第2話 蛇の目

 穴を掘っている。どこで間違えたんだ?

 失敗だらけの人生だったけど、今が最大のピンチだ。学生時代の後輩である蝦蟇渕がまぶちが、必死になって穴を掘っている。足元で横たわる女を埋める為に。冷静さを取り戻す為に、煙草に火をつけたが、まったく味がしない。勢いで抜いたモデルガンを持つ手は、小刻みに震えている。

 そもそもの間違いは、偶然街で見かけた蝦蟇渕に声をかけてしまった事だ。彼は学生時代から、危なっかしい奴だった。兄と同じ人種で、武力で他者を制圧する武闘派だった。イベント帰りの高揚感と、懐かしさで思わず声をかけてしまった。蝦蟇渕は、兄によく懐いていた。

 不本意ながら、蛇沼兄弟と言えば、地元では知らない者がいない存在だ。悪い方の意味、悪目立ちが過ぎた。

 兄の愛情が重過ぎたのだ。子供の頃は、僕を守ってくれる頼もしい兄だった。しかし、成長するにつれ、その愛情は重荷になった。過激で過剰になっていった。

 僕は、暴力が嫌いだ。

 でも、臆病者の僕は、兄や周囲が望むキャラを演じるしかなかった。キャラ立ちの重要性を感じるのは、唯一の趣味であるアニメ鑑賞の影響だろう。

 兄に見限られたくない一心で、狂気を演じていた。喧嘩が弱い僕は、兄が倒した相手を殴りつけるという奇行にうって出た。なぜなら、倒された相手は、反撃をしてこないからだ。

 女をナンパした蝦蟇渕は、僕の車を運転しながら、心霊スポットに行こうと、ハンドルを回した。怖いから嫌だと、正直に言えば良かった。でも、またキャラを守ってしまった。

 足元では、女の死体が転がっている。死体と二人きりにされた気分で、落ち着かない。周囲は、鬱蒼とした森だ。心霊スポットで、死体と二人きり・・・まるで生きた心地がしない。

 僕が殺してしまった女。

 死体から視線をそらし、周囲を見渡した。森の木々が、無数の手を伸ばしているように見えて、背筋が凍った。

「くっちょん!」

 突然のくしゃみに飛び跳ねた。汗だくになっている蝦蟇渕が、可愛らしいくしゃみをした。汗が冷えてきたのかもしれない。寒いか尋ねると、大丈夫と返答があった。僕は上着を脱いで、彼に差し出した。そこで、少し考える。自分のキャラの事だ。寒がっている後輩に、上着を貸してあげるのは、らしくないかもしれない。そうだと、彼の背に声をかける。

「・・・売ってやろうか?」

 しかし、彼は勘弁して欲しいとの事だ。押し売りだと思われてしまったのかもしれない。僕はすごすごと上着を羽織った。

 天国から地獄とは、まさにこの事だ。つい数時間前までは、本当に楽しかった。ずっと前から待ちわびていたコミケに参加していた。一番の目的は、僕の推しアニメの新作だ。主人公のコスプレをするほどまでに、気合いが入っていた。

 スイーツ極道のお料理教室。

 知る人ぞ知る隠れた名作だ。つまり、不人気だとも変換できる。甘党の親分の為に、主人公のチンピラが料理教室に通うというシュールな設定だ。

 主人公が持っている拳銃によく似たモデルガンを購入した。このモデルガンを購入する為に、土木作業員のバイトも頑張った。凝り性の僕は、バイトにも関わらず、自分で使う道具は一式揃えた。それが親方にも気に入られ、居心地の良い職場だ。それが僕の処世術で、兄や親方など上の人に気に入られる術を心得ている。

 まさか、自前のスコップが、こんな役立ち方をするとは、思いもしなかった。

 深くため息を吐き、尻ポケットを押さえた。一センチ程の膨らみ。

 兄から貰った百万円が入っている。

 先日、とうとう兄の悪事が公になり、逮捕された。その直前に、渡された。どうやって手に入れたのかは不明だが、おおよその予想はつく。俗に言う反社である兄の金の出所は、被害者だ。そんな金を持っているのも、使うのも抵抗がある。

 そうだと思いつき、僕は死体の前でしゃがんだ。まるで眠っているような女に、意外と恐怖は感じなかった。

 女を突き飛ばしてしまったのは、不可抗力だけど、やはり罪悪感は拭えない。せめてもの償いと、女に金を渡す事にした。

 完全な自己満足と現実逃避だ。

 殺された人間が、金を貰って満足する事も許す事もないだろう。僕は保身しか考えていない。

 肌の露出が多い服装の女を眺める。金を忍ばせる場所が見当たらない。仕方ないので、下着の中に金を入れる事にした。手を合わせて、冥福と謝罪の為に祈ろうとした時だ。

 突然、女の両目から真っ黒な涙が流れた。憎しみや恨みが溢れ出たように見えて、腰を抜かしそうになった。

のろい!?」

「す! 済みません!」

・・・え? 叫び声を上げ尻餅をつき、背後を振り返った。蝦蟇渕は、怒りをぶつけるように、スコップを地面に叩きつけていた。

 呪いでは、済まない?

 確かに、蝦蟇渕の言う通りかもしれない。呪い以上の何かが起こるのかもしれない。僕は、それだけの事をしてしまった。死んだ人間の怒りを鎮める為にはどうするべきか・・・混乱する頭を必死に回す。

「塩持ってないか?」

 唖然とする蝦蟇渕は、何故か涙を流していた。恐怖で震える僕の目からも、涙が溢れていた。

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