第13話 新たな事実

 TWでのALは人間と同じような言動を示すことはミカも知っていた。だがそれはあくまでも情報処理能力を持つという意味であり、人間でいう感情のやり取りをすることを意味するものではなかった。


「ちょっと待ってお姉さん、それじゃあジョーのALたちは私たちと同じように感情を持っているっていうの?」


「まだはっきりとしたことは言えないけど、おそらくそうだわ」


「そんなの嘘よ。ALは所詮単なるプログラムよ、それ以外の何者でもないわ!」


「この世界にいる私たちの立場からすれば、確かにそう結論付けるしかないけど」


「ほら、やっぱりそうでしょう?」


「でももしかすると、わたしたちが知らないだけで、あの世界には、プログラムという概念を超えた特別な何かが存在できるのかもしれないわ」


「ジョーのALがそうだって言うの? 姉さんの作ったジョーのポッドには何か特別な仕掛けでもあるっていうわけ?」


「いいえ、私の作ったジョーのポッドに特別なことは何もしてないわ。ほかのポッドと全く一緒よ」


「じゃあどうしてジョーのALがそうだって言い切れるの?」


「わたしが思うに、ジョーのALたちは後天的にそういう風になったんじゃないかしら?」


「後天的って?」


「ママの愛情によって」


「ママの愛情ですって? ALたちがママの愛情を受けて感情を持つようになったっていうの? 姉さんともあろう人がそんな馬鹿げたことを」


「馬鹿げてなんていないわよ。あくまでも可能性よ。でも今のところ誰もそれを否定できないわ。だって、オクテット化に成功しているのはここにいるジョーだけなんだから」


 カナは、寝ているジョーの頬を軽く抓るような仕草をして、無邪気に小さく微笑んだ。


「ALが感情をもつなんて……」


「ママの愛情を受けて育てられたジョーのALたちは、さらに強い愛を受けようとして、必然的に様々な感情を抱くようになったんじゃないかしら? 結果的に、それがジョーのALたちのレベルを引き上げることになったのだと思う」


 ミカは、少し考え込むように、右手の拳を顎の下に潜り込ませた。


「姉さんは、もうだいぶ前からそのことを知っていたの?」


「私がそのことを知ったのは、あなたがDDUに行く少し前よ。あるとき、三兄弟たちの様子が何か変だなって思って、スエズリーに問い正したのよ。そうしたら、ママがTWに出入りするのを手伝っているって」


 このときカナは、ちらりとジョーの寝顔に視線を向けた。


「それを聞いたときは、今のあなたと同じように私も驚いたわ。でもそれと同時に、ママがTWで何をしてるのかすごくに気になって。ウエズリーに予め頼んでおいて、ママがTWに入った後、私もそのすぐ後に入らせてもらったの。そうしてママを尾行して様子を見ていたら、ママはジョーのALたちに会っていたの。特にレベル3のイワンに関しては、とにかく暇さえあれば出向いていって彼の介護をしていたわ」


「ママが内緒でそんなことをしていたなんて。でもどうして? どうしてジョーなの? ママ!」


「……」

 リサ博士は、黙ったままジョーの寝顔を見つめていた。


「ジョーが、ママの実の息子だからよ」

 カナが呟くように言った。


「なんですって!?」


「しかも父親は、あなたの今の上司であるアランよ」


「えっ!? 嘘!? 嘘でしょ姉さん!」


「嘘じゃないわ。ゲノムポッドを作るときは、本当に本人のDNAなのかを確認するために、その両親のDNA情報も調べなければならないの。間違いなくジョーは、ママとアラン双方のDNAを受け継いでいるわ」


「信じられない……あのアランとママがそういう関係にあったなんて。だってアランは確か、幼いころから士官学校に通ってあらゆる国防教育を受けたいわば軍事エリートのはず。一方のママは、勿論この国を代表する科学者の一人だけど、普通の民間人で、学校だって全部私立だし、出身だってアランとはまるで違うじゃない。一体どこに二人の接点があったっていうの?」


「精子バンクよ」


「精子バンク? この国の優秀な人材の遺伝子を保存するために設立されたあの国立機関?」


「そう、二十代のころのアランは士官学校でいつもトップの成績を収めていて、最優秀士官にも何度か選ばれたこともあったそうよ。そんな彼の遺伝子が保存候補に上げられたのは容易に想像がつくわ」


「でも、だからといってなぜアランが父親だと?」


「精子の取り違えが起きたのよ」


「取り違えですって?」

 何か汚いものでも見たときのように、ミカの顔が一瞬だけ歪んだ。


「そうよミカ、決してあってはならないミスが、私の身に起きていたの」

 それまでカナの陰に隠れるようにしていたリサ博士が口を開いた。


「ミカ、今まで黙っていてごめんなさい。あなたたちを巻き込みたくはなかった」

 リサ博士は、その強い眼差しをミカと、そしてカナに向けた。


「私が二十七、八歳のとき、ある男性に恋をしたの。彼も私を愛してくれて。かなり優秀な科学者だったから、その人の精子も精子バンクに保存されていたわ。でもその人は、ある日突然研究室で倒れて、そのまま亡くなってしまった。ものすごいショックだった。それで私は」


「せめて、愛する人の子供を生みたいと思ったのね」


「ええ、精子バンクからその男性の精子を譲り受けて、体外受精で妊娠したのよ。ところがある日、バンク側から連絡があって……」


「取り違えが判明したのね」

 リサ博士はゆっくり頷いた。


「そのときは眠れない日々が続いて、食事もほとんど喉を通らなかった。何度も中絶を考えたし、周りにも勧められた」


「でもママはそうはしなかった……ジョーは? ジョーはそのことを知っているの?」


「私が実の母親であることは、養父母を通じてすでに知っているわ。でも父親がアランであることは、さっき、飛行機から降りたときに伝えたわ。今のあなたと同じように彼も驚いていた」


「ママは、ジョーと会っていたの?」


「いいえ、会うのは二十年ぶりぐらいよ」


 その声のトーンから、リサ博士がジョーと感動の再会を果たしたわけではないのだと、ミカとカナは思った。


 リサ博士とジョーとの間に一体何があったのか? 二人はそれを聞きたかったが、ジョーに殴られてまだ完全には回復していない満身創痍のリサ博士に、ここでその質問をするのは酷のように思えた。


「ママ、AITでこの事実を知っているのは、私と姉さん、そして、あの三兄弟たちってこと?」


「いいえ、あの兄弟の中で知っているのはウエズリーだけ。彼、私を気遣っていろいろ協力してくれたわ」


「そうだったの」


「カナには、ジョーが宇宙パイロット候補として選ばれたときに教えたのよ。ジョーのゲノムポッドを作るときに必ず分かってしまうから。ミカ、あなたには時期をみてちゃんと話すつもりだったのよ。でもあなたのDDU行きが決まって話そびれてしまった。ごめんなさい」

 そう言うと、リサ博士は身を屈めてジョーの顔をのぞき込んだ。


「カナ、ジョーに何があったの?」


「それが私にもよく分からないの。DNAの配列表を見せたら、急に倒れちゃって。でも大丈夫よ、ちょっと気を失っているだけみたい」


「塩基配列を見て倒れた? それってまさか、ジョーもあなたと同じように」

 リサ博士がカナに何かを言おうとしたとき、 


「博士、ちょっとこっちに来て下さい。レベル2のコンディションに変調をきたしたレベル2がいます!」


 モニターをチェックしていたウエズリーがリサ博士を呼んだ。


「ミカ、カナ、ごめんなさい。ちょっと見てくるわ」 

 心にある不安をかき立てられたように、リサ博士はウエズリーの元に急いだ。


 ジョーのそばにいるのは、カナとミカだけになった。


「それはそうとミカ、あなたどういうつもり?」


「何よ姉さん、藪から棒に」


「とぼけないで! あなたのALとそのサポーターたちのことよ」


 それを聞いたミカは、言いかけた言葉を喉の奥にしまい込むように軽く二、三度うなずいた。


「全く、あなたのALなんて作るんじゃなかったわ」


 原則として、DDUから指定を受けた人間以外のALを作ることは法律で禁じられていた。しかし、研究上の理由から、宇宙パイロットたちのALの比較対象となるALが必要だった。それを知ったミカは、カナに頼み込んで自分のALを作ってもらったのである。ただ、ミカのALはあくまで比較対照にすぎないため、サポーターをつける必要はない。


「全く、こそこそとサポーターなんかつけて、何を考えているの?」


「別にいいじゃない。彼らがやりたいって言うんだもの」


「ふーん、でもねはっきり言わせてもらうけど、あなたのサポーターは全員最低よ! あんたに下心がある馬鹿な男ばっかり。あんなのに任せてまともなALが育つと思うの?」


「彼らのことをそんな風に言わないでくれる。みんな私のためにがんばってるくれているんだから。その証拠に、すでに全てのALがレベル2に達しているわ」


「あなたって、ほんとにおめでたいわね。ALを作った直後から何か様子が変だなとは思っていたけど。実は私、あなたが留守の間、ガンダーレ兄弟に頼んであなたのALたちを見に行ったのよ」


「なんですって!?」


「正直酷かったわ。あれでレベル2なんて絶対に嘘! ジョーのALたちに比べたら、あんたのALなんて出来損ないのダッチワイフみたいなものよ! 忠告しておくけど、あんなALたちとオクテットフォーメーションを行ったらきっととんでもないことになるわよ!」


 カナの辛辣な言葉は、それまでミカの内側でぼんやりとあったものを、突如明確にした。


 実際のところミカは、何か怪しげで漠然とした不安のようなものをずっと感じていた。レベル2というのは、あくまでもサポーターたちから聞いていただけで、ミカが自ら確認していたわけではなかった。


「そ、そんな……」


「ふん、バカね、後悔しても遅いわ。そんな顔、私に見せないでよ」

 ミカはみっともないくらいにうなだれていた。サポーターのほとんどが報酬として彼女の身体を求めていたのである。


「ジョーの代わりにオクテットになろうとしていたようだけど、あなたには到底無理よ。早くDDUに戻ってオー・プロジェクトだったっけ? その準備をしておきなさい」


「えっ?」


「えっ、じゃなくて。あなたの仕事は終わったのよ。でも勘違いしないで、お払い箱っていう意味なくて、十分に働いてくれたって意味でね。さっきも言ったけど、ジョーをここに連れて来てくれたこと、それがあなたの最大の功績なのよ」


「姉さんがさっきから言っていること、私にはよく分からないわ。ママが私にジョーをここに連れてこさせたのは、ここでジョーにすべてを打ち明けて、それで彼を説得して、もっと知的な性格になるように彼を鍛えるためでしょ? それなら私も手伝うわ。こうなったらジョーには絶対にオクテットになってもらわないと困るの」


「困る?」


 ミカは目を一瞬大きく見開き、右手で口を隠すような仕草をした。ミカのそのあからさまな動作をみたカナは怪訝そうに眉を顰めた。カナは、ジョーに書き換えられたミカの背中の入れ墨のことを知らなかったのである。


 タラップから落ちて医務室に運ばれたミカは、リサ博士と二人きりになったとき、こっそりと進めていた自分の計画を話した。それを聞いたリサ博士は驚き、いまにも発狂しそう勢いでミカを叱責したが、それでもミカは、自分が是非ともオクテットにならなければならない理由が生じたことを、その入れ墨を見せて納得してもらおうとしたのだ。


 しかしちょうどそのとき、ジョーのサポーターの一人である男性スタッフ、実はこのサポーターはミカのサポーターの一人でもあったのだが、突然医務室を訪れ、ミカの背中を偶然見てしまったのだった。そのスタッフは現在、病院のベッドで、恐怖が化体した悪夢につけ回されている。


「いろいろあるのよ。姉さんには関係ないわ」


 明確さを欠く答えが、洋服の綻びでも見付けたような感じをカナに与えた。しかし、もともと詮索するのもされるのも好まないカナは、視線を不意に落とすミカに、独特の間をもって答えた。


「……まあいいわ。話を戻すけど、人の性格なんてそんな簡単に変えられるものじゃない。そんなことは初めから承知の上よ。だから、あなたの計画には何の期待もしていなかったし、むしろ心配してた。あなたのせいで逆にジョーが変な風になったらどうしようかって。どうやらそういうことはなかったみたいだけど」


 カナは、ミカを挑発するような口調で言った。

「姉さん、もう分かったから、そんなふうに私をいじめるのはやめて。それより、ジョーをここに連れてこなければならなかった本当の理由って?」


 カナの両目から放たれる刺すような視線に幾分対抗するかのように、ミカはカナにあえて語気を強めていった。


「本当の理由? そうね。ジョーに我々の事情を話すところまでは合っているけど、肝心な所が違うわ。ママは詳しいことをあなたに一切話していなかったのね」


「どういうこと?」


「どうもこうもないわ。鍵ははじめからジョーが握っているのよ。そう、この男がね。もう、いいかげんに起きなさいよ、ジョー!」

 カナは彼女の膝で寝ているジョーのおでこを右手で叩いた。


「ぎゃっ!」


「えっ!?」


「しまった」

 ジョーはゆっくりと目を開けて、照れくさそうに下唇をわずかにかみながらカナを見上げた。


「信じられない。あなた、寝たふりをしていたのね! いつよ、いつから気が付いていたの?」


「えへへ、実はもう結構前から。君の膝枕が妙に心地ちよくて、つい」


「何を言っているの馬鹿! 早く起きなさいよ!」


 カナが真っ赤な顔をしてそう言うやいなや、リサ博士の傍らにいたはずのウエズリーが烈火のような勢いでやって来てジョーをいきなり蹴り飛ばした。ジョーはソファから床に転げ落ちた。


 ウエズリーは、リサ博士と他の兄弟たちと一緒にいて、何やら忙しそうにPC端末を操作していたのだが、それはフリだけで、実はこっそり細心の注意でカナの話に聞き耳を立てていた。


「痛ってえなー、何すんだよ!」


 ウエズリーは、ジョーの言うことなど全く聞かずに、カナの前で片膝を立ててひざまづいた。


「カナさん、もう大丈夫です。あなたのその優しい心につけ込むゲス野郎はこの私がたった今、排除しましたから」


 カナは、予想もしなかったウエズリーの行動に少し戸惑いながらも、瞬時に且つ打算的に相手を気遣うことのできる女性特有の理性と感性とを見事に示した。


「ウエズリー、あなたの行動には一片の非もないわ。悪いのはそこに転がっているゴミ男よ。でもあなたは彼を赦さなければならない。なぜなら、そのゴミ男には、あなたの言動に見合う価値などないから。あなたのその敬虔な精神と、それに裏付けられる剛胆な行動を理解することなど到底できないくず男だから!」


 ウエズリーは目を大きく見開きながら、心の奥底にまでカナの言葉が響きわたるのを感じた。スエズリーは天井を仰ぐようにみつめると、静かに目をとじて深呼吸を一つした。


「ええ、カナさん、あなたのおっしゃるとおりです。もちろん、私は許しますとも、どうして許さないことがあるでしょう? なぜなら、その言葉が、一番の侮辱を受けたあなた自身から発せられたものだからです!」


 ウエズリーがそう言って目を開けると、カナはもうそこに居なかった。カナはミカと共にジョーのそばにいた。


「ジョー、大丈夫? 立てる?」

 カナはジョーのことを殊更に心配している様子だった。


「カナさん!」

 ウエズリーが叫ぶと、


「え? ああ、赦してくれてありがとう」

 カナはウエズリーの顔も見ずににべなく答えた。


 ジョーは、右肩と左肩のそれぞれをカナとミカに支えられながら、ゆっくりと立ち上がった。


「二人ともありがとう。大丈夫、一人でいけるよ」


 ジョーはカナとミカから離れて一人で歩き、近くにあった椅子に座った。


「ふうー、一体全体何がどうなってんだか」


 ジョーは少しうつろな目をしながら、床の方をぼんやりとみた。

 実のところ、ジョーはミカとカナ、そしてリサ博士の三人の声で目を覚ましていた。彼女たちの話し声と共に、甘く柔らかい香水の香りがジョーの鼻をかすめると、声の主のひとりがカナであることが分かった。


 薄目を開けると、カナの下顎と、小さな鼻の穴が2つ見えた。

(すると、この首の下に受ける感覚は彼女の太股か。へえー、彼女、俺に膝枕をしてくれているのか)


 ジョーにとって、女性に膝枕をしてもらったのはこれが初めてだった。

 羽毛が静かに舞い降りることを許すときの大気のように、音もなく風もない、しんとした安らぎが静かに取り巻くような、そんな感じがした。


 カナは誰かと話をしているようだった。聞き覚えのある声だった。目を覚ました当初、ジョーはカナの話を聞くつもりはなく、そのまましばらくまどろんでいたかった。しかし、会話の中に自分の名前が出てくる、もう聞かずにはいられなくなり、結局ウエズリーと同じ様に盗み聞きするということになった。


 会話を聞いているうちに、カナが話をしている相手はどうやらミカとリサ博士であることが分かった。その会話でのミカの口調は、静かで、どこか気品さえ漂わせるもので、ジョーがこれまでに聞いたどの口調とも異なっていた。


(ここに着いたときにいきなりリサ博士に言われた通り、俺の父親があのアランだってことは間違いないみたいだな。それにしても……驚いたな)


 ジョーは自分の母親と父親が誰かということよりも、精子の取り違いによってこの世に生を受けたことにショックを受けていた。


(俺は、間違って生まれてきたのか)


 ジョーは、心に生じた揺動を沈めるように目を閉じたままじっとして、ミカとカナの会話を聞いていた。

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