魔女の茶会は放課後の保健室で ―学校一の美少女先輩は友人ゼロのコミュ不全―

枢ノレ

プロローグ 《魔女》と茶会

 俺と《魔女》の茶会は放課後の保健室で開かれている。


 いや、茶会と言うほど肩肘のはったものではないけれど。


 水曜日の放課後。《魔女》と知り合って彼女と四回目の対面。保健室には不似合いなラウンドテーブルの一角に座る俺の前に、正面に座る少女が淹れてくれた紅茶――ティーカップが置かれる。


 柔らかい香りが漂うそのカップの向こうに、長い睫毛を伏せ、赤い頬を俯いて隠そうとする少女がいた。


 少女の名は伏倉真那。俺の一つ上で、進学科三年F組の先輩だ。


 先輩は、何か言おうとし――口を噤み、けれど再び何か言おうと唇を動かして――フリーズ。俺はこちらから声をかけてあげたい気持ちを抑え、先輩の言葉を待った。


 保健室には俺と先輩の二人だけ。まるで時が止まっているかのようだ。カップから上る湯気だけが、時間の流れを感じさせてくれる。


 先輩は伏せていた視線をきょろきょろと泳がせ始めた。テーブルの下でスカートの裾を握っていただろう手を胸に当てる。すうはあと呼吸が荒くなり始めた。


 その様子を、俺は出された紅茶に手を出すでもなく、ただじっと眺め続ける。


 やがて、先輩は震える唇をきゅっと引きしめた。眉間に力を込め、涙目で俺を睨む。


「――私も人のことを言えるような人間ではないけれど! 君も大概人が悪いね?」


「や、先輩は誤解されやすいだけで悪い人じゃないと思ってますよ、俺は」


 半泣きで怒鳴る真那さんにそう返す。


「ああ、そうかい、ありがとうね! それで君はなにか? 赤面する先輩女子を無言で視姦する趣味でもあるのか?」


「いや、そういうニッチな趣味は持ってないつもりです。あと視姦って喋りながらはしないんじゃないすかね。無言ってわざわざ言わなくてもいいんじゃないですか?」


「それはどうでもいいよ! 飲・め・よ! 紅茶を! 私なんか見てないで! 淹れてあげたろう? それとも私が淹れたお茶など不味くて飲めないのかな?」


「俺、紅茶とかよくわかんないですけど、先輩が淹れてくれる紅茶は美味いと思います。でも黙って出されたんで、これ俺が飲んでいいのかなって」


「そうかいそれはどうも悪かったね! どうぞおあがりなさい――これでいいかな!」


「ありがとうございます。いただきます」


 やけくそになって吐き捨てる真那さんに礼を告げ、ティーカップに手を伸ばす。口に含めると茶葉とミルクの香りが鼻腔を抜けていった。


「美味いです」


「それは良かったよ! そんなもので良ければいくらでも淹れてやるから好きなだけ飲んでくれたまえ!」


「あざっす。あ、スコーン食っていいですか?」


 尋ねると、彼女はテーブルの中央に置かれたスコーンが載った皿を無言で俺の方へおしやった。そのまま力尽きたようにテーブルに突っ伏すと、さっきまでとは一転、弱々しい声で呟く。


「もうやだ……」


「や、今日は昨日より頑張ったっすよ。昨日は口開いた時には紅茶冷めてましたもん」


「……ごめんなさい……」


「別に謝らなくても。冷めていても美味かったですよ」


「ち、ちが……私、怒鳴って……」


「ああ。それこそ謝らなくていいですよ。そのために俺がいるんだし」


「……でも」


「さっきからスイッチ切れてますよ。その方がいいなら俺は別にそれでもいいですけど」


 たどたどしく言う真那さんにそう告げると、彼女はまっすぐな黒髪をはらはらとこぼしながらのそりと起き上がった。涙目のまま、恨めしそうに俺を睨む。


 そして今度は、先のようにはっきりと、凜とした声で。


「やはり君は人が悪い。女の子相手に手加減というものを知らないようだ。いい性格だよ」


「それが先輩の為になるならしますけど。今日はテンションが低めだった分昨日より維持できた時間は短かったですけど、さっき言った様にスイッチ入るまでが今日は格段に早かった。俺は今の時点じゃそっちの方が重要だと考えます。頑張りましたね、良かったですよ」


 そう言うと、彼女の眉間に込められていた力が抜ける。吊り上がっていた眉尻が下がり、ただでさえ赤かった頬が耳たぶまで真っ赤になる。褒めたらダメなのか……今日はここまでかな。これ以上続けるとまたマジ泣きされてしまいそうだ。


「進歩が見えたし、今日は終わりにしましょうか。やっぱ《魔女》はエネルギー使うみたいですね……俺、勝手にお茶飲ませてもらうんで、先輩も楽にしてください。無理に頑張ってしゃべらなくてもいいですよ」


 俺がそう言うと、真那さんは一瞬呆けたような顔を見せ――そしてまたへなへなとテーブルに額をつける。

 

「……お疲れ様です」


「……ごめんなさい。私なんかに付き合わせて」


 テーブルに突っ伏したまま、もごもごと呟く彼女。この姿こそ、《魔女》と呼ばれている彼女の本性だ。あがり症で、赤面症で、うまく人と話せない不器用な少女。


「しゃべって大丈夫ですか」


「……このままなら、平気……」


「じゃあ俺も話しますけど。すぐ謝るのは止めたほうがいいっすよ。相手が謝って欲しいわけじゃない時に謝るのはかえって相手を傷つけるし、場合によっては卑屈に見える」


「……ごめんなさい」


「だから、それ。今のは『そうなんだ』か『なるほど』が基本。『そういうものなんだ』とかだと会話を続けるきっかけになるかも」


「……『そうなんだ』、『そういうものなの?』」


《魔女》――真那さんが、俺の言葉をほぼそのまま繰り返す。


「そういうもんですよ」


 …………………………………………


「……会話、続かない……」


「きっかけになるかもしれない。ならないかもしれない。相手と状況によるんじゃないかと」


「……悠真は、意地悪です」


「別に意地悪をしているつもりは。適当に返してるだけです。頑張るのは先輩の仕事。俺はどう頑張っても、壁役しかできないんですから」


「……ありがとう。私、頑張るね」


 真那さんは、今度は自分の言葉でそう言った。俺は(彼女から見えないだろうが)頷いて、


「焦らず、確実にいきましょう」


 そんな風に返しながら、空になったカップをソーサーに置く。音の響きで飲み終えたことが知れたのか、真那さんは伏したままぴくりと肩を揺らし、起き上がった。視線は下――こちらを見ていないが、それでも彼女なりに勇気を振り絞って、


「……おかわり、する?」


「お願いします」


 ソーサーごとカップを真那さんに差し出すと、彼女はそれを受け取って、ティーポットから紅茶を注ぐ。



 放課後の保健室で行なわれている俺と《魔女》のお茶会はこんな感じである。


 その目的は、《魔女》――伏倉真那から、《魔女》のあざなを奪うこと。


 ――だったのだけど、本来は。





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