前に封じ込んだあの本の中の一節、悍ましい知識の片鱗たる呪文の一つ。
『門の外より、彼方の
刹那。空間が裂け、高く不気味な音を発したかと思うと、裂け目から玉虫色の光が溢れた。その眩しさに思わず目を瞑った。瞼を開くと、そこには頭の潰れた三人の学生の死体があった。
やってしまった。間違いなく僕が、僕の意思で、彼等を殺してしまったのだ。
本を拾い、逃げるように家に帰った。どうすればいいのか、自首しても信じてはもらえないだろう。あの光景が頭から離れない。
もう一度見たい。
玉虫の光、神の威光だ。
知識の神は僕に力を貸してくれた。
やはり僕は間違っていなかった。
あの本は、僕に力を与えてくれる。
あの本 石海 @NARU0040
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