第2章 ベアトリーチェ ⑧
「……俺の見当違いだったみたいだ」
ベアトリーチェのマンションまで二ブロックという所で俺は足を止めてそう呟いた。
「……どういうこと?」
「狙いは俺じゃなくてビーチェの可能性が高いし、待ち伏せされちゃセキュリティは関係無いってことだ」
「――待ち伏せ?」
「ああ、姿は見えないけど敵意を感じる。気配は一つ――一人は失神させたから計算は合う」
辺りを見回す。身を隠せそうな角にベアトリーチェを押し込んで、
「ここで待ってろ。捕まえて目的を吐かせてやる」
「ちょっと、危ないわよ――逃げましょう?」
「マジな意味じゃこの街に安全な場所なんてないし、その辺のチンピラに負けてやるつもりはないよ」
「――……気をつけて」
「ああ。ビーチェ、万が一の時は使え」
バックサイドホルスターからグロックを抜いてベアトリーチェの手に握らせる。
「……アキラ」
「終わったら迎えに来る」
そう告げてベアトリーチェのマンションを見上げる。この街じゃ最高級に類するマンションだ――洗濯屋の稼ぎでこのマンションを維持できるのかは疑問だが、互いにこの街の住人。それは聞かない約束だ。
そしてここで待ち伏せていたということは、ここがベアトリーチェの家だとわかっているということだ。それを考えると狙いは俺じゃなく彼女だと窺える。
気配を殺してマンションに近づく。ベアトリーチェを路地に押し込めている間も気配に動きはなかった。リアルタイムでこちらを捕捉していない。となると襲撃に適した場所で待ち構えているはずだ。
慎重に進む。角を曲がって二歩、三歩と進み――
何かがはためく音がした。敵意が殺意へ変わる。同時に目の前の物陰から黒い塊――いや、黒いスーツに身を包んだ男が飛び出してきた。暗い月明かり照らされて何かが鈍く煌めく。
不意のナイフアタックを躱すと、二度、三度と追撃がきた。二度目も躱し、三度目は抜いたバトルナイフで弾く。
その勢いを利用して間合いを取る。男はナイフを構え直し――
「……女をどこにやった」
口を開く。二十代の半ば程か。痩身だが肉付きは悪くない――もっとも、能力者なら体格から筋力を測れない――俺が良い例だ。
気付いたことはそれだけじゃない。もう一つ――さっきの男じゃない。
「こっちが聞きたいくらいなんだけどな。なんのつもりだ」
男は俺の問いに答えない。代りに地面を蹴って肉薄してきた。
目にも留まらぬ早業で首を突いてくる。頸動脈を狙った殺すつもりの一撃――定石だがそれだけにこっちも警戒している。いなして躱すとフォローの拳が飛んできた。こいつを躱して反撃に――
――出るはずが、激しい衝撃が走った。
「!?」
躱したはずだ、魔眼こそ開いちゃいないが相手の動きは見えていた。右のナイフをいなした後のフォローの左ストレート――引きつけてダッキングで躱したはずだが顎に激しい痛みを感じる。
何が起きた――混乱する頭でふらつく体を支えようとするが、打たれた場所が悪かった。足が言うことを聞かない。
チカチカする視界に映るのは再度迫るナイフの切っ先。アレが俺の喉に埋まれば――推して知るべし。
そんな運命を受け入れるわけにはいかない。何かを成したいわけじゃないが、殺されてやる道理はないし――さっきの未知の攻撃はおそらく超越者の
魔眼を開く。発動した《
スローモーションになった世界でもナイフは迫りつつある。万全なら躱すのも反撃もどうにでもなる一撃だが、腹立たしいことに先の一撃が効いている。掴んで止めるのが精一杯だ。
着けたままだったバトルグローブがナイフの刃を無効化し、止める。瞠目する男。この隙に会心撃をたたき込んでやりたいが、足下が定まるまで数秒必要だ。ナイフを捻り、取り上げるに留まる。
男もまた武器離れが良かった。ナイフに執着せずに手放し、その手で殴りかかってくる。その拳を迎撃するためバトルナイフを振り上げると奴は躱すために腕を引き――
衝撃。再び顎を打ち抜かれて脳を揺さぶられる。
しかし、見た――
異能のタネは魔眼が捉えたが、再び顎を打たれたことで足元が覚束ない。なんとか踏み留まってダウンこそ拒否したが、相手はすでに追撃の態勢を整えている。
「――面白い手品だな。初めて見たぜ、こんな能力はよ」
「手品か――はったりじゃなきゃいいがな」
時間稼ぎの挑発に男は短くそう言って両手を上段に構えた。ボクシングの構えに見えるが重心が後ろにある――キックかムエタイか、ヨーロッパ系マフィアの人間なら出身からサバットも考えられる。構え的にはマックスも使う
まあ、どれでもいい。万全じゃないが《
男が地面を蹴る。同時に牽制のジャブ。
だが俺の魔眼はその動き出しを捉えている。牽制のジャブをナイフで迎撃するぞとモーションで威嚇。反応したか、端からフェイントだったか――男は拳を引く。
――来る!
男の異能に備えようとして――
「待って、アキラ! アドリアーノも!」
――周囲に響いたベアトリーチェの声が俺と男の動きを止めた。
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