第5章 超越者たち ④

「……あんたの部下じゃないのか?」


「そうだぜ。ただし、頭に『使えない』って言葉を足してやんねえとな。あんだけ不意打ち絡め手でやれっつったのによぉ。俺の言うことなんかちっとも聞きやしねえ。それでも殺し合いはまぁまぁできる奴だったから使ってたけどよ、ここまで馬鹿だと愛想も尽きるぜ」


 いつも通り高級スーツに身を包んだ辰さんは、手巻きのタバコを弄びながら気怠げに壁にもたれかかる。


「お前相手にこんな立ち回りしかできねえんじゃこっちの足かせにしかならない。いない方がマシだわ」


「仲間になんてことするんだ……なんて言うつもりはないよ。俺もそう思うし。っていうか、そこに立っているってことは、問答の必要は無いよね?」


「そんなこと言うなよ。世間話ぐらいしようじゃねえか。なあ、あの爺は死んだか?」


「……聞かなくてもわかってるんじゃないの?」


「まぁな。でも実質死んだようなもんだろ。天龍寺兼定の天下もこれで終わりって訳だ」


 タバコを咥えると、辰さんは火をつけて紫煙をくゆらせた。口元に下卑た笑みを浮かべているのが気に入らない。


「辰神ぃ!」


 カズマくんが吠える。が、辰さんはそれを気にもとめず、


「俺が抜けて、あの爺がいなくなりゃあスカムもただでけえ組織ってだけだ。崩すのも潰すのも難しくない」


「……どこの誰がスカムを潰すつもりなのかな? 参考にしたいから教えてほしいんだけど」


「俺だよ。言わせんなよ、全く……そういう所は見た目通りのガキだな」


 辰さんは呆れたように肩を竦める。こんなのは茶番だ。ここで相対している時点でどうあったって敵同士。今まで辰さんに一定以上の親しみがあった事は間違いない。だが、彼は明らかに俺の中で超えてはいけないラインを越えた。


「いや、確認をしたかったんだ。俺のスカムを潰すなんて宣うってことは、俺に喧嘩売ってるってことじゃん? 辰さんも知ってるでしょ、俺がそういう輩を叩き潰すのが好きだってさ」


 自然と、目の前の人物を睨む目に力が入る。だが、その相手は――


「おい、『俺の』だと? まさかお前が二代目継いだのか?」


「知ってて言ってるなら趣味が悪いよ」


「いや、俺も何でも見てる訳じゃないんでな、ちょっと待て」


 そう言って辰さんはタバコを咥えたまま、視線を左右に泳がせ――


「――なるほど。面白え流れになったみたいだな。二代目は幹部連中の誰かだと思ったんだけどよ」


「これが事故ならあんたが筆頭だっただろうね――今のが?」


「ああ、俺の能力――過去知覚(リトロコグニション)だ」


 口元を歪ませ、辰さんが嗤う。


「……今更だけどさ、女子高生の件もあんただろ?」


 茶番ついでに聞いておこうと尋ねると、何が可笑しいのか、辰さんは高笑いで答えた。


「ああ、そうだ。お前が俺んとこに神妙な顔で面出した時は愉快で仕方なかったぜ。犯人に対して怪しい奴を知らないか、なんてな。間抜けなエージェントだ」


「あんたの立場からはそう見えたろうね……」


「心配しなくても、お前の読み通りさ。栞の命を取るつもりはない」


「あんたが思ってたほど馬鹿じゃなくてよかったよ。精神観測者(サイコメトラー)は貴重だもんな?」


「貴重なんてもんじゃないぜ。俺の過去知覚(リトロコグニション)と精神観測(サイコメトリー)があれば、この世界で俺に知りえないものはない。過去のすべて、人の記憶――それが全部俺のものだ」


 辰さん――辰神は拳を握り、昏い笑みを浮かべる。


「アカシックレコードでも手に入れたつもりかい?」


「つもりじゃねえよ。俺がアカシックレコードそのものさ。口にすると見境のないガキの戯言みてえなセリフだが――事実だから仕方ない」


「ふぅん……あんたがどれだけイキったこと言っても、それはあんたの勝手だけどさ。これだけは聞いておきたいんだよね」


 俺は深く息を吸い――


「なんでこんなことをしたんだ。あんたはスカムでも確固たる地位を築いていたろ? あと数年もすりゃ、こんなことをしなくてもあんたはスカムを継いでいたはずだ。なのに」


 なのに、どうしてこんな凶行に及んだのか。どうして夏姫を泣かせたのか。


「どうして、か――」


 辰神はぼんやりとタバコをふかし、


「こんな界隈に生きてりゃ、多かれ少なかれ苦労はしてるもんだ。俺は十かそこらガキの頃、男娼で食ってたぜ。金持ちの変態婆に犬みたいに尻尾振ってよ。お前みたいに強面向こうにして金稼げるほどの腕が無かったんでな」


 自虐するように笑う。しかし、その目の奥に燃える炎は高熱だ。暗い感情を焦がし、さらに歪ませる渇望の炎。


「あんたの生い立ちなんか興味ないよ」


「そう言うなよ。そうやって取り入った変態どもの過去を暴いて、強請って……そしたら次の標的だ。やべえのカモった後なんかはおっかねえのが何日も追っかけてきてな。生きた心地がしなかったぜ」


「で? 俺だって仕事でヤバい橋なんかいくらも渡ってるけど?」


「だったらわかるだろ? そんな危ない目に遭わない日がない生活には戻りたくない。いい女を侍らせてよ、数えきれない金の勘定をする。そんな生活をしたいと思わねえか?」


「――そんなものが欲しいんなら!」


 俺は苛立って足を踏み鳴らした。床のリノリウム材に放射状の亀裂が入る。


「……そんなものが欲しいんなら、どうしてこんなことをしたんだ? 爺さんが目指したのは、俺たちみたいな異能犯罪者が命の心配をしなくていい生活をする――そのための組織だったんだ。女や金だって、あんたの立場なら不自由が無かったはずだ」


「お前こそ本気で言ってるのかよ。そんな自助団体みたいなもんになんの価値があるんだ? その数えた金も侍らせた女も仲良く山分けしようってのか? 金も女も、俺が欲しいものは全部俺のものだ」


「……安っぽい悪役だな、あんた」


 吐き捨てると、辰神は挑発するように嗤う。


「生憎と俗っぽくてな。秩序なんていらねえんだよ。能力者同士の殺し合いなんて、俺が巻き込まれなきゃいくらでも起きればいい。俺はそれを跪かせた女に座って眺めてやるぜ」


「一番じゃなきゃ気が済まないのか」


「そう単純でもねえ……けど、結果的にはそうなのかもな」


 辰神はくつくつと笑い、


「アタル。お前、俺の下につけよ。俺が知る限りお前は最強の超越者だ。どんな能力者も超越者も、一対一じゃお前には勝てやしねえよ。お前は確か飯が食えて寝床があれば良いんだったよな? 世界で二番目に美味い飯と上等な寝床を用意してやる。欲しいってんなら金も女も好きなだけ用意してやるぜ。勿論、俺の次にだけどな」


 そんな提案をしてきた。途端、今まで黙っていたカズマくんが噛み付く。


「てめえ、そんな戯言に兄さんが耳を貸すとでも思ってんのか!」


「――カズマ、お前もそこそこ評価してんだぜ。さすがあの爺が目をかけるだけのことはある。異能もいい――黙ってればアタルの下ってことで一緒に引き抜いてやるぜ?」


「っ! ふざけやがって……!」


 怒り心頭といった様子で踏み出しかけたカズマくんを制し、俺は辰神に告げる。


「これでも夏姫ちゃんと爺さんには感謝してるんだよね、俺。夏姫ちゃんのご飯美味しいし。あれより美味い飯をあんたが用意できるとは思えないかな」


「骨抜きにされてんなぁ……そんなにお嬢の具合は良いのかよ。お前の前に味見しとくんだったな」


 その辰神の軽口に、腹の中に渦巻く感情があった。


 怒り。憎悪。そんな類の奴だ。


 経験上、こいつに振り回されると碌なことにならない。動機や原動力としては十分なものだが、身を任せると冷静さを欠くことになる。ここでそうなるわけにはいかない。爺さんを襲撃した奴は姿を見せてさえいない。栞ちゃんも確認していない。


 この目の前のクソ野郎に怒りをぶつけるのは、そっちが片付いてからだ。そう自分に言い聞かせていると、辰神が再び口を開く。


「知ってるか、アタル……お前がお嬢と知り合った事件でお嬢を襲った組織。あれ、俺が興した組織なんだぜ? 集めた兵隊の質が悪くてお前に潰されちまったけどよ」


 バチンと、頭の中で何かが弾ける音が聞こえた。


「――もういい。黙れ。大麻遊びで頭が沸いてるような奴の御託を聞いてやる義理はない」


「あっはっは。いいね、お前がそこまで感情表に出してんの、初めて見たぜ」


「黙れと言った!」


 俺はもうざわつく心情に逆らわず、辰神を黙らせるため実力行使に出ようとして――


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