附子の鬱屈と諦念

 御厨、附子ぶす

 それが、私に与えられた名前である。

 

 双子の姉は櫻子なのに、私は、附子。

 えらい違いである。

 

 確かに、「植物に因んだ名前」という意味では私たちの名前には関連があるのかもしれない。しかし、それならばたとえば桃子といった、もっとずっとふさわしい――人名らしい――名付けをできなかったものなのだろうか。附子私の名など、最早単なる、女に向ける蔑称の類ではないか。

 こんなひどい名付けをされた出生届が、よくもまぁ受理されたものだと思う。


 しかし――仕方がないのだ。私は実際、不美人ブスだから。


 

 双子の姉妹とはいっても、櫻子と私は似ても似つかない。

 櫻子の、烏の濡れ羽色の艶やかな髪も、くっきりとした二重瞼も、翠に近い不思議な色を放つ虹彩も、おっとりとした優しげな目つきも、すっと通った鼻筋も、自然な桜色に染まった程よい大きさの唇も、一切の乱れのない美しい歯並びも、日焼け知らずの白い肌も、それから、それから――とにかく、彼女の美しい容姿を構成する要素を何一つ、私は持ち合わせていない。


 茶色く縮れて縮毛矯正すらかからないみっともない髪。やぼったい一重瞼の下の、どんよりと濁った瞳。不格好な団子鼻。貧相な目鼻とは不均衡に、分厚く存在を主張する不気味な色の唇。浅黒くてにきびとそばかすに塗れた汚い肌。

 

 ――あぁ、確かに私は「ブス」だ。名は体を表すとはこのことだ。


 鏡を見るたび、私は溜息を漏らす。


 父も母も使用人も、美しい櫻子も、私をブスと呼ぶ。「附子」と書いて「ブス」と読むその名が戸籍にも登録された正式な名前なのだから私を「附子」と呼ぶのは単に正しくその名を呼んでいるだけのことで、そこに嘲りのニュアンスは含まれていない。

 

 そのはずだ。

 そう信じたいのだが――あぁ、無理だ。

 

 私を「附子」と呼ぶ彼らの顔には「実際この娘はブスなのだから」と書いてあるような気がする。

 櫻子に至っては、愉しんでいる。憎たらしいことに。

 あの美しい姉は殊更に、必要以上に何度も「附子」「附子」と私を呼ぶ。その瞳には、隠しようもない愉悦が浮かんでいる――少なくとも、私の目にはそう映る。

 

 ――この子は本当に、お化けみたいに醜くって、可哀相ね。


 そんな声すら、聞こえてきそうだ。


 醜いからと馬鹿にするなと食ってかかろうと思ったことがないわけではない。しかし、圧倒的な美を備える櫻子を目の前にすると蛇に睨まれた蛙のように委縮してしまい、結局は何も言えない。

 言ったところで「気のせいよ」といなされておしまいだろうし、まわりの覚えがめでたいのは櫻子の方だから、きっと私が櫻子の美しさを妬み、僻んで被害妄想をぶつけていると判断される。そして言われるのだ。「櫻子と違って、あの娘は心までも醜い」と。

 

 容姿が醜いだけでも耐え難いのに、心まで醜いと断じられるとしたら。

 想像するだけで耐え難い。

 だから私は――口を噤む他ない。



 こと、女がかくも醜く生まれたこと。

 双子の姉妹なのに、全くかけ離れた容姿を与えられたこと。

 そして、「この女は醜いからそう呼んで良いですよ」と言わんばかりの、残酷な名を与えられたこと。


 これらの事実は私を激しくさいなんんだが、救いがないわけではなかった。

 櫻子は容姿が優れており、所作も美しいが、だったのである。


 彼女は見目の美しさと上っ面の良さだけで人目を惹きつけることはできても、文学について語ることも、社会情勢について議論することも、最新の科学技術の概要を理解することもできない。いやそれどころか、小学校で習うような漢字も満足には書けないし、九九もマスターしていない。


 近くで見ているのだから知っている。

 私が「ブス」だとしたら櫻子は、「馬鹿」なのだ。

 どうしようもなく。


 「人前にお出しできる面相ではないから」ということだろうか、私は学校というものに籍を置いたことが一度もない。「附子」という名付けが却下されなかったことといい、本来であれば許されないようなことが罷り通るのは、御厨の家に対する忖度が働いている故なのだろうか。

 学校に行かない代わり、書庫にこもって膨大な蔵書を端から読んでいくこと、インターネットを使って情報収集をすることは許されており、そうすることで同世代の子供と遜色ない、いや――それ以上の知識と学力を身に着けることはできていると自負している。


 どうせ学校に通ったところで、名前のことも相まって「ブス、ブス」と囃し立てられることになったであろうと考えると、私はこうして家にいる方が気楽で良いのではないかと思う。名家の生まれであったとしても、私のような人並外れたブスにはきっと誰もが冷たく接する。「櫻子さんの妹なのに」という目で見られる。そうに違いないのだ。


 だから、学校に通えないこと自体に大きな不満はない。

 櫻子以外に同世代の子供を知らない生活も、別段辛くはない。


 業腹なのは、櫻子が持ち帰った宿題は全て私が片付けるという暗黙の決まりがあること。それどころか、定期試験や進学にあたっての学力試験も全て、私が代わって受けている。

 櫻子には宿題をこなす程度の頭もないし、定期試験では最下位しか取れない。受験したところで入学できる学校などない。だからこそ、の措置ではあるのだろう。わかっている。馬鹿な櫻子の代わりとして私が求められているのだという、残酷な事実を。


 私は、試験となると自らに与えられた附子という名ではなく、「御厨櫻子」として連れ出される。真っ黒なスモークガラスが張られた車に乗せられ、極秘裏に試験会場に案内され、監督を務めると思しき者が一人いるだけの空っぽの部屋で試験を受ける。

 櫻子のような名家の令嬢が一般の生徒と同じ会場で試験を受けることは他の生徒を緊張させ、成績に影響を与えかねないから――という、どう考えても無理があるように思われる理由で、毎度別室が用意されているのだが、これは要するに替え玉受験のためなのであろう。だって私たちは双子の姉妹とはいっても、入れ替わりなど不可能なほどにのだから。

 


 「才色兼備」を地で行く少女。


 櫻子が、語彙力のない庶民連中からそう呼ばれていることは知っているが、とんだお笑い草だ。だって彼女には上っ面の美しさしかなくて、足りないもう半分の評価は、私なしには得られないものなのだから。

 私が櫻子の代わりに宿題を片付け、「御厨櫻子」の名前で試験を受けているおかげで、学業成績が優秀だと思われているだけ。才色兼備の「才」の部分は本来、私に与えられるべき評価なのだ。



 私が、おそらく醜いから存在すら隠蔽されている一方で、社交辞令以上のことを話そうとすると中身のなさが明るみに出てしまうから、ただにこにこと笑っていることしかできないから――櫻子は表舞台に引っ張り出されることがない。

 父も母も使用人も誰もがはっきりと口にしないが、それが真実だ。

 

 

 附子の能力を横取りして優れているように見せかけている櫻子と。

 櫻子の陰で、ないものとされて本名を名乗ることすら許されない附子


 

 それが、私たち姉妹の在り様である。

 

 しかし――こんなことがいつまで通るのか、甚だ怪しいものだ。


 あと一年ほどで、私たちは十八歳の誕生日を迎えるのだ。

 そうしたら、これまで通りにはいかなくなるのは目に見えている。

 高校を卒業した後の、大学での勉学は、百歩――いや一万歩譲って私が代理を務め続ければどうにかなるかもしれないが、口さがない庶民連中がしきりに噂している結婚問題だっていずれ現実味を帯びてくるのに、表面的な美しさしか持ち合わせない、中身が薄っぺらな、の櫻子は、一体何をどう誤魔化して婿候補の男と仲を深めていくことができるというのだろうか。



 櫻子附子は、どう足掻いたって二人で一人だ。


 

 醜い私はまだ良い。いや、人生など冷静に考えると全く良くないのだが、ともかく、これまでと同じように家に引き籠っていれば問題にはならない。表に出ることなく家業の手助けをすることだって、きっとできる。


  でも、櫻子は?

 今まで散々私に頼り切って生きてきた櫻子は――中身のないあの女は――一体どうやって「才色兼備の淑女」として表舞台で振舞えるというのか。



 まぁ――私としては、櫻子が「才色兼備」を地で行く少女という事実が露呈すれば、それはとても面白いことだろうなとは思う。想像するだけで頬が緩み、口角が上がってきてしまうほどに。

 

 御厨家の評判は地に墜ちるであろうし、櫻子が婿を取れないままお家断絶となる可能性は大いにあるが、そうなればなったで構わないではないか。どうせ私はなのだからどこにも墜ちようがないし、のまま家もろとも野垂れ死ぬことになるのだとしても、きっとそれが私の――この家に附子ブスとして生まれてきてしまった私の――運命というものなのだ。

 

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