第5章 超越者たち ⑤

「おっと、待て待て。お前とまともにやり合って勝てると思ってないぜ、俺は」


 辰神が降参するように両手を上げて言った。にやけた口元と咥えたままのタバコが苛つく。


「冗談にもなってないぜ。人を殴って、殴られるのは嫌だって言うつもりか?」


「そういう人種だろ? 異能犯罪者(俺たち)はよ。俺じゃお前に勝てそうにない。だから、ゲストを用意したんだ。お前が勝てない相手さ」


 踏み出しかけた足を止める。予感――いや、直感に従って振り向くと、辰神とは逆の隅に人影があった。


 背格好は俺と同じか、少し小柄なくらい。服装も似たようなものだ。ラフなパンツに長袖のパーカー。フードを目深にかぶっていてその表情は伺えない。半裸の少女――栞ちゃんを連れ、そいつはそこに立っていた。


 元はパチンコ店だ。ホールの壁沿いに目立たない従業員用の通用口があってもおかしくはない。だが辰神の時とは違い、そいつの出現を察知できなかった。振り返って一発で見つけられたのは、そいつではなく、栞ちゃんの気配を察知したからだ。


「栞ちゃん……!」


 思わず出た俺の声に、栞ちゃんは体をビクリと震わせる。誘拐・監禁で消耗しているのか、死体がいくつも転がっているこの惨状のせいか――恐らく両方だろう。酷く怯えた様子で、俺の呼びかけに視線をこちらに向ける。


「誰……?」


「俺はお父さんの使いだよ。君を助けに来たんだ」


「お父さん……?」


 鈍い反応を返す栞ちゃんはうつろな目で、自分の口から出た言葉にまたびくりとして声を震わせる。


「……お父……さん……」


 虚ろな瞳に、鈍い反応。


 肌艶や格好から見る限り、相馬氏に送られてきた状態と差異はない。身体的な暴行は受けていないだろうが心はかなり摩耗している。ギリギリのところで正気を保っているのだろう。


「……一般人に随分追い込みかけたみたいだな」


 辰神を睨むと、


「一般人? そんな邪険にしてやんなよ。栞も異能犯罪者(俺たち)側の人間になるんだぜ?」


「それを阻止するのが俺の仕事でね」


「復讐に仕事と大忙しだな」


「お陰様でね。儲かって仕方ない」


 言いながら、カズマくんに耳打ちするべく近づく。


「……カズマくん、なんとか辰神の気を引いてよ。銃の威力見たでしょ? 距離とって、回避に専念して。後は予定通り。奪還して、潰す」


「了解っす」


 返事を聞いて、俺は完全に辰神に背を向けた。半裸の奴隷を従えてるようにも見えるパーカー野郎と相対する。


「――おいおい、待てとは言ったが、今度は完全に俺を無視かよ」


 背中にかけられる軽口がうざったい。パーカー野郎は特に武装しているように見えないが、確実に得物を持っているはずだ。兼定氏襲撃の話からもそれはわかる。加えてこいつの異能は判明していない。一瞬の油断も許されない。


「舐めてかかっていい相手じゃなさそうだからね」


「まあな。手間も金も使ったぜ。お前が勝てない相手なんてのはそうそういるもんじゃない。もしかしたら世界中探してもそいつだけかもな。お陰で、爺の襲撃なんざ片手間で済ませられる奴を捕まえたけどよ」


 俺に気配を気取らせなかった相手だ。そこらへんのちょっとした腕自慢とは違う。


 俺と同じ、裏社会の仕事屋だ。


 ――と。


「……やれやれ。こいつを殺ればいいんだね?」


 パーカー野郎がくぐもった声で――それでもそれとわかる声で、辰神に言う。


 高い声。女のものだ。


「ああ、そいつを殺れば目的はほぼ達成だ。成功報酬を約束するぜ」


「その言葉、忘れんじゃないよ」


 そう言うと、パーカー女は半身を引いて上体を低くした。同時に凍結能力者(クリオキネシスト)と錯覚しそうなほど冷たい殺気を纏う。


 俺も靴底を床に噛ませて突撃態勢を取る。とりあえず能力の使用はなしだ。相手の能力がわからない。いつもどおり相手の能力の発動に注意して、それに合わせて――


 そう考えたところで、思いがけない声が響く。


「――異能は温存するつもりみたいです!」


「な――」


 叫んだのは栞ちゃんだった。


「そうかい、ありがとよ」


 そう言ってパーカー女が突進してくる。手にはいつの間にか俺のものと同じようなバトルナイフが握られていた。その刃が俺の首を狙って閃く。


「ちっ――」


 栞ちゃんの叫びにたじろいで反応が遅れた俺は、それでもなんとか身を捻ってその凶刃を躱す。躱した勢いでこちらも反撃のナイフアタックを仕掛けるが、あっさりと止められる。


 今度は相手の反撃だ。鍔で競り合うナイフはそのまま、空いている手で顔を突いてくる。目潰しだ。手首を掴んでその一撃を防ぐ。


「――へえ、まだガキみたいだけど、結構やるじゃん? 筋いいよ、あんた」


 至近距離で膠着状態になり、女がそんな軽口を叩く。その薄い唇に笑みを浮かべているのが見えた。


 いや、そんなことより。


「栞ちゃん! なんだってあんなことを……!」


 先の栞ちゃんの言葉は、明らかに俺の思考を読んだものだ。まさか直接接触もなしに精神観測(メトリー)されるとは思わなかった。いや、考えが甘かった――接触なしに発動できるからこそ、幻覚や幻聴に悩まされていたのだ、彼女は!


「さっきも言っただろ? 俺たちはあんたを助けに来たんだ! 帰りたくないのか?」


「帰りたい……でも、私が家に帰れば、お父さんとお母さんに迷惑がかかる……」


「そんなことはさせない!」


「大丈夫……怖い人はもうあなたが倒してくれた……辰神さんとお姉さんは、私に優しくしてくれるから……」


 言っていることが支離滅裂だ。夏姫と危惧していたことが嫌な形で的中する。彼女はストックホルム症候群を発症している。ムチ役がスーツくんをはじめとした雑魚どもで、アメ役がこの女と辰神だったのだろう。


「キミもこんなとこまで釣り出されて気の毒だけど、成功報酬が結構な額でね。悪いけど死んでもらうよ」


 パーカー女がそう言うと、手首を掴んで止めている抜き手がジリジリと俺の目に迫る。


「……簡単に言ってくれるね。俺を殺せるって? 有名人ぶるつもりはないけど、辰神から俺が誰だか聞いてないのか?」


「聞いてない。知らないし、興味もないね。どうもアタシが知らない方が面白いんだってさ。ま、アタシは仕事をこなすだけだよ。あの大将の能力は聞いたけど、あの能力でアタシを選んだんなら、アタシの方がキミより強いんじゃない?」


 ふっと抜き手の力が抜けたかと思うと、今度はつま先が跳ね上がってきた。上体を反らして蹴り上げを避けると、追い打ちを欠けるようにナイフが踊りかかってくる。


 ――強い!


 体術もナイフ術も、俺と同等かそれ以上だ。ただのチンピラではない、本物の仕事屋。


 カズマくんに援護させるか? いや、カズマくんには辰神の気を引かせている。小口径の弾丸ならまだしも、44マグナムだか454カスールだか知らないが、あの破壊力はいくら俺たち能力者でもひとたまりもない。それはスーツくんの末路からも明らかだ。


 一旦距離をとって、雑魚どもから銃を回収するか?


「銃を回収しようとしています!」


「はぁん、させないよ」


 栞ちゃんの声に、女はホルスターでも仕込んであるのか、パーカーの懐から銃を抜いてこちらに向ける。くそ、この状況じゃ完全に栞ちゃんが敵でしかない。


 たんっ、たんっと女が発砲する。フルオートじゃなく単発なのは助かったが、狙いが正確な上に、早い。トリガータイミングを見て避けるが、避けた先にもう照準を合わせられている。避けるだけで精一杯だ。


 ……先に栞ちゃんを気絶でもさせて眠らせるべきか? このままでは打つ手打つ手をすべて先回りされる。


「あ、あの人、私に攻撃しようと……!」


 悲鳴。駄目だ、どれだけ能力が暴走しているのかわからないが、こうも思考を読まれてはやはりどうにもならない。


 最早打つ手は一つしか無い。魔眼を開いて世界を減速させる。思考を読まれても関係ない。例え読まれても、それを伝える前に女を殺す。兼定氏の腕を落とし、夏姫を泣かせた相手だ。そうするのに躊躇いはない。


「! 能力を使――」


 栞ちゃんが叫ぶが、遅い。俺は魔眼を開き、《深淵を覗く瞳(アイズ・オブ・ジ・アビス)》を発動させる。


 脳が覚醒し、視界がクリアになる。女が照準を合わせようとする動きも丸見えだ。体を振って銃口から逃れ、間合いを詰めるべく床を蹴る。動揺する女の表情がくっきりと見えた。銃を取り落としかけ、唇を震わせる。




「……タケル?」




 研ぎ澄まされた聴覚で、女の呟きを捉える。その響きに、俺は思わず足を止めた。


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