エピローグ

   相馬拓巳


 そして、俺は一人で相馬邸を訪れていた。


 空はまだ暗い。普通のサラリーマンなら寝ている時間だが、予め電話で連絡を入れてある。相馬氏は起きているはずだ。


 長居をするつもりはない。車を玄関前に停めて、降りる。すると呼び鈴を鳴らすまでもなく玄関の扉が開いた。相馬夫妻が顔を出す。


 俺は無言で車を示し、再び運転席へと乗り込んだ。間を置かずに夫妻が乗り込んでくる。それを確認して俺は車を出発させた。


 そして仕事の報告をする。


「――電話で言ったけど、救出した栞ちゃんには外傷らしい外傷もないし、性的な暴行も受けてない……と思う。異能犯罪者に攫われてこれは無事に取り返したと言っていいと思う」


 運転しながらそう言うと、後部座席の奥方は声を上げて泣き出し、助手席の相馬氏は涙声で謝辞を紡ぐ。


「ありがとう……君に頼んで良かった。本当にありがとう……」


「ま、礼は無事な娘の姿を見てからでいいさ。能力のこともあるし、一旦入院させて検査した方がいい。信用できる筋の病院だから安心していいと思うぜ。ただ主犯をあんたの前に引きずり出してやることはできなかった。けど、確実に殺した。マグナム弾で頭の上半分をふっ飛ばしたんだ。さすがにそんな死体を住宅街に引っ張ってくるのはちょっとな……代わりに写真を撮っておいたけど、見るかい?」


「……拝見させてもらうよ」


「吐くなよ」


 相馬氏の予想外の答えに、俺は多少驚いてスマホを操作して、渡す。相馬氏は画面に目を落とし――


「ありがとう」


 辰神の末路を眺めて、再びそう言った。


「あんたの娘の救出と復讐、完遂でいいか?」


「ああ、十分だ」


「報酬の額や支払い方法について俺は聞いていない。その辺りはうちのボスと話した通りに」


「わかった、必ず――」


 相馬氏はそう言ってそれきり口を閉ざす。




 暗く静かな住宅街を抜け、車は病院へと向かう。






   天龍寺兼定


 陽が昇り、昼も近くなった頃。


 兼定氏の病室に人影はない。ベッドの主の兼定氏と俺の二人だけ。夏姫は栞ちゃんの病室へ行き、スカムの連中は後始末に駆けずり回っている。


「……よくやってくれた」


 事件後、始めて一対一で向き合った兼定氏は俺の顔を見てそう言った。


「感謝の言葉かな?」


「それ以外に何がある?」


「いや、爺さんのためだけにやったわけじゃないからさ」


「それでも何か礼はしないとな」


 兼定氏が皮肉げに笑う。礼と言っても謝辞ではない。報酬という意味合いだろう。


 ――俺は、


「……女を一人、面倒見たいんだ」


 そう告げる。


「お前がそんなことを言うなんてな。夏姫じゃ不満か?」


「夏姫ちゃんは関係ないよ。スカム系列のマンションならどこでもいい。どんな部屋でもいいから一室貰いたい。そこに住まわせたいんだ」


「訳ありか。食い扶持はあるのか?」


「爺さんの戦闘力が落ちたなんて話が広まったら、きっと今まで以上にどこぞの誰かに狙われるだろ? あんたの専属ボディガードなんていいんじゃないかと思ってるんだけど」


「ほう」


 兼定氏の眉がピクリと跳ねる。


「腕は立つのか?」


「それは保証する。今ちょっとクスリにハマっててよ、まずそれを抜いてやらなきゃなんないけど……それさえ済めば頼りになるガードだよ。俺の師匠みたいなもんで、腕の方は……スカムの会長を単独で襲撃して、肩腕を落として逃げ切れるくらいかな?」


「……そうか」


 俺が言いたいことは全て伝わったらしい。兼定氏は複雑な表情で逡巡し――


「……好きにしろ」


 一言、そう言った。諦めでも、負い目でもない。俺を信用しての言葉。


「サンキューな」


「夏姫を泣かせるなよ」


「爺さんもカズマくんも夏姫ちゃん好きすぎでしょ……」


「お前は夏姫が気にいらんのか?」


「まさかでしょ」


「じゃあお前も夏姫が好きなんじゃないのか」


「……どうなんだろうね」


 病室の窓から空を眺める。天は高く、雲もない。


 俺たち日陰者には眩しすぎるくらいだった。






   シオリ


「一つだけ伝えておきたいことがあるんだ」


 俺の宣言を聞いて、シオリはそう切り出した。


 身振りでカズマくんに栞ちゃんを任せ、俺はシオリに向き直る。


「……あんただって重症だ。早く診てもらった方がいいんじゃないか? どうせカズマくんと栞ちゃんを病院へ連れていくんだ。一緒に乗せてくよ」


「……タケルがそう言うなら。でも、これは今言っておくべきだと思ってね。あんたにも家族と呼べる人間ができたんだろ? だったら話しておかないと。あんたのもう一つの家族――両親の話さ」


 その言葉に、何も感じなかったわけではない。


 しかし。


「……昔の話だろ。俺を捨てた親の話なんて、今更聞かされてもね」


「そうじゃない。違うんだ」


 シオリはそう言って、滔々と語り出す。


 それを聞いて、俺は――






   そして


 事件の隠蔽を含む事後処理は滞りなく進み、ついでにカズマくんのスカム三代目会長就任もスムーズに済んだ。


 事後処理は初動が早かったのが幸いしたし、カズマくんの会長就任は兼定氏と幹部連中が一堂に会した席での宣言だったことが決定的だった。


 そんなわけでスカムが空中分解することも、事件が公になり、警察の介入を許すこともなく――街には日常が戻ってきた。


 そして、数日後の今。


「……暑い……」


 俺はプールサイドに設えられたデッキチェアに身を委ねている。パラソルが日差しを遮ってくれているが、照り返しの熱が半端ない。しかもサーフパンツ一枚という出で立ちだ。ここにいるだけで肌がじりじりと焼ける。


 どうしてこんな所にいるかと言えば。


「あっくーん!」


 遠くから、夏姫が手を振って小走りで駆けてくる。


 そう。事件の翌日、翌々日とはいかなかったが、夏姫との約束を守ってプールに遊びに来ているのだ。


「ごめんね、待ったよね?」


 そう言いながら駆け寄ってきた夏姫。いくら俺が先にプールサイドに出ているからって、この炎天下でわざわざ走らなくてもよかろうに……


「仕方ないし気にしてないよ。ほら、男は女の子みたいに着替えに時間かからないし、俺が先になるのは当然でしょ」


「あっくん優しー!」


 そう言って夏姫は手荷物を俺の隣のチェアに置くと、その場でくるりと回る。


「どう? どう?」


 どう、とは水着のことだろう。花柄の淡いブルーのビキニに、腰には同じ柄のパレオ。ふわりと揺れるパレオから伸びる白い腿が健康的だ。気温のせいで、その肌には汗が浮いている。


 まあ、なんていうか、つまり。


「青って爽やかでいいよね。夏っぽくて可愛いよ」


「きゃー! きゃー!」


 夏姫が顔を綻ばせて、俺の肩をばしばしと叩く。大阪のおばちゃんかな?


「同じデザインで赤と黒もあって迷ったんだけど、これにして良かったぁ」


 言いながら、俺が寝そべるデッキチェアの端に腰掛ける。ちょっと夏姫さん? 俺の手になにか触れてますよ?


 それを伝えようとすると、夏姫は蠱惑的に微笑んだ。確信犯か。人目を気にして俺が強硬手段に出ないと思ってやがるな?


 ちょっと思い知らせてやるか……と身を捩ろうとすると、


「お、お待たせしました」


 と、遠慮がちな声が聞こえてきた。


「全然待ってないよー、栞ちゃん」


 そう夏姫が返す。俺と夏姫の前に現れたのは栞ちゃんだった。


 栞ちゃんは事件後、二泊ほどで病院を出た。その頃には目覚めた能力――精神観測(サイコメトリー)も安定し、それなりに制御も効くようになっていた。


 そうなると別の問題が出てくる。能力の運用や進路について、だ。


 自身は能力を持たず、また能力者に伝手もない相馬氏は、こともあろうかその相談役に俺と夏姫を選んだ。相馬氏が娘を連れて事務所に現れた時は目を疑ったくらいだ。


 そうして設けられた席で、相馬氏が能力者としての生活や事件の精神的なケア、能力運用に至るまで俺と夏姫に面倒を見てもらいたいと言い出したから大変だ。これでも俺たちは異能犯罪者だぞ。犯罪者に娘の未来を託すとは、一体どういうつもりなんだ。


 更に驚くべきことは、栞ちゃん自身もそれを望み、夏姫がそれを承諾したことだ。事件や後天的な能力の覚醒で栞ちゃんが置かれた状況を不憫に思ったのだろう。事件の首謀者がスカムの構成員だった事も関係しているかもしれない。


 そういった経緯で栞ちゃんが事務所に出入りするようになった。俺が一日とはいえスカムの二代目を務めたことにより、この街での俺と夏姫の影響力はより大きくなった。ウチの事務所に出入りする栞ちゃんにちょっかいを出そうという人間はおそらくこの街にはいない。それどころか、スカムの連中は元身内がしでかしたという罪悪感でもあるのか、栞ちゃんを見かけるたびにVIP扱いらしい。


 そんな訳で今日も夏姫が同行しないかと栞ちゃんを誘ったわけだ。彼女はあのホールで俺の心を暴走状態の能力で読み、俺がしたことも見ていた。俺を怖れて断るかとも思ったのだが、意外にも返事はイエスで――まあそうじゃなきゃ、ウチの事務所に出入りしようなんて考えないか。


 ――そうして今に至る。


「水着、どうですかね。おかしくないですか?」


 栞ちゃんが、俺と夏姫に問いかける。ハイネックチュールに、スカートビキニって奴か? フッションに疎い俺には、丈の短いキャミソールとミニスカートに見えなくもない。色は絞り染めのレモンイエローで、際どい露出はないが、年相応に可憐で可愛い。


「大丈夫、可愛いよ!」


「うん。派手すぎないけど華やかで、似合ってると思うよ」


 おじさん臭く親指を立てる夏姫。俺も変に印象を偽らず思ったまま口にする。彼女の能力は安定してきたとは言え、能力者としてはまだ赤ん坊のようなものだ。不意の接触でこちらの胸の内を読まれてしまうこともあるだろう。彼女に嘘は通用しない。なら、最初から本音で話せばいいだけだ。


「あ、ありがとうございます……」


 俺たちの言葉に、栞ちゃんは顔を赤くする。


「よし、栞ちゃんも来たし、遊ぼう! ねえあっくん、何から行く? スライダー? 流れるプール? 飛び込み?」


「飛び込みはしなくてもいいかな……」


 立ち上がり、夏姫は笑顔で俺の手を引く。


「あ、私、スライダーがいいです! お二人が良ければですが……」


 控えめに、それでもしっかりと栞ちゃんがアピールする。


「じゃあスライダーにしようか。栞ちゃん、すぐに行くから、先行ってて並んでくれる?」


 俺の言葉に、なにか感づいたらしい栞ちゃんは頷いて――


「はい。一人は寂しいですし、早く来てくださいね?」


 日差しを避けながら栞ちゃんがウォータースライダーの列へ向かって駆けていく。それを見送った夏姫も、俺の意図を察したようだ。


「……秘密のお話かな?」


「うん。まあ、そうだね」


 俺はチェアから立ち上がり、栞ちゃんに追いつかないようにゆっくり、ゆっくりと歩き始める。夏姫も歩調を合わせてついてきた。


 プールサイドの熱が足の裏を焼く。その熱さに耐えながら。


「夏姫ちゃんが俺を家族って言ってくれたの、覚えてる?」


「うん」


「……正直に言うとね、その言葉は俺には重かった」


「……うん」


「最初の家族ってさ、普通両親だろ? 俺はその両親に捨てられたわけで。だから夏姫ちゃんを同じ言葉でくくるのは嫌だったんだよね」


「そっか」


 俺の言葉に夏姫が頷く。


「でも、そうじゃなかったんだ。俺、栞ちゃんと同じで犯罪組織に拐われたんだって。能力に目をつけられてさ。で、俺の親も相馬氏と同じように救出を仕事人に依頼したんだって」


「……そうだったんだ」


「うん、それがシオリ。だけどシオリが俺を救出した時、俺の親はシオリを雇ったことに気づいた犯罪組織に殺されてたんだ。それを不憫に思ったシオリが、俺をそのまま育てた」


「……シオリさんに会えたんだね?」


 夏姫の問いかけは、穏やかな声音にも関わらず全て見抜いているような鋭さもあった。隠すことではないし、隠すべきでもない。俺は首を縦に振る。


「うん。会った。シオリの方も事情があって俺から離れたってだけで、俺を捨てたわけじゃなさそうだった」


「……お爺ちゃんを襲った人? 確か辰さんとその一味は処分して、襲撃者は生け捕ってあるって聞いたけど」


「……うん」


 夏姫の言葉に頷く。しばしの沈黙のあと――


「……だから殺さなかったんだね。カズマくんもはっきり言わないからおかしいなとは思ってたんだ。それで? ウチから出てってシオリさんの所に戻りたくなった?」


 俺の顔を覗き込み、夏姫が尋ねてくる。


「違う、そうじゃない。そうじゃなくて」


 必死に頭を振り、夏姫の言葉を否定する。


「……俺が家族に捨てられたわけじゃないってわかった時、夏姫ちゃんが俺を家族って言ってくれたこと、嬉しいって思ったんだ」


 自分が今、どんな顔をしているかわからない。それでも懸命に自分の思いを伝えようと、言葉を選んで投げかける。


 それに、夏姫は。


「……ふぅん、そっか。そうなんだ」


 それだけ言って前を向く。


 ……期待していたわけじゃないが浮かれたリアクションを予想していた。この反応は意外だが……まあ、伝えたいことは伝えたし、納得もしてくれただろう。


 と考えていると、手に軽い痛みを覚えた。夏姫だった。夏姫が俺の手を握るのはしょっちゅうだが、かつて無いほど強く、放すものかとばかりに俺の手を握っている。


 空を見上げると、太陽が嫌というほど眩しく輝いていた。


 ……俺と夏姫はいつか道を別にする日が来るだろう。むしろ俺はその日を望んでいるとさえ言える。犯罪者として後戻りできない俺と、一線を越えていない夏姫。いつまでも一緒にいるべきじゃない。夏姫は、こうして日の当たる場所で生きていくべきだ。


 それでも、そのいつかが来るまでは。


 その日までは夏姫と家族でいたい。


 夏姫の華奢な手を握り返す。すると夏姫は驚いたように俺を見て――頬を赤くして微笑んだ。



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