第3章 すれ違いとデスマスク ⑤

 背後には夏姫とカズマくんがいる。こいつが間合を詰めてきても下がって対応することはできない。


 だから迎え討つため、前へ出る。


 俺は魔眼を開き、奴の双眸もまた碧く光っていた。互いに異能を使っている。


 少年は右手に握ったハンディ型のスタンガンを前に出して構える。カズマくんと戦っているときは右構えだった。右利きなんだろう――だからスタンガンも右手に持ち、それを当てやすいよう前に出している。


 つまり、普段と逆の構え。これがスタンガンでなく、例えばナイフならこの構え方でよかっただろうけど。


 だがスタンガンの本領は攻撃ではなく自衛だ。効果は使用している間――俺に電極を押しつけ、トリガーを引き続けている間に限る。


 牽制がてら、右肩を動かしてフェイントをかける。奴は反応して体を切り、カウンターになるようにスタンガンを突き出してくる。


 少年の異能はやはり俺と同じで身体能力強化エンハンスの亜種なんだろう。でなければ魔眼を開いてブーストをかけた俺のフェイントに反応できないはずだ。


 ともあれ、俺の誘いに乗ってスタンガンを突き出した少年。奴も同じ領域にいる――疑似加速の恩恵が相殺されても、これほど御しやすいのなら問題じゃない。


 少年が突き出した腕を掻い潜るように懐に入り、同時に残しておいた左腕を相手の腕に絡めて肩関節を極める。


「づっ――」


 痛みから逃れる様に地面に伏せる少年。もちろん逃さない――追いかけるように体重をかけて極めきる。


 ぼごっと鈍い音が響いた。肩の関節が抜けた音だ。次いで少年の悲鳴。


「ぐぅっ――」


 俺は立ち上がり、少年が取り落としたスタンガンを夏姫の方へ蹴飛ばす。慌てて夏姫がそれを拾い上げる姿が目の端に映った。


 倒れた少年の動きに反応できるよう半歩離れて――


「スタンガンの予備はあるか?」


「――ねえよ、そんなもん!」


 言いながら左手でポケットをまさぐり、取り出したそれを俺の顔目がけて投げてくる。現代の手裏剣――小型のスローイングナイフだ。こんなものまで……確かに、俺やこいつが異能を使った状態で使用すれば銃に匹敵する効果を発揮するが――


 ――それも、他の連中に使った場合だ。


 飛来するそれを掴んで止め、そのまま投げ返す。ナイフは少年の左肩に刺さった。とは言え俺の隠しナイフよりやや大きい程度のもの――致命傷どころか、左腕の動きを封じるほどの傷でさえない。


 それでも痛みは伴う。少年の目がまた苦痛に歪み、その碧く輝いていた瞳は日本人らしいはしばみ色に戻る。


「返すぜ。刃物は自前のがある」


「ちっ――」


 少年が俺から離れつつ起き上がる。肩が外れた右腕はだらりと下がり、左肩のナイフは右手が使えないため抜くこともできず刺さったまま。


「さて、誰が死に体だって?」


 少年に合せて俺も魔眼を閉じる。奴はどうか知らないが、俺の方は時間制限がある――こいつにまだ隠し球があるならここでそれを使い切るのは具合が悪い。


「……こりゃあ俺の方もあんたの実力見誤ってたな」


 刺し傷が痛むのか、脱臼した肩の方か――何かを堪えるような貌で少年が言う。


「存外素直じゃんか」


「ミスは認めないとね」


 言いながら少年は体重を後ろに移す。どうやら逃げるつもりらしい。引き際がいいのは優れた仕事屋の証だが――俺も逃がすつもりはない。


 逃げられる前に追撃を――と踏み込もうとしたとき、猛烈に嫌な予感がした。再び魔眼を開いた瞬間、少年の目も一瞬輝き――そして目と鼻の先に熱を感じる。


 ――これは発火能力の予兆だ。こいつ、二つどころか三つも能力を――!?


 咄嗟に踏み込みから跳び退きへ行動を変える。魔眼を開かなければ対応できなかった。俺が跳び退った瞬間、俺のいた辺りでバチッと火の粉が爆ぜる。


「――勘がいいな、《魔眼デビルアイズ》!」


 言いながら少年の方も跳び退る――逃がしてたまるか! こいつはここで逃げ延びたらより強大な力を得て俺たちの前に現われるはずだ。能力に見合う経験を積めば、いつか俺や荊棘おどろの上をいく――そんな予感がする。今日殺しておかなければ、いつか《スカム》や夏姫がこいつの手にかかるかも知れない。


 少年の目が碧く変わる。身体能力を強化して逃げようという魂胆だろうが――


「ふっ――」


 バックルに仕込んである隠しナイフを抜き、投げる。狙いは首――少年は左手で受けようとするが、痛みで引きつったか一瞬動きが止まり――


「ちぃっ――」


 逃げる足を止め、上体を無理矢理反らせて躱す。その一瞬で俺は少年を間合に捉えた。飛び込んだ勢いを殺さずハイキックを繰り出す。


「くそ、さすがに速え!」


 叫び、少年が負傷しているとは言えかろうじて動かせる左腕でガードを試みる。対応しようとしてくるだろうというのは先の攻防から予測済みだ。俺は蹴り足の膝を内側に捻り、軸足を返して蹴りの軌道を変化――縦蹴りに移行してガードの上から側頭部を蹴り下ろす。


「――っ――」


 ほんの一瞬――瞬きほどの間、少年の体から力が抜けて動きが止まる。


 その隙を逃さない。俺は下ろした蹴り足を軸に、回転――力任せのバックスピンキックを腹に見舞う。踵が防ぎようもない少年のボディを抉り、奴を壁まで弾き飛ばす。


「がはっ――」


 背中から壁に激突した少年は、そのまま跳ね返るように前のめりに地面に倒れた。


 もう問答する必要はない。殺れるときに殺るべきだ。俺は即座に間合を詰め、倒れた少年の首をへし折るべく足をかける。


 あと一息――踵に力を伝えるだけで事が済むというその時、


「あっくん――」


 背後から夏姫の声が聞こえた。


「駄目! 殺さないで!」


「……夏姫ちゃん」


 俺は少年の頸椎を踏み抜く寸前で踏みとどまり、振り返る。


「その子を殺しちゃ駄目だよ、あっくん――」


 その子――その子ね。確かに見た感じこいつは俺と同年代だ、夏姫から見たら年下のオトコノコに見えるんだろうが――


「こいつは危険だ、夏姫ちゃん。殺れる時に殺っとかないと俺たち全員が危なくなる。カズマくんを見たらわかるだろ」


 こいつにやられたカズマくんは未だ目を覚まさない。悲しげな表情で俺に「少年を殺すな」と言う夏姫の足元で気を失ったままだ。


「――でも! その子は異能犯罪者じゃない。あっくんは一般人を手にかけてないから、荊棘おどろ蜜香も――」


 少年の耳に入れたくないのか、語尾を濁して夏姫。


「日本の法律じゃそうかもね」


 ――そもそも、異能犯罪者は扱いが特殊だ。なにしろ取り締まる警察を能力者たらしめる異能――超常の力でねじ伏せることがままある。


 故に、異能を悪用した犯罪行為を行なった『異能犯罪者』は他の犯罪の現行犯同様、一般私人の逮捕権が発生する。『現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを逮捕することができる』ってやつだ。加えて異能犯罪者が相手の場合、過剰防衛というものは成立しない。


 厳密に言えば異能犯罪者を殺すことが罪に問われないわけじゃない。そんな法が横行したら治安は一気に地の底だろう。


 だが、状況次第じゃ『正統防衛』『過剰防衛は成立しない』『一般私人の逮捕権』――これらを組み合わせて自己弁護(要するに言い訳だ)することで、小鳥遊清花のように無罪放免というのは十分に有り得る。


 だが。


 日本の法が認めても、俺は認められない――自分の意志で異能犯罪者狩りなんてことをする奴が一般人であってたまるか。


 そしてこいつは――おそらく小鳥遊清花も、俺や《スカム》、もしかしたら夏姫にも激しい敵意を抱いている。異能犯罪者にしか手を出してない一般人だから見逃さざるをえない、という選択は俺にはできない。


「あっくんからしたらそうかもしれないけど、でも」


荊棘おどろもそんなに馬鹿じゃない。こいつらもまるきし一般人ってわけじゃないし、俺の基準じゃ明確に異能犯罪者こっち側だ」


「違うの、そうじゃない――」


 夏姫が俺の言葉に首を振る。


「その子は敵だよ。明確な敵――だけど、敵対したら必ず殺さなきゃいけないの? あっくんが言う通りその子や小鳥遊清花が異能犯罪者だったとしても、殺さなきゃいけないほどじゃ」


「異能犯罪者を殺して回るような連中だぞ、放っておいたらこっちが殺される」


「――っ、」


 夏姫が言葉を詰まらせる。同時に――


「――人の頭の上で痴話ゲンカはやめて欲しいな」


 足元から、声。少年がうつ伏せのまま俺に首を踏まれたまま発したものだ。


「てっきり意識がねえものだと思ってた」


「後ろ蹴りを食らったところまではなんとか保ってたんだけど……壁に後頭部打ち付けて不覚にもオチたよ。けど、あんたが返してくれたナイフが気付けになってな」


 言われて視線を向けると、左肩の辺りからおびただしい量の出血があった。肩に刺さったままだったナイフが、こいつの自重で肩を貫いたようだ。


 これで両腕の自由がなくなったも同然だ。代わりに意識を取り戻したが、さすがにこの体勢からでは巻き返せないだろう。


「天龍寺夏姫」


 その少年が伏したまま言葉を続ける。


「あんたの意図が読めないな――別に俺を死なせたくないってわけじゃないだろ?」


「――勝手に口ひらいてんじゃねえよ」


 確かに俺も夏姫の意図が読めない。だがそれがこいつに話をさせる理由にならない。


 頸椎にかけた足に力を込める。


「あっくん――!」


スタンガンそれ、返せよ……そしたらあんたの好きな『あっくん』が俺を殺すなんて状況にならないかもだぜ」


 少年の言葉に、夏姫ははっとして自分の手に視線を落とす。ちっ――


「夏姫ちゃんを惑わせるな」


 それだけ告げて、俺は――少年の頸椎を踏み砕いた。



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