第1章 《正拳の魔女》と三年生の《魔女》――と、俺 ⑤

 これが件の《魔女》か。


「花村先生から信頼のおける生徒と聞いていたが――がっかりだよ、本当に。話を聞いていると言っていたな。その上でその態度かい? ならば君の精神年齢は小学生並と断じることができそうだな。実に子供じみている。それとも女子が嫌がりそうな言葉を並べて悦に浸る特殊な趣味でもあるのかい?」


 強い語勢で真那さん。はあ、なるほど?


「いっぱいいっぱいですか? 最初と今の、最後に並べた罵倒は意味がやや被ってますよ。責めるならバリエ増やしてもっと頑張らないと」


「なじられながら揚げ足取りか。いい趣味だ。嫌いじゃない――嫌う相手としてね。ふてぶてしい、どうしたらそんな人格が宿るのか――、どうか教えて貰えないだろうか。反面教師にさせてもらうよ」


 確かに――これは変身だ。印象がまるで違う。眉を怒らせた彼女からはさっきまでの儚げな少女といった雰囲気は消え去り、美人が怒ると怖いを地で行く感じだ。


 声の調子も、芯にある薄いガラスでできた風鈴のような響きは同じだが、鳴り方、鳴らせ方がまるで違う。涼しげで優しい響きが、まるで自身が割れてしまうことさえ厭わないような不和音に変わっている。


 知らずこの変身を目にすれば、理解が追いつかずに混乱してしまうかも知れない。


 だが――俺は事前に知っていた。

「最初の罵倒はちょっと格好よくて『嫌いじゃない』ですけど、後半、人格を責めるときに思いとどまりましたね? 『どんな育て方をしたらこんな風に育つのか――ご両親の顔を見てみたいよ』とか言おうとして躊躇ったように見えました。それを言われていたら抉られましたね。言わなかったのは《魔女》先輩の優しさかも知れませんけど、叩くときは全力でいかないと。ちなみにうちは普通の中流家庭です。俺が捻くれたのは勝手に捻くれた感じですかね、親の育て方は悪くないと思います」


 倍以上の語量で返してやる。真那さんはたじろいだのか口を噤む。


「《魔女》先輩のターンですよ?」


「――はっ、見下げ果てたものだ。逆に尊敬するよ、そこまで堂々としているとね。女子に罵倒されるのがお好きなのかな? それとも口論? 我らが桜星には確かディベート部があっただろう? 入部をお勧めするよ――その君のサディスティックで下劣な精神が受け入れられるとは到底思えないがね」


「やたら俺の趣向について言及しますね。趣味から人格を責めるのがパターンですか? まあそれしか責め手がないならそれでいいですけど……あと俺無趣味なんですよ。最近はバイクに乗るのが楽しい、くらいですかね。参考になります?」


「ふん、随分口が回るようだ。これは私では太刀打ちできそうにないな。君のような低俗で最低な男子と言葉を交わしたいと思わないから別に構わないが。ああ、残念だ、私に君の性格を受け入れる度量があれば、君を喜ばせてあげることができたかもしれないのに。そうしなくて済む自分の心の狭さに感謝が尽きないよ」


「それじゃ罵倒と言うよりただの負け惜しみに聞こえますよ。大丈夫ですか? まだ頑張れますか?」


 そう言うと、今度こそ本当に真那さんは黙り込んでしまった。


 勝った……いやそうじゃない。


「お疲れ様です。思っていたより切れ味のいい罵倒でした」


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 今の今までとは違い、第一印象と同じ雰囲気に戻った真那さんは、テーブルに突っ伏して謝罪の言葉を繰り返した。


「や、謝らないでください。鍵、一応開けておきますね」


 出入り口を解錠し、テーブルへと戻る。


「先輩の《魔女》を知らずに変身を目撃したクラスメイトはびっくりしたでしょうね。でも俺はまあ、聞いて知っていましたし。別に驚かないですよ」


「……でも私、酷いことをたくさん……」


「俺が変身するように追い詰めたんですから、謝らないでください」


 伝えると、彼女ははっと顔を上げた。わけがわからないといった様子で俺を見る。その頬には涙が零れた跡があった。ああ、泣かせちゃったな……購買でアイスでも奢ったら椿姉に泣いたこと黙っててくれるかな……


 そういう問題じゃないわな。ちゃんと後で報告して怒られよう。


「パニクって言葉適当に並べているだけでしょうし、先輩の本心だとは思ってませんよ。というか安心しました。意思表示をしようってつもりはあるみたいですし、《魔女》化してもちゃんと会話成立するんすね」


「……成立して、ない」


「俺の言葉に対応していたし、成立していたと考えていいと思いますけど。すみませんね、先輩を知りたくて、一度魔女を見ておきたかったんです」


「……どうして?」


 俺が保健室を訪れたときより、真那さんの口が軽いように思える。打ち解けた……とは決して言えないが、やらかしたことでこれ以下はないという真理でも働いているのだろうか。だとすればやってよかったと思うけど。


「一度変身を目の当たりにすれば変身をとどまれる限界が把握できるし、一度は見ておかないとそれが更正できるものなのかわからないじゃないですか」


「……私は、見せたくなかったです……」


 ぐしぐしと目元を拭う彼女。


「どんまい」


「……………………」


 軽く返す俺を、恨めしそうに睨む真那さん。


「そんなに《魔女》は嫌ですか?」


「嫌じゃないわけ、ない……!」


 じわり、と真那さんの瞳が潤んだ。真那さんのまま強い言葉が出る。


「頭が真っ白になって、思ってもない言葉がでて、クラスメイトを傷つけて――あんなに親切にしてくれたのに……! 君にも、協力してくれるって聞いていたのに、酷いことを……!」


 テーブルに彼女の涙が落ちる。


「まあ並べていた言葉は酷いもんだったですけど。でも態度は堂々としているし、話し方も態度や先輩の容姿にハマっていて格好良かったですよ」


「……………………?」


 顔中に疑問符を張りつけて俺を見る真那さん。


「先輩が忌避するべきなのはパニックになって相手を罵倒することであって、凜々しくて堂々とした《魔女》そのものではないんじゃないかと思います」


 伝えるが、彼女はぶんぶんと首を振って否定する。


「り、凜々しい……?」


「ええ、毅然としていて格好よかったです」


「……でも、《魔女》なんて人に好かれる人の呼び名じゃないです……私は、こんなだけど、ちゃんと人と関わって普通に暮らしたい……」


 ……はぁん。


「ところで質問なんですけど。先輩は花村先生のこと、どう思ってます?」


 今それが関係あるのか? という視線を投げてくる真那さんを正面から見返す。彼女はすぐに俯いて、力なく答えた。


「……尊敬できる先生だと思います。若いのにしっかりしていて、私の話も根気よく聞いてくれます……好き、な先生です」


「敬語使わなくていいですよ。まあ無理にとは言いませんが……じゃあ次の質問。先輩は俺が知る限り桜星二人目の《魔女》なんすけど、先輩は一人目の《魔女》、知っています?」


「――! そんな人が……?」


「桜星は生徒数が多いから俺が知らない《魔女》が他にもいるかも知れませんけど――《魔女》なんてあだ名はそうそうつかないだろうし、俺の知人が一人目、先輩が二人目ってことにしておきましょう」


 言いながら俺は真那さんの対面に座り、ポケットからスマホを取り出した。ブラウザで《正拳の魔女》を検索し、検索結果を表示したスマホを真那さんに手渡す。


「! これ、花村先生……?」


 スマホの画面に表示させた現役時代の椿姉のスポーツ記事――それを見た真那さんは目を丸くした。やっぱり知らなかったか。椿姉が有名人なのは空手……もう少し盛っても格闘技界隈だけだもんな。


「そう、桜星のOGで元日本女子空手界のスター《正拳の魔女》――花村椿。俺が知る限り桜星の一人目の《魔女》です」


 俺の言葉を聞いているのかどうか――真那さんは食い入るようにスマホに表示された記事を読む。


「……格好いい」


「花村先生、あれで黙っていれば美人ですからね。それで実力も折り紙付ですから」


 暗い表情がだいぶ失せ、スマホの記事を見続ける真那さん。


「――……え」


「なにか?」


「…………これ、羽瀬、くん……?」


 確認するように真那さんが見せてきた画面は、《魔女の弟》として椿姉とならんで取材を受けたいつかのネット記事だった。白い空手着に黒帯を締めてトロフィーを掲げる椿姉と、その横で同じ姿でトロフィーを抱える俺の写真が掲載されていた。全国を制した時のものだ。椿姉の喜び一杯のポーズに比べ俺が控えめなのは身の程を弁えてのもの。記事の主役はあくまで《正拳の魔女》。俺は添え物だ。


 そのままスマホを取り上げるように返してもらう。


「これは気にしなくていいです。つまり、俺が言いたいのは《魔女》は必ずしも不名誉な称号ではないということですよ」


「……でも、私は、私のは違う」


 肩を落として呟く――そんな真那さんに尋ねる。


「先輩の目標はなんですか?」


「……クラスに復帰して、クラスメイトたちと一緒に卒業したい……傷つけたクラスメイトに謝りたい」


「ですよね、そう聞いています。《魔女》の名の払拭は花村先生からきいた話ですけど、それは主題じゃない――俺はそう思いました。先輩は《魔女》としてクラスに馴染んで、笑って卒業すればいい」


「そんなこと、できるわけ……」


 がない、とは言わせなかった。


「できると思います。むしろ卒業まで十ヶ月――その期間で今までどうにもならなかったあがり症を克服するより、《魔女》を制御して先輩のものにしてしまうほうがきっと満足できる結果に繋がる可能性が高い」


「……《魔女》っていうキャラを作って、人と接するってこと?」


「いけませんか? 多かれ少なかれみんなやってることじゃないですか。素の自分のまま会社勤めするサラリーマンっています? プライベートの自分のまま活動するアイドルがいますか? それで先輩の望みが叶うなら、いいんじゃないかと俺は思いますけど」


 真那さんは俺の言葉に迷っているようだった。そんな事は考えたことがない、と。


「俺は、俺自身の為に先輩の目標達成を手伝うつもりです。だから先輩は自分で好きな方を選択すればいい。ありのままの自分であがり症を克服するか、《魔女》として自分をコントロールして、クラスに復帰するか。俺は先輩がどっちを選んでもそれを手伝いますよ。ただ、一つだけ認識を変えてもらいたいです」


「……なに、を」


「先輩を最初に《魔女》と言った人は、状況的に蔑称のつもりだった可能性が高い。だけど《魔女》の字を誰より蔑称と疎んじているのは先輩自身です。桜花星翔の《魔女》は尊敬と憧憬の称号であって欲しいと俺は思いますね。少なくとも《正拳の魔女》はそうだった。先輩が《魔女》でいたくないのならそれでいいと思います。だけど、《魔女》を呪いの言葉にはしないでください」


 受け入れるにしても、捨てるにしても。


 長い黙考のあと、真那さんはおずおずと口を開いた。


「……私は、優しい人になりたいです」


 曖昧な目標だ。意図を尋ねるまでもなく、彼女自身が言葉を続けて補完してくれる。


「……花村先生はとても優しい方です。私なんかのために、一生懸命色々考えて、尽くしてくれて……素敵な先生だと思います」


「……ぱっと見そうとは見えづらいですけどね」


 椿姉が優しい人という点に異論はない。というか高三女子にこんな風に言われるなんて、ちゃんと教師しているんだな……俺は椿姉の教師の顔はほとんど知らない。生徒にこんな風に言われるのは弟分として鼻が高い。


「……花村先生は、私の憧れです」


「本人に言ってあげたらどうですか。喜びますよ」


「卒業の時には、必ず」


 真那さんはそう言って――そして顔を上げ、俺を正面からまっすぐに見た。それは彼女にとって俺の想像を超える勇気が必要だっただろう。


 彼女は耳たぶまで赤くした顔で、


「私は……《魔女》になりたい。花村先生のような、優しくて立派な、素敵な《魔女》に」


「きっとなれます。俺も手伝いますよ。頑張りましょう」


 俺はテーブル越しに彼女に向かって手を差し出す。


 真那さんは、恐る恐る――それでも、その小さな手で俺の手を握り返した。


 こうして俺と《魔女》の契約は成った。

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