第1章 火種 ①
「今日も頼むぞ! てめえに全財産突っ込んでんだ!」
「いつもいつも女と一緒に入場しやがって! てめえの負けに賭けてんだ、今日こそ負けろよ、くそったれ!」
「ああ? Aに賭けねえとかギャンブルの才能ねえよ、帰れ帰れ!」
「んだとこらぁ! 今言ったの誰だ、ぶっ殺してやる!」
「上等! 明日の朝まで憶えてたらつきあってやらあ!」
観客席から投げかけられるそんな応援と野次を浴びながらリングに向かう。いつものことだ。
こいつらはなんだかんだでこの空気を楽しんでいる。この街の新しい不文律だ――スカムの影響力が低下し、小競り合いが増え、異能犯罪者同士が敵対することが増えた。それでもバトルアリーナの会場にはそれを持ち込まない――大金が動くこの場所だからこそなおさらだ。
バトルアリーナの会場は完全中立。罵り合っても、それはリングへ上がる選手へのエールの延長であって、客同士の抗争ではない。
「今日もみんな元気がいいねぇ」
俺の後ろを着いてくる夏姫が呟く。
「だね」
「みんなあっくんが勝つの、楽しみにしてるよ」
「こんなところにくる悪党どもに楽しみにされてもやる気出ないんだよなぁ」
「私があっくんが勝つところ見たいって言っても?」
「……夏姫ちゃんがそう言うならやる気、出るかも」
「うん。あっくんが勝つところ、見たい。頑張って!」
いつも同じ――という訳では無いが、リングに上がる前は大体似たようなやり取りをする。夏姫ちゃんなりに俺を奮起させようとしてくれているのだ。
リングに上がる階段に足をかけたところで、一際大きな野次が降ってくる。
「今日もいちゃつきながらの入場かよ! てめえ負けたら歩いて帰さねえからな!」
いつもなら無視する野次だが――夏姫への返事の代りにその野次に怒鳴り返す。
「今野次ったやつ、ちゃんと俺に賭けてんだろうな! 儲けさせてやるから見とけよ!」
俺の言葉におお、と歓声が上がる。それを聞きながらロープを飛び越えリングイン。更に大きな歓声が上がる。
スポットライトに照らされたリング――その対角で既に相手が待っていた。禿頭の巨人とでも言えばいいのか、百九十五センチ百二十キロ――超ヘビー級の体格は俺より頭一つ大きく、体の厚みも倍はある。表社会の格闘技じゃフェザー級の俺の対戦相手に選ばれる相手じゃない。
しかしここはバトルアリーナだ。ルールは二つ――異能を使わない。武器を使わない。
それ以外のルールはないと言ってもいい。金的も噛みつきも目潰しもあり。レフリーが止めない限り、ダウンした相手に追撃も可能。リング外へのエスケープに関してだけいくつかルールがあったはずだが……
さらにつけ加えると異能の不使用は絶対遵守のルールだが、武器の使用に関しては特にペナルティがなかったりする。以前対戦相手にナイフを持ち込んだ選手がいたが、そいつがナイフを取り出しても試合は続行された。むしろ盛り上がったくらいだ。
レフリーは開始の合図とその僅かなルール違反と勝敗のジャッジの為だけに存在する。
そのレフリーに呼ばれ、俺と相手はリング中央で相対する。上背で俺に勝る相手はぎょろっとした目で俺を見下ろす。その顔には火傷あとのような痣があった。いや、痣じゃない。これは
異能を使うものは社会に迎合できるか否かの分類の他に、もう一つの分類がある。前時代的な分類が出来る異能――超能力を操る能力者と、俺やこの目の前の禿頭のように体の一部に異能を使う際に輝く
超越者は読んで字の如く超能力とは一線を画した異能を有し、また一般人より高い身体能力を持つ能力者より更に頑強で優れた身体能力を持つ傾向にある。
こいつが超越者であるなら、異能はともかく身体能力には要注意だ。
「――……――」
レフリーが試合の決まりごとを俺たち選手に言い聞かせる間、男は俺から目を逸らさなかった。額がこすれるような距離で俺を睨みつける。
やがてレフリーの口上が終わり、形ばかりのボディチェックが終わる。
レフリーがリングから下りると試合開始を告げるゴングが鳴った。同時に禿頭が突進してくる。冷蔵庫が迫ってくる――そんな印象。両腕を畳んで顎を守るように体を丸め、凄まじい勢いでマットを蹴って肉薄してくる。
見た目はパワータイプそのものだが、見た目の筋量と実際のパワーが比例しないのが俺たち能力者だ。それは
体格からは考えられないような――お手本のようなコンパクトで鋭いジャブが放たれる。バトルアリーナではボクシンググローブは使わない。素手――裸拳で放たれる拳をガードすると、骨まで衝撃が響いた。
「ちっ――」
予想通りの破壊力だ。まともに殴り合っていれば先に壊されるのは俺の方だろう。
しかし予想以上ではない。いつかの白人は一撃で壊されそうなパワーを秘めていた。あいつに比べればまだ正面から戦える相手だ。
ジャブの引き手に合わせて前に出る。相手の方がリーチに勝るが、懐に入り込んでしまえば小回りが効くこちらが有利。間合いを詰めながら相手のがら空きのボディに拳を突き込む。
続けてキックのコンビネーション。俺の姿勢からそれを読んだ禿頭は上段のガードを固める。だがそれは織り込み済みだ――膝を内に捻ってミドルに切り替える。
ずだんっ、と中段回し蹴りが決まった。クリーンヒット。しかし男は眉一つ動かさず――それどころか口角を上げて見せた。
なるほど、その筋肉の鎧は伊逹じゃないというわけか。
俺の蹴りに耐えた男が、今度は自分の番だとばかりに固く握りしめた拳を放ってくる。危ういところで飛び退き、そのまま男の必殺圏内から離脱。ついでに左半身を前にしたオーソドックスで魅せやすい戦いができる構えから、より実戦的な戦いに向いた右前の構えに変える。
……タフな試合になりそうだ。
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