PM 11:05
何でもいいから甘いものが食べたくなって、近くのコンビニに行くことにした。
こんな遅くに甘いものを食べたら太るだろうか。そんなことだけをぼんやり考えながら、私はコンビニに向かって歩いた。
*****
五分ほどで着いたコンビニの店内には人がおらず、ただ白すぎる蛍光灯の明かりが浮くように店内を照らしていた。
レジにも店員がいない。お会計の時は、奥に声をかければいいのだろうか。
スイーツの棚から手のひらサイズの正方形のアップルパイを一つだけ手に取ると、レジに向かう。
あまり大きな声を出すのは得意じゃないけれど、店員を呼ぶために身を乗り出す。すると、レジカウンターの中に青いバイトの制服を纏い、
なんだ、いたのか。
どうやら完全に背を向けているせいで、
それにしても、この髪型と髪色、やけに見覚えがある。
私はその見覚えのある背中に声をかけた。
「あのー」
「あっ、すみません、お客さ——って、え⁉︎ たっ、高橋じゃん」
私の声に慌てふためいて立ち上がった店員は、私の予想通り立石だった。
立石春太郎。
私の高校の同級生で、ここのコンビのアルバイターだ。
ここ数年、一切の交流がなかったが、先月このコンビニでたまたま再会した。
「うん、高橋です。こんばんは」
「こっ、こんばんは」
多少どもりつつも、立石は返事を返す。
「急でびっくりしたー……。俺、心臓止まるかと思ったわ」
「店入ってきた時に気付かなかった? 入店音ないけど、自動ドア開いた音ぐらいはしたはずだけど」
訊くと、
「いやー、ちょっとレポートやってて気付かなかった。これ、明日の夕方までなんだけど、間に合いそうになくて」
と言って、左手に持ったスマホの画面を見せてくれた。確かに、そこには字がびっしり打ち込まれている。あとで、Wordにでも移すのだろう。
「この時間、あんま客来ないし、しゃがんでやればバレないかなーって」
「そう」
それから、立石はアップルパイの会計を始めた。私もポケットからがま口を取り出す。
確認がてら、がま口の中の小銭を人差し指で転がしながら、私は口を開いた。
「立石。なんか面白い話してよ」
「え? 高橋がそんなこと言うの珍しいな」
確かに珍しいかもしれない。ちょっと、今の私は頭がどうかしているのだ。
それでも、肯定せずに立石の目を見続けていると、立石は私の視線から逃れるようにふいっと目を逸らしてから言った。
「まあ、実は今度高橋に会ったら、言おうと思ってた話があるんだよ。
先月のこと、覚えてるよな?」
「うん」
先月、私達はふとしたはずみで、落とし物のレシートに書かれた謎の言葉の意味を推論した。それのことを言っているのだろう。
「それと似たようなことがあったんだよ」
立石は自信満々にそう言うと、レジを打ち込む手を止めて、言い放った。
「『愛と呼べない夜を越えたい』」
「え?」
「昨日来た客が言ってた言葉なんだけど、この言葉の背景、考えてみないか?」
愛と呼べない。
私はそのワードに少し顔をしかめた。今、あまり聞きたくなかった言葉だった。
「どうかしたか?」
「ううん。何でもない」
私は立石の言葉に首を横に振ると、気を取り直すように唇を湿らせる。
「じゃあ、考えていこうか。えっと、何だっけ。愛のない……」
「愛と呼べない夜を越えたい」
「それ」
立石は不要レシート捨てからレシートを一枚取り出し、その裏面に『愛と呼べない夜を越えたい』とメモして、私に差し出した。
「そもそもこれ、どういう状況で聞いたの?」
差し出されたレシートを見ながら訊くと、立石は少し考える風で切り出す。
「えっとー、夜9時ぐらいだったかな。二十代後半ぐらいのサラリーマンっぽい男二人組が来てさ。そん時に、その片方が言ってた。『愛と呼べない夜を越えたい、ってな』って、ちょっと茶化した感じで」
「それはレジの時?」
「いや、商品の陳列してた時。確か、そっちの食事系の商品が置いてあるとこ」
立石は店の奥の方を指す。その辺りには、おにぎりや弁当、丼もの、麺類が置いてある。時間帯から考えて、そのサラリーマン達は夕飯を買いに来たのだろうか。
「あ、それと」と、立石が付け加える。
「その例の言葉を言ってた方のサラリーマンは、下の名前が《ミドリ》で、《ユカリ》って名前の奥さんがいるらしい。んで……」
「え、ちょっと待って。何でそんなこと知ってるの?」
明らかに個人情報ではないだろうか。そう思って問うと、
「いやー、この《ミドリ》さん? って人、うちの店よく来るんだよ。そん時に、話してんのを聞いた。あっ、でも別に盗み聞きとかじゃないからな! たまたま耳に入っただけで」
「お客さんのことって、そんなにはっきり覚えてるもんなの?」
私の感覚だと、ここのコンビニはそこそこ繁盛している。それなのに、一人一人客のことを覚えている、というのはやや不自然な気がする。
と、立石はさらりと言った。
「さすがに全部の客覚えてるって訳じゃないな。でも、《ミドリ》さん、ちょっと印象深かったから、覚えてた」
「印象深い? その《ミドリ》さん、何かしたの?」
「何かしたってわけじゃないんだけどさ。財布にイヌノスケのストラップ付けてたんだよ。珍しくない?」
私はそこで一旦固まった。知らない単語が一つ紛れ込んでいる。
「イヌノスケって何?」
「……え?」
まじか。知らないだけで、こんなに戸惑いの表情を向けられるレベルの知名度だったのか。
立石は親切にもスマホで検索して、画像を見せてくれた。
「これ」
そこには、緑茶色をした垂れ耳の犬のキャラクターが描かれていた。上の方には『まったり! イヌノスケ』と書いてある。
うん。全く知らないです。
私の様子を見て、立石が訊いてくる。
「え、一回も名前聞いたことない?」
「ない」
「この画像に見覚えは……」
「ない」
「可愛いと思わ……」
「な……いや、違う違う! 可愛いとは思うよ」
やり方が卑怯だ。誘導尋問ダメ絶対。
「誘導尋問、断固反対」を瞳に宿して、立石を睨みつけると、立石は「とにかく!」と話題転換しやがった。
「こういうストラップを男の人が付けてるのって珍しくないか?」
「確かに」
「だから、覚えてたんだよなー」
少し脱線してしまったので、話を戻す。
「で、他に何か《ミドリ》さんについての情報はあるの?」
「あー、そうそう。《ミドリ》さんの奥さんの《ユカリ》さんは、《ミドリ》さんと同じ職場にいたらしい」
同じ職場、と言うと。
「社内恋愛だったのかな」
「かもな。会話の感じから、もう今は働かずに家庭に入ったっぽかった」
「なるほどねえ」
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