第9話 カナ
ジョーは、電子ロック付きの薄暗い物置部屋の中に一人閉じ込められていた。
ミカに連れて来られたその部屋には、天井まである収納棚が五列ほどあり、いくつもの段ボール箱が、はめ込まれたように隙間なく各棚に置かれていた。
ジョーは壁に背中をもたれると、そのままゆっくりと腰をおろして座った。そして、AITに来てからこれまでのことに思いめぐらせ考えていた。 だが結局のところ、明確な結論に至るようなことは何もなく、ただ一つの思いだけが頭の中をよぎった。
(マリアはどうしているだろう?)
ジョーはマリアのことを思った。初めて気がついたことだが、それまでに一度もこんな風に彼女のことを想ったことはなかった。マリアはいつも当たり前のように彼のそばにいた。いや、居てくれていた。
(きっと心配しているだろうな……)
ジョーはため息を漏らしながら、薄明かりのもれる高窓の方に目をやった。壁を何とかよじ登ってあそこから逃げ出せるかもしれない。そんなことをぼんやりと考えていた。
(いや、もうごたごたはたくさんだ。逃げ出せばそれだけまた話がややこしくなる。こうなりゃもう、なるようになれだ)
ジョーは少し眠ろうと思った。壁に寄りかかりながら目を閉じた。
コンコン
意識が遠くなりかけたとき、出入り口のドアの方から音がした。
「ジョー、そこにいるの? 私よ」
少し朦朧としていたが、ジョーにはその声の主がだれかすぐに分かった。ジョーは、ドアの方に這うようにして行った。
「君か。ちゃんと服を着替えて体も暖めたかい? ずぶ濡れだっただろ?」
「私のこと、心配してくれるの?」
「いや、別に心配ってほどのことでもないけど」
ドアの向こうにいる声の主のは先ほどの少女だった。だがその声は、さっきまでの調子とは違ってか細く静かな声だった。
「さっきはごめんなさい。私のせいでこんなことになっちゃって」
あまりに素直な言葉に、ジョーは少しだけ驚いた。
「いや、いいんだよ。それより君、一人かい?」
「ええ」
「リサ博士はどう? 大丈夫かい?」
「ママはまだベッドで寝ているわ」
ジョーは彼女が来てくれたことをうれしく思う一方で、彼女の口から出たママという言葉が、ジョーの中でぼんやりとしていたある疑問を顕在化させた。
「君もリサ博士のことをママっていうんだね。ミカもそう言うだろ?」
「ミカと私は双子の姉妹よ。リサ博士は、両親を事故でなくして身寄りのなかった私たちをここで育ててくれたの」
「えっ? 今なんて言った?」
「だから、ミカと私はここでリサ博士に育てられたって」
「ちがう、その前! 双子とか言わなかった?」
「そうよ、ミカと私は双子の姉妹なの」
「ちょ、ちょっと待てよ! だって君はどう見てもまだ子供じゃないか? ミカは今二十四歳のはずだ。確かマイクと同い年だから」
「そうよ、わたしも二十四よ」
「ええっ!?」
「私、病気なの。百万人に一人とか二人、そういうかなりレアなものらしいけど、その病気のせいで私の体は子供のときのまま、大人の体にはなれないの」
「大人になれないだって?」
「ええ、治療法もまだ見つかっていないわ。でも……」
「でも、なんだい?」
「ううん、なんでもない」
「ミカの方は?」
「ミカ? ミカは正常よ。不思議よね。私だけこんな病気になるなんて」
「ごめん、俺、知らなくて」
「気にすることはないわ。知らなくて当然ですもの。私は平気よ」
「気丈なんだね……あのさ、話は変わるけど、食堂での約束を覚えているかい?」
「約束?」
「そう、俺があのナポリタンを全部食べられたら君の名前を教えてくれるっていう約束だよ」
「私の名前? そういえばまだ言ってなかったっけ? 私の名前はカナ、カナ・ウラカンよ」
「へえー、カナか。ふたりでミカ・カナだね」
「一緒に呼ばないでくれる? そういう言い方されるの一番嫌いなのよ!」
「そうなの? ごめん」
「ふん、それにしてもジョー、さっきはなぜ逃げなかったの?」
「なんでって? そりゃミカに捕まったからさ」
「は? ミカに捕まったからってそれがなんなのよ。そんなの無理矢理にでも振り切って逃げちゃえばよかったじゃない」
「うーん、そうだなー、どう言えばいいのか……なぜかミカには逆らえないんだよな。彼女の言うことはちゃんと聞かないといけないというか」
「えー? あんたも相当にあの子のことを好きなのね」
「いや、そうでもないよ」
「嘘おっしゃい!」
「嘘じゃないって、だって俺、他に好きな人いるもん」
「だれよ、好きな人って?」
「君には関係ないだろ」
「そうね、確かに。よし、分かったわ、これから私はあなたの質問に全て答えてあげるから、その代りに私の質問にも答えてよ」
「全て答えるだって?」
そこまでして知りたがる理由が分からないジョーは、少しだけ戸惑ったが、別に隠すほどのことでもないようにも思えた。
「うーん、じゃあ言うけどさ。俺の好きな女性はマリア。DDUで俺の体調のコーディネータをしてくれているマリア・ハハノカン医師だ(うわー、言っちゃったよ。改めて人に言うと結構恥ずかしいもんだな)」
「マリア、マリア・ハハノカン」
カナは、つぶやくようにマリアの名前を復唱した。
「マリアは年上なんだ。だからってわけでもないんだろうけど、なんかこう包容力があって、安心できるんだよな。それにすごく優しいし。見た目も結構美人なんだぜ。たぶんファンも多いよ(今のところ、ショーンぐらいしか知らないけど)」
「ふーん」
「もういいだろ? じゃ、今度は俺の番だな」
「待って、最後にもう一つ。あなた本当にミカと寝たの?」
「え? ミカと?」
「だってあなた、さっき食堂でそう言っていたじゃない」
「ああ、あれは全くの嘘。でたらめだよ。俺に恨みを持っている奴らを挑発するためのね」
「なーんだ。そうだったの」
「ここには〈ミカリスト〉がたくさんいるみたいだな」
「ミカリスト?」
「え? ああ、ミカに思いを寄せている連中のことを俺が勝手にそう呼んでいるんだ」
「変な呼び名ね、でもいいかも。おそらくここの男性スタッフのほとんどが、あなたの言う〈ミカリスト〉よ」
「やっぱり。なあ、もしかしてそいつら全員、俺とミカができているって思っているのか?」
「そうよ。だってミカ本人がここを発つ前にみんなに言いふらしたのよ。『これから私は、ある男にこの身を捧げます』ってね。引き留めようとして、泣きながらミカに懇願した男もたくさんいたわ。ほんとにあのときは大変な騒ぎだったんだから」
「なるほどそういうことか。ミカの奴め」
「でもあなたがさっき食堂で病院送りにした人たちはそれだけじゃないの」
「え?」
「あの人たち、何か言ってなかった?」
「うーん……あっ、そういえば連中、俺のおかげで何かひどく苦労しているみたいなことを言っていたな。あいつらのことなんて俺は全く知らないのに。一体どういうことだ?」
「その説明をするには、ここじゃだめね、私のラボにいかないと」
「ラボ?」
「そこから少し離れてちょうだい」
「え? ああ分かった」
ジョーは扉のそばから離れた。
ピッピッピ、ガー
外のタッチパネルを操作する電子音が聞こえたかと思うと、いきなりドアが開いた。
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