第5章 暁の魔眼 ⑤

「――あっくん!」


 悲鳴。夏姫が駆け寄ってくる気配を感じる。不細工な姿を見せたからな――……


 だが、まともに喰らったわけじゃない。身を捩ったことで蹴り飛ばされたのはサングラスだけ――


「――来るな!」


 檄を飛ばすと、夏姫の足音が止まる。


「見てろ。手を出すな」


「でも――私も一緒に戦うよ! そのために来たんだから!」


 一緒に戦う――まさかあの夏姫がそんなことを言う日が来るなんて。


 シオリがかつての俺と同レベルであると太鼓判を押したと言うのならそれは真実なんだろう。俺が任せて頷いたシオリやカズマくんが無責任に夏姫を一人で国外に出すなんてことは考えられない。ましてや日本から逃亡した俺を探して回るなんて――それができると判断したから二人は夏姫を送り出したのだ。


 そして夏姫が俺と同レベルなら、二人でスクリットを畳むのは容易いだろう。だがそうじゃない。最早スクリットはただ撃退すればいいという相手じゃない。


「すぐに終わらせる。そのうち夏姫ちゃんに助けてもらうことがあるかもしれないけど、今日は見ててくれればそれでいいから」


「そんなこと言わずに助けてもらえばいいんじゃない? 僕は構わないよ。異能も使えない、攻撃も通らない――アキラさんに勝ち目があるとは思えないし」


 スクリットの言葉を無視して、俺は空を見上げる。白み始めた暁の空――一昨日の晩から戦い詰めで、挙げ句こんなチンピラに苦戦。おまけに夏姫に心配される始末――情けない。


 ただ、俺が生きてきて一番強かった日はおそらく荊棘と戦った晩だ。あの時夏姫の存在を思い出していなければ俺は荊棘に勝てたかわからない。


 その夏姫が見てる。誰が相手でも負けるわけがない。荊棘なんかはどうでもいいが、あいつに勝っておいてスクリット程度に負けたんじゃあいつもプライドが障るだろう。


 何より――こいつに対する怒りは冷めちゃいない。


「――僕とはもう口をきいてくれないのかな? 別にいいけど……《色メガネフォーアイズ》……や、もうサングラスしてないし、《魔眼デビルアイズ》と呼んだ方がいいのかな? どっちでもいいか、もう少しやるのかと思ってたけど、噂ほどじゃなかったね」


「……俺も自分にがっかりしてるよ。力尽くでねじ伏せてやりたかったけど、地味なやり方でねじ伏せるしか手がなさそうだ」


「それがハッタリじゃなきゃいいけどね!」


 スクリットが体を起こした俺にハイキックを放ってくる。力の籠もった倒す蹴りじゃない、重さをすてて当てることを重視した鋭い蹴りだ。大方破壊力は《鋼の血潮メタリッカー》の補強に頼り、夏姫の前で俺をいたぶろうって魂胆だろうが――


 そのハイキックを受けながら、相打ちになる形で俺も蹴りを放つ。だが上段回し蹴りなんて見栄えの良い派手な蹴りじゃない。下段のサイドキック――狙いは、膝。狙いは違わずスクリットがハイキックを繰り出すために返した軸足――その膝を横から蹴り抜く。


「がっ……!」


 悲鳴――スクリットが慌てて退る。手応えは悪くなかったが、スクリットが反応して僅かに力を逸らされた。膝の靱帯を傷めた程度か。


「折れなかったか――惜しいな、前蹴りだったら膝が正面向くから壊してやれたのに」


「――……よくもっ!」


「よくも? まさかこんなわかりやすい欠点、狙われないとでも思ったのか?」


「~~~~っ!」


 スクリットの表情は仮面で見えない。しかし恐らく怨嗟の籠もった視線を俺に向けているだろう。そんな空気だ。


「……お前は前線に出るタイプの能力者じゃないだろ。荒事で名前が売れたのかもしれないけど、根本的に殺し合いに向いてない。殺されないための能力だ。異能を封じるなんてそんなことができるから調子に乗っちまったんだろうな。そんな程度の相手にこれだけ苦戦するんだから、俺も向いてないかもしれないけど」


「ほざけっ!」


 逆上したスクリットが地面を蹴って殴りかかってる。怒り心頭と言った様子だ。それでもムエタイの型が崩れてないのは大したものだが――膝を傷めたせいでスピードは先ほどまでのそれと比べて見劣りする。


 繰り出されるストレートをスウェーで躱し、そのまま足を蹴り上げて繰り出されたナックル――その大元、脇に蹴りを入れる。強い蹴りじゃない、つま先でタイミングを合わせただけの前蹴りだ。それでも《鋼の血潮メタリッカー》の防御の合間を抜いて攻撃が通る。


 いや、逆か――強い攻撃じゃ間に合わない。それぐらいの反応をするのはわかっている。だが攻撃力を捨てて当てることだけを意識すれば――タイミングを合わせればこの通りだ。


「ぐはっ……!」


 カウンターで脇を打たれ、明らかに苦しそうな声を漏らしてスクリットは退る。


「間接を自分の異能で防御すれば動けなくなる。つまりお前は攻撃中、攻撃に使う間接はガードできない……最初に殴ってやったとき、お前が首を固めて耐えて見せなきゃ気付くのにもう少しかかったかもしれないけどな」


 一歩、二歩とスクリットを追いながら告げる。


「俺を拘束した後、変にいたぶろうとせずに全身固まって足止めに専念すれば違う結果だったかもな。相手の異能を封じて好き放題したいんだろうけど――素でてめえより強いやつはいるとは思わなかったか?」


「……僕に勝てる相手なんていないよ、アキラさん。アキラさんが思ってたより強くて驚いてるけど、それでも勝つのは僕だ」


「……じゃあやってみろ」


「そうさせてもらうよ!」


 懲りずにスクリットが駆けてくる。さすがに欠点を指摘した直後だ、隙を狙いにくいコンパクトな攻撃だが――


「づうっ……!」


 連打をまとめてこっちを削りたかったのだろうが、結局の所左右のコンビネーションを使えば腰が回転する。半ば薙ぎ払うようにミドルキックをスクリットのワンツーに割り込ませると蹴り足は奴の腰骨を捉えた。堅い手応え――骨を直接打った感触だ。


 苦悶の声を上げるスクリット――しかし今度は退らなかった。俺の蹴りに耐え、そのまま腕を突き出して俺の喉を掴む。頸動脈ごと気道を締め、そして首に冷たい感覚――首を絞めた手を《鋼の血潮メタリッカー》で固定。なるほど、いい手だ。


「あっくん!」


 夏姫の悲鳴が聞こえる。黙って見てろ――と言うのも酷か。スクリットも能力者――能力者の握力で首を締め続けられれば三十秒程度が限界か。見ている夏姫にしてみれば悲鳴の一つや二つは上げたいだろう。


 だが、三十秒――それだけあれば抜け出すには十分過ぎる。俺もお返しとばかりスクリットの喉を掴み――


「自分が死ぬ前に僕を殺そうって? 無駄だよ、アキラさん――僕には《鋼の血潮メタリッカー》があるんだから」


 掴んだスクリットの喉から、俺の指を押し変えるように首輪状の金属が生えてくる。観察すると気持ち悪い能力だな……そんなことを考えつつ、震脚。地面を蹴った力の反動を体内で加速させ、それを四肢から発射する。今回の発射台はスクリットの喉を掴んだ手だ。


 するとどうなるか――


「がはっ!」


 首輪を通って気管に走った衝撃がスクリットを激しく咳き込ませる。もう一撃――一帯に響く震脚の轟音とスクリットの咳音。たまらずに俺の首を絞める《鋼の血潮メタリッカー》を解除し、俺の手を振り払ってスクリットが後退る。


 そこを狙って蹴飛ばしてやると、咳き込んでいて躱せないスクリットは無様に地面を転がった。それでも顔だけは俺の動きを確認するようにこちらに向けている。


 ――やはり、それか。


 なおも咳き込むスクリット――歩いて距離を詰め、地面に蹲るスクリットの前で立ち止まる。もうだいぶ白んだ空の下、倒れたスクリットに俺の影が落ちた。


「――お前と違って相手をいたぶる趣味はない。終わらせてやる」


「――っ、失態だ――頭に血が上って忘れてたよ、こんな器用なことができたんだっけね。次こそ――」


 なかなか挫けない心は大したものだが、もう《異能観測スキルアナライズ》のカラクリも見えた。「一度観測した異能は僕の前じゃ使えないよ」――なるほど。おそらく俺を観測し続けることで視線を媒介に俺に干渉しているのだろう。日本を出る前に戦った《蛇》と呼ばれる催眠ヒュプノ系の能力者もそんな干渉の仕方だった。


 素早く起き上がり、間合をとって仕切り直そうとするスクリット――そんな奴に対し、俺は半身を引いて見せた。


 たったそれだけ――それだけで、俺の背中で遮っていた朝日がスクリットを照らす。


「っ――!」


 反射的に顔を逸らすスクリット。同時に俺は魔眼を開く。《深淵を覗く瞳アイズ・オブ・ジ・アビス》が発動し、世界がスローモーションに変わる。


「しまっ――」


 スクリットが失策を認めるが、遅い。スクリットの視線から逃れた俺はブーストされた全力で拳を固めている。スクリットの頭を覆うようにメット状の金属が頭部に現われるが、かまいやしない――そのまま全力でスクリットの脳天に拳を振り下ろす。


 激痛――右の拳が割れたかも知れない。しかしそれだけの代償を支払った甲斐はあった。意識を失ったスクリットはその場に崩れ落ちる。意識と共に異能の制御も失い、その顔の仮面がかき消え白目を剥いたスクリットの素顔が晒される。頭部から血が流れていた。頭蓋骨にもダメージが行ったらしい。


 もう奴の耳には届かないだろうが言葉を投げる。


「《鉄人アイアンマン》だが《分析屋アナリスト》だか知らないけど、夏姫ちゃんのリストチェーンに触れてんじゃねえよ。それどころか踏みつけやがって――殺すぞ」


「あっくん、あっくん――!」


 今度こそはと夏姫が駆け寄ってくる。その声は俺の勝利を見届けたというものと、負傷を案じるものが混ざっていた。


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