第5章 選択 ③



   ◆ ◆ ◆




 天龍寺夏姫を女として欲しいと思ったことはない。


 けど姉さんは俺が尊敬する天龍寺兼定の孫娘で――何年か前からは俺が兄貴と呼ぶ人に恋心を抱く、大事な妹分だ。


 その姉さんと兄さんがこの界隈から足を洗って結婚――普通の幸せってやつを目指すらしいと聞いた。もう会えなくなるのは寂しいけど、いいことだ――兄さんも姉さんも、俺にとって大切な人だ。そんなふたりがまっとうに幸せになるなら、こんなに嬉しいことはない。


 そう思っていた矢先、よくわかんねえガキが絡んできた。そいつは異能犯罪者狩りで、《スカム》を標的にしたらしい。


 俺がスマートに片付けて、二人には安心して足を洗って欲しかった。気負ってたのは認める――だが、だからといって無様な姿を晒した挙げ句、兄さんに助けられ――その上そのせいで二人が言い争いをするなんて。


 結局兄さんは足を洗わず、この世界で兄さんのやり方で姉さんを幸せにすることにしたらしい。それはそれで今まで通り兄さんや姉さんと会えるし、嬉しい――兄さんは俺の失態は関係ないと言ったけど、でも、そもそも俺がこのガキに負けてなければそういう話の流れにはなっていなかったかも知れない。二人は表社会で結婚し、平和に暮らせていたかも知れない。


 俺の馬鹿野郎――兄さんは奴を初見殺しと言ったけど、それでも頭に血を上らせてなければ、最初に戦ったときに気付いたかもしれないのに。


 けどさすが兄さんだ――あんなにわかりやすく教えてくれるなんて。きっと兄さんはとっくに奴の弱点に気がついていたんだろう。


「オラ、遊んでやるからかかってこい」


「言われなくたって!」


 バー奥、多少広い場所に移動してガキに向かってそう言うと、奴はそう言って襲いかかってきた。瞳には強い意思――情報部の調べじゃ佐木柊真は、例の事件で殺される前は警察――それも異能犯罪課を志望していたって話だったな。そもそも異能犯罪者俺たちを敵視しているんだろう。


 だが――所詮は表社会で暮らし、学校に通う高校生・・・のレベルだ。それが悪いってわけじゃないし、能力者としてのスペックは高いが――逆に言えばそれだけだ。


 ……まるで兄さんと会ったばかりの頃の俺のようだ。


 まっすぐに突っ込んでくるガキに迎撃の前蹴りを見せる。奴は素早い反応でサイドステップ――蹴りの軌道から逃げる。


 向かって右に避けたガキが視界の外へ――そっちに回り込んだわけね。こっちの右足の蹴りを避けるなら、そっちに避けた方が背中とりやすいもんな。


 軸足に残しておいた体重をフックに、上体の捻転で反動をつけて軸足を振り上げる。蹴り足として振り回した先は、ガキが躱した先の俺の右側。空手で言うところの二段蹴り――その変形だ。


「なっ――」


 さすがの反応だ――不意を突いたはずだったのに、ガキは背後から追いかけてくるような軌道の蹴りをヒットの直前でガードする。しかし受けた体勢が悪いし、俺ももともとこっちが本命の攻撃だ――ガキはなぎ倒されるように壁際に詰まれたテーブルや椅子に頭から突っ込む。


「はっ、ガードしたまでは良かったけどな――ちゃんと踏ん張れよ」


「――あの《スカム》の会長となると、一筋縄じゃいかないみたいだな」


 テーブルや椅子を押し退けて起き上がったガキが言う。この程度で片付けられるとは思ってなかったけど、さすがにタフだな。


「ほら、てめえのオンナが見てるぞ。いいとこ見せてみろよ」


「――調子に乗るなよ、犯罪者が!」


 怒鳴って押し退けた椅子――その一脚を掴んで力任せに投げつけてくる。あーあ、それフランスからの輸入品だぞ……営業してねえからいいけどよ。


 怖ろしいスピードで迫る椅子と、その陰に隠れるようにしてガキが突っ込んでくる。椅子に対応している間に本人が仕掛けようって腹だろう。


 だったら俺の選択は、椅子を無視する、だ。


 椅子の背もたれが額に直撃――痛ってぇ! クッソ、高級品だから頑丈だし――額が割れて眉間を生暖かいものが伝うのを感じる。


 だが、能力者に無防備なところを襲われるのに比べたら軽傷だ。


 それにこれに耐えた甲斐はある――衝撃でばらばらになった椅子の向こうに、これ以上はないってくらい驚いた顔をしているガキがいた。驚きすぎて足を止めている。さすがにあんな雑な攻撃、こっちは対応すると思っていたはず。


 ――こいつの弱点は経験値の少なさだ。俺たち異能犯罪者の尺度での話じゃない。高校生レベルの経験値しかないことだ。兄さんは気付いていたんだろう――だからわざと射線とタイミングを見せて撃って見せた。そしてこいつは俺たちなら簡単に躱せる拳銃の単発射撃をああまで大袈裟に避けた。


 こいつは投げつけられた椅子を敢えて食らう、なんてのは予想さえしなかったのだろう――だから混乱して突撃の足を止めた。


 俺にとっては予想していたダメージだ――備えていれば耐えられないものじゃない。


「オラァっ!」


 渾身の力で拳を握り、足を止めたガキの顎を打ち抜くべく放つ。


「くっ――」


 ガキは余裕がなくなったのか、例の如く軽口を叩いたりせずその双眸を碧く光らせた。兄さんの能力をコピるつもりか。だが――


「遅え!」


 奴が身を捩るより、俺の拳が奴の顎に届く方が早かった。手応えは驚くほど軽かった。過去に二、三度経験がある――


 兄さんに教えてもらったことを思い出す。無反動の攻撃ってのは打撃の究極で、運やタイミングも必要な技術だけでは到達できない一撃らしい。


 俺のそのストレートは奴の顎を砕いて一撃で意識を奪った。ガキは銃で頭を撃ち抜かれたように、その場に崩れ落ちる。


 へっ、ガキが――俺はまだしも、兄さんに噛みつこうなんて身の程を知れってんだ!


 俺は胸中でそう叫び(口に出したら、さすがにイキりすぎだと兄さんにからかわれそうだから)、前のめりに倒れたガキの後頭部を踏み砕いた。



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