学生の暇つぶし
@nukaduke
1.「これぞ男ッ」ってヤツ
どーでも良い事。そう、飢饉とかなんかの神託といった大仰なものではなく、とりとめのなさすぎて腰砕けそうな程にどーでも良い事を書き連ねていくことが、このエッセイ集における共通事項である。よって、これ以下の話もどーでも良い事であるのだ。
皆さんは「オリエンタルラジオ」という芸人をご存知だろうか。もしも知らなかったら、GoogleなりYahooなりBaiduなりBingなりの検索エンジンで調べていただければ幸いである(なんだか「なりなり」連呼してコロ助のようである。もしも「コロ助」を知らなかったら、Google……)。
その「オリエンタルラジオ」なる芸人のネタに武勇伝を連呼するものがあるのだ。彼らは、
「武勇伝、武勇伝、武勇デンデンデデンデン」
などと言いながら面妖なポーズをとって、カッチョイイ似非武勇伝の数々を披露するというネタをするのだが、僕は風呂で足の指の股を念入りに洗っていると何故かそれを思い出したのである。
そして、続けて思う。
僕には「武勇伝」と呼べるような武勇伝がない。元から体が小さいこともあって、喧嘩はしないし、勇気もないから自分を盾にして誰かを間一髪で守り切ったこともない。武勇伝らしい武勇伝が見つからなかったのである(武勇伝らしい武勇伝は、つまりは武勇伝である)。ここで、一つの考えがポッと脳内に浮かぶ。
怪我自慢も武勇伝に入るのではないだろうか、という考えだ。怪我自慢。それは、
「おいら、こんなスゴイ怪我したけど、今はピンピンしているぜ。しぶといだろう」
という生産性のない自慢のことだ。自慢自体、自身の満足と引き換えに相手の反感しか産まない非効率なものだが、怪我自慢となると聞き手には、
「あ、はい。そーですねえ」
と反感も生まないくらいにしか響かない悲しい自慢となる。しかし、怪我が大きければ大きいだけ「武勇伝感」が溢れ出るような気がしないでもない。包帯ぐるぐる巻きってちょっと良さげではないか。もしかしたらこの感覚は、高校二年生の遅めの中二病なるものかもしれない。認めたくないが、そういうヤツなのかもしれない(お父さん、お母さん、バカやってすみません)。
その怪我自慢についてだが、たとえば「昔、地区一帯シメてました」と語る厳ついおじさんが喧嘩の話で、
「いや、近所の児童公園でタイマンはってたら、後ろから木刀で頭殴られてよぉ。手で殴られたところ触ったらヌメヌメして手が滑るわけよ。眼前に持ってくると真っ赤っか。そんで目の前がアヤフヤになって意識が飛んだと思えば、気づけば病院でよぉ。白い天井があるわけさ。不良系学園ドラマ以外でも現実であるんだなぁって思ってさ……」
と話していれば、煙草の代わりにココアシガレットをペロペロ舐めててもカッチョヨク見えてしまうのではないだろうか(なワケねーか)。そして、僕は怪我自慢を必死になって考えたのだが、ありがたいことに健康優良児でこれといって武勇伝らしい怪我もなかった。小学生の頃に骨の一本くらい折っていれば、もしかしたらそれらしい武勇伝になったかもしれないがそんな経験はないし、一番痛かった思い出といえば抜歯くらいだ。
ここは、
「僕の武勇伝伝説はこれからだぜッ」
と意気込むべきなのか、
「そんな不毛なものは求めずに、ただ平穏に生きるべし」
と考えるべきなのか……。
うん、後者の方が楽そうである。
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