第2話 美女の思惑

 いざ訓練が始まると、使命感に燃えていたはずの宇宙パイロットたちの間の空気が、日を追うごとにかなり殺伐としたものに変わっていった。訓練メニューはどれも、多岐に渡る豊富な知識と高度な技能、強靱な肉体と精神、そして正確且つ迅速な判断力を要求するものであったが、特にアランの課した訓練は、彼らの想像を遥かに上回るものであり、熾烈を極めていた。


 脱落する者が続出し、次々と新たな宇宙パイロットが補充されていった。最初に派遣されてきた十人の宇宙パイロットのうち現在も残っているのはマイクだけである。


 今も宇宙パイロットの補充は続いているが、最後まで持ち応えられそうなのは、マイクを含む数人程度になるものとマリアには思われた。


 訓練中のあるとき、ジョーは、マイクと一緒に船外活動シミュレーターのある施設にいた。


「ジョー、シミュレーターの調子がどうもおかしい。調整に時間がかかりそうだよ」


「時間ってどれくらい」


「半日くらいかな?」


「アランはなんて言ってきたの?」


「仕方ないから、休めるときに休んでおけってさ」


「イヤッピー! ハレイ!」


「嬉しそうだね。ジョー」


「あたりまえじゃん、マイク、お前は嬉しくないのか?」


「僕はジョーと訓練していた方が楽しいよ」


「は? お前、何気持ち悪いこと言ってんの?」


「だって本当だもの」


「おい、よせよ、俺はノーマルだぜ」


「知っているよ」


 ジョーは、マイクとはなぜか気が合った。二人は、オー・プロジェクトや訓練のことだけでなく、プライベートなことに関してもいろいろな話をすることができる仲になっていた。


「マイク、おまえさ、そもそもなんで宇宙パイロットになった?」


「知りたいかい?」


「ああ」


 マイクは少しだけ考えるようなそぶりをみせて答えた。


「ある計画のためさ」


「ある計画? それってこのオー・プロジェクトのことか?」


「違う、これは僕が個人的に計画してきたことさ」


「何よ? その計画って?」


「人類抹殺計画」


「は?」


「またの名を地球救済計画」


「おいおい、一体なんの話をしているんだ?」


「僕はね、世界中で核戦争を勃発させてそれを安全な宇宙から眺めてみたいんだよ。人間どもよ死ね! みたいな感じでね」


「おまえマジか?」


「ジョー、宇宙に行ったことのある君なら分かっていることだろうけど、この星は本当に美しい。まさに完璧な存在だよ。それに比べて人間は傲慢で貧弱で……この星を汚す生き物だよ」


「汚すって、環境汚染とか?」


「それもあるけど、愚かっていう意味かな。結局はみんな利己的で、自分のことしか考えられないんだよ」


「でもよ、そういうおまえだって人間だろ?」


「ちがうね、僕は宇宙人さ。牛丼の好きな」


「牛丼?」


「ああ、特に高野家のね」


「あそこは俺も好きだ。今度一緒に行くか?」


「今行こうよ」


「え、今?」


「迷うことないよ。そうだ、ミカも誘おう」


(ミカ? ミカ・ウラカンさんのことか? ははーん、なるほど、そういうことか。なんで急に牛丼の話なんかもちだすのかと思ったが、マイクの奴、彼女に惚れているな。ものすごい美人だからなー、彼女。一週間前にマリアと一緒に挨拶にきたときは俺もびっくりしたぜ。あんなゴージャスな美人はそうめったにお目にかかれるものじゃない。彼女が来るってわかっていたら、最初に音を上げたブウのおっさんも、もう少し持ちこたえたかもな)


「マイクお前さ、ああいう女性、タイプ?」


「別にタイプとかじゃないけど」


「嘘をつけ」


「本当に違うってば。彼女は、宇宙パイロット訓練センターの同期なんだ。僕と同い年で、昔からの友人だよ」


「友人? そうか、お前ら実は付き合っていたな?」


「付き合ったことなんてないよ。センターでの僕たちはライバル同士だったんだから」


「うそ!? 彼女、そんなにすごいのか?」


「うん、すごいよ。彼女は電子工学や情報処理にものすごく詳しい一流の科学者なんだ。プライドが高くてね。たとえば僕がある科目の試験で彼女に負けて2番だったとするよね、すると彼女、ものすごい剣幕で僕の目の前に現れて、『あなた、手を抜いたわね! 私には分かるのよ。こんなおこぼれみたいな勝利はいらないわ!』とか言って本気で怒り出すんだ。訳が分からないよ」


「わはは、は、腹痛てえ、マイク、おまえ馬鹿かよ!」


「馬鹿?」


「ったく、頭のいい連中ってこれだからな。もっと素直になればいいのに」


「え?」


「この色男! 彼女は間違いなくお前に惚れてるよ」


「は?」


「うん、うん、なるほど、なるほど。彼女はお前を追ってここに来たってわけか。まあ確かにお前は結構イケメンだものな。でも気を付けろよ、お前みたいな軟派野郎は、下手すりゃカエルや野獣みたいなグロテスクな存在と、皮だけが人間の薄っぺらーい奴との間を永遠に行き来しなきゃならなくなるぞ!」


「何だって? カエル? 野獣?」


「ほら、おとぎ話とかでよくあるだろ? カエルとかそういう醜い生き物が、実は超イケメンの王子様で、美女の接吻とかで元に戻るみたいな。そういう話って、実は全て繋がっているんじゃないかって思うんだよな」


 マイクはきょとんと、首を傾げて聞いていた。


「考えてもみろよ、なんで王子様がいきなりカエルとかになっちゃってるわけ? 何か理由があるんだよ。俺が思うに、普通、お金もちのイケメンなんて、お姉ちゃんたちが放っておくわけがないんだ。まあ、とどのつまりは浮気だな。先ず、ある王子の浮気に悲しんでいた女性をみた魔女が、その王子を懲らしめるために魔法を使って、女性に見向きもされないカエルにしちゃうんだ、そして、なんとか別の女性の力で人間に戻してもらうんだけど、性懲りもなくまたその王子は浮気をするわけよ、やっぱりもてるから。そして悲しみに暮れるその女性の姿をみた魔女が、再びその王子を、今度は女性にますます見向きもされないような醜い野獣にしちゃう、ってな感じで、どんどん繰り返されていくわけだな」


「あのさ、さっきからごちゃごちゃと、何を訳の分からないことを言っているのさ? 違うよ、ミカの目的はたぶん君だよ」


「俺? やっぱり? 一流の科学者としてはこういう変な人間は貴重な研究対象だろうね」


「そういう意味じゃなくて……分からないかな? 彼女を見るマリアの視線がすごく厳しいんだ」


「マリア? 彼女になんの関係あるんだ?」


「ジョー、君って本当に鈍いよね」


「え? なんだよ? 鈍いってどういう意味だ?」


「説明するのめんどくさい。もういいよ。とにかくミカを呼んでくるから、ここで待ってて」


(おいおい、来るわけないだろ。そもそも彼女はまだ仕事中だ。途中で抜けてこられるはずねえじゃねえか)


 しかし数分後、マイクは本当にミカを連れてきた。


「ジョー、お待たせ」


「お、おう、待ちくたびれたぜ(うそお!? なんで?)」


「すみません、ジョーさん、お待たせして」


「あっ、いやいや違うんだよ、その、なに、マイクがね、どうしてもって言うもんだから。仕事の邪魔をしたんじゃないかい?」


「いいえ、全然」


「今のミカの担当はデータ解析だからね。データを採取される側の僕たちが休みになれば当然ミカたちも休みになるのさ」


 マイクは静かな顔をして平坦な口調で言った。


「まあ、仕事が全くないというわけじゃないんですが」


 一瞬、ミカの鋭利な視線がマイクに飛んだ。


「私、ジョーさんとはずっとお話したかったんです。個人的に」


(げっ、何よこの展開? 個人的にだと? もしかして本当にこの俺に気があるってのか?)


「ミカさん、あんたってはっきりいってめちゃくちゃ美人だよな。俺、なんかものすごく緊張しちゃって、上手くしゃべれないけど。なんだ、その、君は、マイクのことを好きなんじゃないの?」


「私がマイクのことを?」


 ミカがマイクの方に振り向くと、マイクは彼女の視線をはずしてすっとぼけた顔をしていた。


「彼が私に好意をもっていることは考えられますが、その逆はありませんわ」


「どうやら僕はおじゃま虫みたいだね?」


「マイク、おまえ今時おじゃま虫って……」


「でも、はっきり言ってそうですわ」


(うわっ、彼女きついなー、そこまではっきり言わなくても)


 そのときのミカの目からは、絶えず鋭い眼光が放たれていて、ジョーは彼女の顔をまともに見ることができなかった。


「ジョーさん、今ここではっきりと言わせて頂きます。私とお付き合いして下さらないかしら?」


「へ?」


「私を仕事仲間としてではなく、一人の女としてみてください。」


(えー!? ちょっと待ってくれ、何言ってるのこの人? 自分を女として見てくれだって?)


「ミカさん、俺のことを好き、なんですか?」


「いいえ」


「えっ? じゃなんで?」


「あなたのことを私が好きか嫌いかは問題ではありません。あなたのそばにいることが重要なのです」


「俺のそばにいてどうするの?」


「お互いをよく知り、そして高め合うためです」


「……ということはまずは友達ってことでもいいですよね?」


「いいえ、それはだめです。そんな曖昧な関係では……その、私は満足できません。私はあなたを独占したいのです」


「独占!?」


(どういう意味だ? 彼女の目的は一体……)


「えーっと、その俺は、その、マリアに、そうマリア医師に徹底管理されている身だから、そういう関係はちょっと……」


「ジョーさん自身はどうなんです。本当にそれでいいのですか?」


(本当にいいのかだって? そんなこといままで考えたこともなかったな。もちろん俺にも恋愛する権利ぐらいあるよな。しかもこんなとびきりの美人に言い寄られるなんて……って、おい、目を覚ませよ! こんなの明らかにおかしいだろ!)


「あの、ミカさん、その返事はまた後日ってことで、とりあえず三人で牛丼食べに行きません?」


「じゃあ、マリアさんも誘った方がよくてね?」


(あちゃー、彼女怒っちゃったよ。でもはっきりいって話が無茶苦茶だよな。マイク、助けてくれ! 彼女は一体なんなんだ? 俺にどうして欲しいんだ?)


「あっ、マリアさん!」


 ミカとジョーのやりとりを静観していたマイクが、廊下を歩いて来る数人のスタッフの中にマリアの姿を認めた。


「あらあらあら? オー・プロジェクトの成否の鍵を握る三人が、こんな所で一体どうしたのかしら?」


 一緒に来たスタッフに少しだけ待ってもらうような形で、マリアだけがジョーたちの方にやってきた。


「いいえ、四人ですわ」


 ミカは、異様に凄みのある視線をマリアの方に向けた。


「マリア、俺たちこれらから牛丼を食べに行くんだけど、一緒にどうだい?」

 ジョーはその場の空気を読まなかった。いや、読めなかった。


「牛丼? ジョー、私はあなたを食べたいわ。オーホホホ! あーはっはっは!」


 その場にいた全員の顔を引きつらせるような笑い声と共に、マリアはその場から足早に立ち去っていった。


(訓練メニューが最近えらいことになっているからな。マリアも宇宙パイロットたちも気が立って少しおかしくなっているのだろうか?)


「おや?」

 ジョーは自分のチンコがなぜか半立ちになっていることに気づいた。


 あの日、つまり四人で牛丼を食べに行こうとした日から、ミカのジョーに対する態度が一変した。とにかく時間の許す限りミカはジョーのそばにいた。ジョーも初めのうちは嬉しかった。自分にもこんなきれいな彼女ができたのかと錯覚するほどに。


 しかし、ジョーにとってミカはやはり彼女ではなかった。ジョーとミカの間には、どうにも埋めようのないギャップがあった。ジョーはできるだけそのギャップを埋めるように勤めたが、それを埋めるとミカはさらに高いギャップを設けてくるような感じであった。そのうちジョーは疲れてしまい、ミカと顔を合わせるのが嫌になっていった。


 一方、ミカはミカでそんなことはおかまいなく、それまで以上にジョーに付きまとった。傍目からみてミカの行為はとにかく異常であった。


 ただ、DDUでの彼女の仕事ぶりは文句のつけようがなく、完璧なものであった。どこで学んだのか知らないが、彼女は超人格化現象そのものに関する詳しい知識と正しい見識とを持っていたのである。当然ながら、彼女が加わったことによって、プロジェクトの進行は大きく加速し、いつの間にか彼女の仕事に対するクルーの信頼は絶大なものになっていた。


 ミッションの合間の休憩時間、ジョーがベンダーの前でココアを飲んでいると、ミカが向こうから近づいてくるのが見えた。ジョーはすぐにその場を立ち去ろうとした。


「逃げるの?」

 ミカがジョーを呼び止めた。


「ああ、そうだよ、もう僕に付きまとうのは止めてくれ!」


「いいえ、止めないわ」


(一体全体なんなんだよこの女! これじゃまるでストーカーだよ)


「ジョー、今日は大事な話があるのよ」


「話?」


(おっ? 何だ? いつにも増して真剣な表情だな)


 真剣。そう、ミカはなぜかいつも真剣だった。会話にはほとんど遊びがなく、しかも幾分高圧的で、彼女と話をするときはいつも、まるで透明で鋭利な水晶のようなものを喉元に突きつけられている、そんな気がしていた。


 ただ、ジョーにとってそうした感覚は、他の女性にはないミカ特有のもので、決して嫌いではなかった。


「ジョー、残念だけど、もうすぐあなたはオクテットになれなくなるわ」


「え?」


 ジョーにはミカの言葉の意味が理解できなかった。


「あなたはもうこれから用済みになるかもしれないのよ」


「用済み……」


「ねえ、驚いた?」


「は? はは、いや全然」


「そうよね。驚いて焦りだすのは上層部の人たちよね」


 ミカはジョーと視線を合わせずに、両手でL字をつくってその右手の甲に顎をのせる仕草をした。


(いかにも『私は重要な何かを知っていますよー』的な素振りだ。なんか腹立つな。それにしても俺が用済み? オクテットになれなくなる? なんで?)


「今までもできなかったことはあったよ」


「そうみたいね。でもそれは、あなたの体調管理の不備が主な原因だったのでしょ?」


「えっ、どうしそれを!?」


「だからマリアさんがあなたをサポートし始めた。そうでしょ?」


「……まあ、そうだけど」


「私が言っているのは、あなたの問題じゃなくて、システム上の問題なの」


「システム上の問題? それならそっちの方でなんとかならないのか?」


「それが、ならないのよ!」

 ミカは猛然として、その顔をよりいっそうジョーの顔に近づけた。


「お願い、ジョー、私の話をよく聞いて頂戴」


「分かった、聞くよ、聞けばいいんだろ? もう!」


 ジョーはミカの勢いに辟易して、ほとんどあきれるほどだったが、そんなジョーにかまうことなくミカは話を始めた。


「アバタープログラム、ここではそう呼ばれているわね。でも私たちは、彼らをアルゴリズムライブ(Algorism Live:AL)と呼んでいるわ」


「彼ら? 私たち?」


「ああ、ごめんなさい。話が飛躍し過ぎたわね」


 ミカは、何か思案をするような仕草をしながら、ジョーの周りをゆっくりと歩きだした。


「あなた、アバタープログラムをどこから入手しているか知っている?」


「いや、全く」


「やはりあなたにさえ知らされていないのね。これは極秘事項だけど、アバタープログラムは、ヨシュア国の北方領海のマキシマ島にある情報技術科学研究所(Application of Information Technology Research Institute:AIT)というところで作られているの。私はその研究所の出身で、双子の姉と共にリサ・カナエ博士の研究チームに所属しているわ」


「え?」

 ジョーの目が急に虚ろになり、その意気がわずかだがトーンダウンした。


「リサ・カナエ……か」


「リサ博士がどうかした?」


「あっ、いや、なんでもないよ。それで?」


 ジョーのどこか歯切れの悪い感じが少しだけ気になったが、ミカは話を続けた。


「まあいいわ、先に私のことを少しだけ話させて。私が中校生のとき、両親が交通事故に巻き込まれて二人とも亡くなって……身寄りがなくて困っていた私たち兄弟を、リサ博士が引き取ってくれたの。リサ博士は当時、汎用型の人工知能を研究するチームのリーダーをしていて、父はその研究チームのメンバーだったのよ」


 ジョーは、なんとなく心ここにあらずという雰囲気を含ませながらミカの話を聞いているようで、そうした態度がミカをいらつかせた。


「しっかり聞いて、ジョー。話を元に戻すけど、あなたたちの言うアバタープログラムは、実はただのプログラムじゃない。生きているのよ、彼らは」


「ふーん……えっ!? 生きてる?」


「そうよ。だから、さっきも言ったけど、私たち、つまりリサ博士や私も含めてAITでこのプロジェクトに関わっている人たちはみんな、彼らのことをアルゴリズムライブと呼んでいるの」


「アルゴリズムライブ?」


 聞きなれない言葉だったが、その意味を考えると、なんとなく生命という概念がイメージとして浮かんだ。


「ドライバーの意識と、八人のアルゴリズムライブとの連携が、オクテットという超人格を生み出す。そう、あなたの言う〈オヤジ〉をね」


 〈オヤジ〉という言葉で、ミカに対するジョーの視線が色濃くなった。


「オクテットになれなくなる理由。それは、あなたのアルゴリズムライブの一人が、もうすぐ亡くなるから。そのアルゴリズムライブは高齢なの。つまり、寿命よ」


「なんだって!?」


 ピピピ!

 ジョーの携帯が鳴った。画面を見るとマリアからだった。


「あっ、もしもしマリア?」


「ジョー、今どこ? そろそろ時間よ」


「分かってる。今、ミカと一緒にいるんだ」


「ミカと一緒?」


「うん、これからすぐに行くよ。じゃまた後で」


 ジョーは携帯を切った。


「ミカ、今の話はまた今度にしよう。ルーティンの時間だ」


「ルーティン? 何の?」


「オクテットフォーメーションさ。ミッションの有無に関わらず、定期的実施しているんだ。勘が鈍らないようするためにね。ミカ、君も一緒に来るかい?」


「ふーん、これからオクテットになるの……まあいいわ、丁度いいかも」

 話したいことはまだまだあったが、ミカは、ジョーがオクテットになるところを実際に見られるという誘惑に勝てなかった。ミカはジョーに付いて行くことにした。


 ジョーとミカが到着すると、ピットの周りには、すでに二十人くらいの人たちが集まっていた。その人々の中にはマイクの姿もあった。マイクはそのときたまたま、DDUに来てから親しくなったシステムエンジニアたちに会いに来ていた。


「あら? マイクじゃない」


「やあ、ミカ、君も来たのかい?」


「ええ、ジョーについてきたのよ。それにしても、何なのこの人たち?」


 集まっていた人々は皆、その手に何かを持ちながら、和気あいあいと談笑していた。彼らの持ち物は、家電などの電子機器の類から、玩具や雑貨のようなものまで様々なものに及んでいた。


「ミカさん、いらしたわね」


 マリアが、待ちかまえていたようにミカを迎えた。


「あっ、こんにちはマリアさん」

 ミカは、普段の作り笑顔よりも少しだけ自然な笑顔でマリアに挨拶をした。


「あの、マリアさん、一つ聞いてもいいですか?」


「何かしら?」


「あそこに集まっている人たちは? それぞれ何かを持ち込んでいるようだけれど」


「彼ら? ああ、これからオクテットの恩恵を受ける人たちよ」


「オクテットの恩恵ですって?」


「百聞は一見に如かず。まあ、見ていて御覧なさい」


 ジョーがピットに乗り込んで、フルフェイス型脳波検出装置を装着した。


「ロッキー、そろそろ始めようか?」


「分かりました」


 ロッキーの返事を聞くと、ジョーは、静かに目を閉じて心の中でつぶやいた。


(今日も世界が平和でありますように、平和でありますように……)


 それは、オクテットになる前にジョーが必ず行う、誰にも内緒にしている秘密の儀式のようなものだった。


「それでは皆さん、オクテットのルーティンモードを始めます! ピットの前にお並びください」


 ロッキーの声が室内に響くと、人々がピットの前に並び始めた。次いで、室内の照明が落とされ、モニター等から放たれる明かりだけとなり、合成音声によるアナウンスが始まった。


「これより、オクテットフォーメーション開始スキームに入ります。アバタープログラム、No.1ログイン……No.2ログイン……No.3ログイン……」


 一定の間隔で次々とアバタープログラムが呼び出されていくと共に、ジョー自身の視界が少しづつ不鮮明なものとなり、意識が重くなっていった。


「……No.8ログイン、全てのアバタープログラムのログイン完了、オクテットフォーメーションを開始します」


(来た……)


 ジョーのいう〈オヤジ〉のいつもの感覚が、ジョーの五感全体を包み込んだ。保存ケース内のマイティメタルが光を帯び始め、その輝度が次第に増加して眩い光の玉と化したその瞬間、マイティメタルはケースから消失して、ピットの正面に出現した。


「オオー!」


 室内に歓声が起きた。ミカとマイクは、その様子を興味深く見守っていた。

 ピット内のジョーの目は、普段のジョーのものとは明らかに異なる、あたかも別の次元にでも通じているかのような、異常に艶やかな質感を帯びていた。


 一番前に並んでいたスタッフが前に進んで言った。


「ジョーさん、今回は、これをお願いします。VCX装置です。最近どうも調子が悪くて、検知素子が故障しているせいかもしれません」


 すると、光の玉が、その装置をすり抜けてまた元の位置に戻った。

 そのスタッフは、持っていた装置を起動させた。


「ああ、直っていますね。ありがとうございました」

 そのスタッフが丁寧にお辞儀をして引き下がり、また別のスタッフが前に出てきた。


 ミカとマイクは顔を見合わせた。


「これは一体?」


「これがオクテットとマイティメタルの力よ。といってもほんの一部に過ぎないけど」


 マリアがいつの間にかミカとマイクの後ろにいた。


「マリアさん、ジョーは一体何をしているのです?」


 マイクが振り向いて、マリアに尋ねた。

「見ての通り、直しているのよ」


「直す?」


「正確には、元素配置を元に戻してるのよ」


「元素配置って、まさか!?」


 マイクは目を丸くしながら、一瞬だけジョーの方に向き直った。


「にわかには信じられないことだけど、オクテットの彼は、物質の元素配置を自由に組み替えることができるのよ。さらに驚くべきは、その物体が作られた目的や、技術的な思想までも瞬時に理解できるみたいなの。だから、その物体がもつ本来の機能が失われているのなら、その機能が回復するように元素を再配置する。もちろん、必要な元素が足りない場合は、その分の材料を用意しておかなくちゃならないけど」


「物質って、どんなものでも?」

 今度はミカが質問した。


「ええ、あらゆるものよ」


「あらゆるもの!?」

 ミカとマイクが声を揃えた。マリアは話を続けた。


「ジョー曰く、彼の意識は、彼が〈オヤジ〉と呼んでるオクテットの一部に過ぎない。だから、たとえジョーがあることをしたいと思っていても、オクテットが必ずしもそうするとは限らない。でも、ジョーが何かしらの努力をしていると、オクテットもジョーのその意向に沿ってくれることが多いそうよ」


「何かしらの努力って?」

 興味深そうにマイクが尋ねた。


「二人とも見たことないかしら? ジョーが様々な機器や装置に関する本や雑誌を読んでいるところを。彼は時間を見つけては、そういうものを読み込んでいるの。最近は、医学書とかで動物の体や人体のことを勉強してるみたいね」


「そういえば、ジョーの部屋に遊びにいったとき、本棚にそういう本がたくさん置いてあったような……」


「そうよマイク。ジョーは、オクテットの力を使って、装置や機械とかいうマシンの類だけじゃなく、最終的には動物や人の体を治せるようになりたいと思っているみたい」


 マイクは、同じように驚きの表情を見せているミカと顔を見合わせた。


「すごい! マリアさん、オクテットがそれをできるようになったとしたら、本当に素晴らしいことですね!」


「そうね。オクテットがお医者さんであるうちはね」


「医者であるうち? それはどういう意味ですか?」


 マリアは、思いを巡らせるような間を少しだけ取ると、ため息を一つついた。

「ジョーの言うことが全て本当のことだとしたら、それは、我々はオクテットを何一つコントロールできていないことを意味するの」


「コントロールできない?」

 マイクが怪訝そうに眉をひそめた。


「そう、これまでの国防に関するミッションはすべて、オクテットが自らの判断でやってきたということになるのよ」


「オクテットが自らの判断で……」


 マイクにはマリアの言うことをすぐには理解できなかった。しかし、ミカは、何か思うことでもあるように沈黙を貯めていた。


「私たちにとっての救いは、ジョーのオクテットが争いというものを全く好まないこと。だから、隣国が侵入してきたとしても、彼のオクテットは彼らの武力を無効にするだけで攻撃は一切行わない」


「軍事力の無力化ですね」


「でも、そんな神のごとき力をもつオクテットが、もし暴走でもしたら」


「暴走!?」

 マイクはジョーを見やった。


「もしそうなったとき、今のところ、このオクテットシステムそのものを破壊する以外にくい止める手段はない。いいえ、それは甘い考えかもしれないわね。オクテットはすでに、私たちがそういう破壊行為に及ぶことを想定しているだろうから」


「オクテットとマイティメタルの力に対して、今の人類はほとんど無力だということですか?」


「マイク、そう言っても決して過言ではないわ。だからこそ、もっとさらなる研究を重ねてオクテットの力をコントロールする方法を見つけ出さなくてはならない」


 マリアの表情からは、明らかに焦燥めいたものが見て取れた。


「上層部の連中は、大量のマイティメタルを入手して、より多くのオクテットを生み出そうとしているようだけど、現時点では、それはかなり危険なことよ」


 ミカは依然として沈黙を守っていた。


「仮に、多数のオクテットを誕生させることができたとしても、それらが皆、ジョーのようになるとは限らないわ。中にはとんでもなく好戦的なオクテットが出て来るかも」


「確かにそれは言えるね」

 マイクが小さくうなずいた。


「もしそうなったら、それを止められるのはジョーだけよ。だから、今もそしてこれからも、ジョーを絶対に失うことはできない」

 マリアの目つきは、何かに救いを求めるような揺らぎを含んでいた。


「ねえマイク、あなたからみてこのプロジェクトが成功する確率は?」


「1パーセントもないわ!」

 そのとき突然、ミカの口が開いた。それまで沈黙を守っていたミカは、そのままマリアに詰め寄った。


「マリア、このままこのプロジェクトを実行すればほぼ確実にマイティメタルとジョーの両方を失うことになるでしょう」


 マリアは、いつもと違うミカの様子に少しだけ戸惑ったが、その意見に反駁することなく彼女をじっと見つめていた。


「そうかな? 僕は少なくとも50%くらいの確率はあると思うよ」

 そのマイクの見解は、実のところ上層部のもつ見解と同じで、マリアが心のより所としている数字でもあった。


「ミカ、前から思っていたことだけど、あなたは他の宇宙パイロットの誰よりもオクテットシステムに詳しい、いいえ、詳し過ぎるのよ。あなたは本当は何者なの?」


 だがミカは、マリアの質問に答えようとはしなかった。彼女は不敵ともとれる笑みを浮かべると、ゆっくり水の中を歩み行くようにジョーの前に出て行った。


「これがオクテットのジョー……」


 ピットの正面にいる光の玉の周りには、透き通った柔らかい光のようなものが集められているように見えた。


 突如、ミカは、人がいることも気にせずに服を脱ぎ出した。その様は、どういうわけか自信たっぷりで、彼女は全裸となって光球の前に立ち、くるりと背中を向けた。


「ジョー、見える?」


 彼女の背中には口と両目を大きく開いた、禍々しい大きな竜の入れ墨が、彼女の首筋からお尻のあたりまで彫ってあった。


「ドラゴンタトウよ。彫ったのは私が15歳のとき。そのとき付き合っていた彼氏に無理やり入れられたの。今では本当に後悔しているわ。両親が亡くなって気が病んでいたとはいえ、あんな男と付き合っていたことをね」


 ジョー以外、その場にいた男性スタッフはみな彼女の身の上話などほとんど聞いていなかった。


 光球からの光を受けている彼女の体は、実に見事なプロポーションであった。右腕で隠された乳房は、おそらくその乳頭がつんと上向きでけして大きすぎず、そして明確なくびれと、柔らかく引き締まった臀部、さらに、アキレス腱のくっきりした足首から白く細く長く伸びる足、これらに彼女の美の象徴ともいえる小顔が加わったとき、まさに女神という形容がぴったりの容姿がそこにあった。


「ジョー、この入れ墨を消せる? 今のあなたにはそれくらい簡単よね?」


 ジョーはゆっくり頷くと、あたりは何か神聖で神秘的な雰囲気に包まれた。


 彼女の背中の竜は少しづつその姿を消していき、白い地肌がその面積を広げていくように見えた。しかしよく見ると、竜の模様が別の何かの模様に変わっていくのであった。


 どっ!!

 その模様を見た男たちは皆、大声で笑った。


「何? 一体どうしたの?」

 ミカはその爆笑の中心にいた。男たちがなぜ笑っているのか検討もつかずに。


 ウーウ! ウーウ! ウーウ!


 そのとき突然、けたたましい警報音が室内に鳴り響いた。その音は、システムに異常が発生したときの警報であり、マリアがジョーのマネージャーとなってからは、一度も鳴ったことがなかった。その場にいたスタッフ全員に緊張が走り、マリアが叫んだ。


「早く明かりを! ジョー! 大丈夫!?」


 室内の照明がつけられると、キャー! という悲鳴とともに、ミカがその場にうずくまり、その背中の模様がはっきりと姿を現した。ミカの背中には、その中央に大きく“アホ”という文字と、さらにそのまわりには、女性の性器を模式化した例のマークが大小4つ彫ってあった。


 マリアは、そんなミカの横を通り抜けて、すぐさまジョーのもとに駆け寄った。

 マイティメタルは、すでに元の金属体に戻っており、床に転がっていた。ジョーはピットの中で頭をもたげてぐったりとしていた。


「ジョー! ジョー!」


 マリアは、ジョーをすぐにピットから運びだすように数人のスタッフに言ってジョーを床に寝かせると、自ら急いで心臓マッサージを始めた。


「ジョー、しっかりして、しっかりするのよ!」


 事態の急変を察知したマイクは、もっていた携帯で医療班に連絡した。

 医療班が到着すると、ジョーは気を失ったまま医務室に搬送され、数人の医療スタッフたちによって様々な処置が施された。もちろんマリアも医療スタッフの一人として加わり処置にあたった。


 医療機器のアラーム音と、スタッフたちの怒号にも似た言葉が飛び交い、現場は一時騒然となったが、彼らの迅速かつ適切な処置により、なんとかジョーは、その一命をとりとめた。


 ジョーが意識を取り戻したのは、医務室に運ばれてから、およそ半日後の夜中の一時をまわった頃だった。


「……う、ううん」


 ベッドのすぐ横にいて、付きっきりで看病していたマリアが、ジョーのうめく声に気が付いた。


「ジョー! 大丈夫?」


「ん、んんん……はっ!」


 ジョーが目を開けると、目の前にマリアの顔が見えた。


「ジョー、私よ! マリアよ! わかる!?」


「……あ、うん、マ、マリア……」


「分かるのね? 私のことが、よかった、本当によかった、大丈夫、あなたは正気よ、ジョー!!」


 あなたは正気。マリアから発せられたその言葉は、まだぼんやりとしているジョーの意識を優しく撫でるように安心させた。


 その事故は、アバタープログラムの一つが、その機能を突然停止したことが引き金となっていた。


 そのアバタープログラムが機能不全になったことによって、オクテットフォーメーションのバランスが崩れ、SNNに印可されている電圧の制御が効かなくなり、過剰電流が発生して、ジョーの体を激しく感電させてしまったのである。


 この事故の発生後、DDUでは、総力を挙げてアバタープログラムの機能停止の原因究明が行われた。しかし、これまでのところ何の手がかりも得ることができず、オー・プロジェクトは中断を余儀なくされることとなった。


 一方、ジョーは順調な回復をみせ、事故から三日もすると、もう事故前と同じくらいに動けるようになっていた。

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