日曜日の小悪魔
和來 花果(かずき かのか)
第1話
ポケットからスマートフォンを取り出して、時間を確認する。
「十時二十五分。よし、集合五分前だ」
部活がない日曜日に、わざわざ学校に来るなんて、よく考えたらどうかしている、と思いながら、つい早足になる。
すでにクラスのほとんどが来ているかもしれない、と予想して、教室の後ろのドアをガラリと開けると、意外にもまだ誰も来ていない。
え? うそだろ、日にちを間違えたかな?と焦って見回すと、一人いた。
天川さんだ。体育祭の打ち上げをするために、机を教室の中央に並べているみたいだ。もう六つ、机が向かい合わせにくっつけられている。一人で並べたんだろうか。制服のシャツの袖がクルクルと折りあげられている。七つ目の机を運んできて、をドスンと置くと、ふう、と息をついた。
「おはよー。俺も手伝うよ」と、手近な机に手をかけて、天川さんに声をかけた。
「あ、じゃあ、その机はここに置いてもらってもいい?」と天川さんは大きなエコバッグが乗っている机の隣を指さした。
「オッケー!」よいしょ、っと机を持ち上げ、「それにしても、『今日は実行委員はお客さん扱いだから何もしなくていいよ』って言われてたのに、ついつい準備しちゃう俺たちって真面目だよな~」と話しかけたら、天川さんはあははと笑った。
「まあ、体育祭が上手く行ったのは、みんなのおかげだしね」
「まあ、三位だけどね?」と、「まあ」をかぶせて言うと、と天川さんが吹き出した。
体育祭は、六クラス中の三位。全然、たいしたことない。それでも、うちのクラスは、運動が出来るメンバーが少なかったから、上出来だと思う。
俺も天川さんも体育祭実行委員なんだから、もっと悔しがったりすべき、なのかもしれない。
だけど天川さんは、なぜ体育祭実行委員になったのか分からないほど、目立たないタイプな上に、運動神経レベルも、少しひいき目にみても、平均をやや下回っている。
他のクラスの体育祭実行委員といえば、ほとんどが運動部の生徒だ。負けず嫌いが揃っているから、たかが体育祭と言えども勝負には熱くなりがち。天川さんほど勝敗にこだわらない実行委員はめずらしい。
(もしかして、歴代一位だったりして)なんて思ってしまう。
とはいえ、サッカー部のオレも熱血からは程遠い。これは性格だ。
体育祭実行委員になったのは、一年のうちで、一時期だけしか仕事がないからだし、無難に体育祭が終わればそれでいいと思っている。
そういう意味では、天川さんと俺は似ているし、今年の体育祭は大成功だと思う。
基本的な運動能力が劣っているうちのクラスは、どの競技も勝てないのが普通。負けてもドンマイ、勝ったら奇跡のほんわかムードが漂っていた。
唯一獲得した一位は、全員参加のクラス対抗のムカデ競争だった。長い綱に結んだ布で足を縛り、女子で1チーム、男子で1チームを作るから、かなり長いムカデが出来上がる。
練習では、女子チームはいつも、ビリかビリ前を争っていたのに、本番では先頭のクラスが転んでコースをふさいだせいで、二番目を走っていたクラスも転んでだんごになったところに、三番目のチームも突っ込んだ。
四番目を奇跡的に走っていた我がクラスの女子チームは、前のチームと距離が開いていたので、転んでもがくムカデたちを回避して抜かし、そのままゴールしたのだ。
大逆転のレースは、すごく盛りあがり、一気にクラスの結束が高まった。
だけど、こんなのは実はめずらしいことだと思う。先生側の理論では、春開催の体育祭は、クラスの親睦を深められる、ということらしいけど、逆に仲が悪くなったらどうするんだ。去年はひどい体育祭のせいで、一年間辛いものがあったぞ、と顔をしかめた。
しかしとにかく今年に限って言うなら、ムカデ競争のごっつぁんゴールで、たまたま先生理論を実証した我がクラスには、日曜日に教室で打ち上げをする企画がもちあがった。
休日は部活動以外の学校での活動は禁止されているが、真面目でおとなしい天川さんが一生懸命に頭を下げる姿に、担任のガンコ先生……じゃなくて、小岩先生も許可を出してくれた。
ガンコ先生は小岩をひっくり返して、漢字の読み方を変えたあだ名だけど、今回はガンコ返上の計らいだ。もう小岩先生をガンコと呼ぶのはやめよう。
「よっと」と、持ち上げて移動させてきた机を、エコバッグが置いてある机の隣におろす。ガツッと机同士がぶつかった。
「あ、やべ」
エコバッグがゆっくり傾いて、ジュースやお菓子がはみ出た。天川さんの私物が入っているのかと思っていたけれど、違っていたみたいだ。
「買い出しも行ってきてくれたの? 言ってくれれば手伝ったのに」
買い物を天川さんに行かせるなんて聞いてない。実行委員は、体育祭でがんばってくれたから、打ち上げはお客さんでいいよ、という話はどうなったんだ、と本日二回目の感想が沸き上がり、クラスの奴らにちょっと抗議したくなった。
「あ、ううん。私が行くって言ったんだ」
俺が鼻息を荒くしたことに気が付いたのか、天川さんは胸の前で手をぶんぶん振った。
「お母さんが車を出してくれることになったから、私も行くよ、って言ったんだ。それに、買いたいものもあったし」
「そうなの? 食べたいもんでもあった?」
ちょっと意外だ。天川さんは打ち上げの食べ物に、何か主張するようには見えない。
「食べたいというか、買いたいというか。でも、私だけじゃ持ちきれないから、他の人も買ってきてくれるよ」
「何買ってきたの? 見ていい?」と言いながら、返事を待たずにエコバッグの中身をあさる。
「おお~! 俺の好きな強い炭酸レモンの青空味がある! やったー」
青空味はマイナーなので、買ってもらえるとは思っていなかった。嬉しくなってさらに、袋から次々に中身を出す。
「お、これ、内藤が好きなやつ」と、長いジャガジャガチーズ味を指さす。内藤も体育祭実行委員の一人だ。
「うん。好きだって聞いたから」
「えっ? 内藤がジャガジャガ好きだって言っていたから、買ってきたの?」
「うん」
「えーっ!」
なぜか胸がチリっとひりついた。俺が炭酸レモン・青空味を好きだということは、天川さんに話した記憶はないから、偶然だと思う。
しかし、ジャガジャガチーズ味は内藤が好きだ好きだと日頃から言っているから、天川さんも知っているはずだ。内藤のために、わざわざ買ったのか……。なんかズルい、と子供っぽい気持ちが沸き起こる。
動揺したことがバレないように、机に転がっていた、小さめのケーキを手に取る。
「切れてるアフタヌーンアップル。これは女子が好きそうだよな」
「それは、サツキちゃんに買ってって頼まれたんだ」さつきちゃんも女子の体育祭実行委員だ。
「へえ……」なんだかもやもやする。「じゃあ、田中が好きなものもある?」
「田中君は定番のポテチ」
「じゃあ、南さんは?」
「卵サンドイッチ」
「なるほど、実行委員全員の好物を買ってきてくれたんだ」
「バレたか~。予算内で好きなもの買ってきていいよ、って言われたから」
天川さんはほんのり頬を染めて、照れたように笑っている。
ということは、俺の青空味も、いつの間にかちゃんと調べて、買って来てくれたのだろう。そう思うと大幅に機嫌が回復……したが、何かおかしい。
なんだか少し、もやもやが晴れないんだ。俺だけが特別だったらよかったのに、と思ってしまう。
結論として、天川さんはシンプルに親切な人なんだと思う。俺にしてみたって、天川さんはただのクラスメートの一人だ。天川さんのことが好きでもないのに、特別扱いしてほしかっただなんて、そんなことを思うのは、自分勝手だって分かってる。
わかっちゃいるのに……生のピーマンを齧ったような苦みが胸に広がる。なんだこれ?
はっきりしない気持ちにフタをして、次の商品を手に取る。魚肉ソーセージ。打ち上げのメニューにしては変わっている。実行委員の好きなものは全員分あった。ということは、これは天川さんが好きな物なんだろうな、と思ったが一応聞いてみる。
「天川さん、魚肉ソーセージが好きなの?」
「ううん。これは神谷くんが卵アレルギーだって聞いたから」
神谷は体育祭実行委員でもなんでもない。ただの浮かれたクラスメートだ。
「神谷と仲がいいんだね。アレルギーの事、知っているなんて」
少なくとも、そこそこ神谷と仲のいい俺は知らなかったぞ。
天川さんは、唇を尖らせた俺を見て、驚いたみたいにちょっと目を見張った。
「あのね、個人情報だから、内緒なんだけど」と言って、俺の耳にちょっと顔を寄せてきて、ドキッとする。
「うん」と頷くのが精いっぱいだ。
「小岩先生に打ち上げの許可をもらいに行った時、食べ物を出すから、アレルギーを持っている子の情報ください、って聞いて、教えてもらったんだよね」
「そこまでしなくても……。クラスで話し合った時にでも、アレルギーの人いますか、とか聞けばよかったんじゃない?」
「そうなんだけどね。私の妹もアレルギー持ちなんだけど、『気を使われて、自分が食べられるものばかりにしたら、皆が好きなものを食べられなくなっちゃうのが一番イヤなんだよ』って言っていたから。だから、基本的には皆が好きなものを買うけど、少しは食べられるものもあった方がいいかなって思って。
あー、でもやっぱり、聞いちゃってもよかったかもしれないよね。その方が好きなものを外しちゃう危険もないし。食べられても、もしかしたら魚肉ソーセージ、好きじゃないかもしれないし」
天川さんはブツブツ言いながら、眉間に皺をよせて、買ってきたジュースや軽食、お菓子を机に並べていった。変な嫉妬にかられて、俺が変な事を言ったせいで、天川さんのせっかくの気遣いを後悔させてしまった。
俺は神谷の弁当を思い浮かべてみた。普段は自分の席で弁当を食べることになっているので、席が離れている神谷の弁当は見えない。しかし体育祭の時は席は自由に移動できた。神谷は隣のグループで弁当を食べていたはずだ。魚肉ソーセージは、神谷の弁当に入っていただろうか?
「うーーーん。うーーーーーーーーーーん。あーっ、魚肉ソーセージ、神谷は食べてたかなあ? 思い出せねえ……。あっ、でも俺は好き、魚肉ソーセージ。俺食べる」と言うと、天川さんがはじけるように笑い出した。
「やっぱり君はやさしいね。ありがとっ」
地味だと思っていた天川さんの笑顔は、ひまわりみたいにまっすぐに俺に向けられていて、ドキッとする。
天川さんの方こそ、やさしくて、仲間を大事にする、笑顔がかわいい人だ。
だけど、天川さんはただのクラスメートの一人で、一緒に体育祭実行委員をやって、今日曜日のほんのひとときを二人で過ごしだけの関係、のはず……だよな?
その時、廊下から、賑やかな話し声が聞こえてきた。
「あ、なんだよ、あいつら。遅刻じゃん」
教室の時計の針は、集合の十時半を大きく過ぎて、すでに十時五十五分を指している。
「時間通りだよ」
「え? だって……」
天川さんは、「時間通りだよ、クラスのみんなも、君も、ね!」と言うと、教室のドアの方に走って行った。
(あいつらも、俺も、時間通り? どういうことだ?)
天川さんの後姿を目で追いかけながら、その意味を考える。
「えっ」ドキッとして、声が飛び出した。もしかして…? 手の甲で口を抑える。耳が熱くなっていく。
天川さんは、教室のドアに手をかけたところで、振りかえった。そして悪戯っぽく、笑ったんだ。
真面目な天川さんの小悪魔な笑顔に、俺の心臓は一瞬遅れて騒ぎ出す。
日曜日の小悪魔 和來 花果(かずき かのか) @Akizuki-Ichika
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