第3話 お店をはじめよう③
店舗の2階の1室。
ちょうど物置にしていたという空き部屋に、わざわざカルディナがベッドを運んできてくれた。
重そうなベッドを軽々と運んできた彼女の姿を見た時、
正義より背が低いのに、ものすごく力持ちだ。
「これ、私のベッドだけど遠慮なく使ってね。私は両親の部屋で寝るから気にしないでいいよ。あとこれ、お父さんの服だからちょっと大きいかもだけど使って。マサヨシが着ている服は洗濯するから出しといてね」
そう言って部屋を出て行ったカルディナ。
正義はしばらくベッドの端に腰掛けたまま、動くことができなかった。
ベッドから漂ってくる、ほのかに甘くて良い香り。
つい昨日までカルディナがここで寝ていたのかと思うと、緊張するやら申し訳ないやらで、正義の心はしばし大変だった。
ようやく落ち着いたのは、それからもう少し経った後。
渡された大きな服に袖を通してから柔らかいベッドに身を沈め、正義は真剣に今後のことを考える。
(これから元の世界に戻れる可能性、あるんだろうか……)
何の前触れもなく、本当にいきなりこの世界に飛ばされてしまった。
アニメや漫画で見たことがある『神様が現れて事の経緯を説明してくれる』という展開も一切なかったので、正義がこの世界に呼ばれた理由も不明だ。
(仮にもう戻れないとしたら……)
頭に浮かんでくるのはバイト先の店長の顔と、バイト仲間の顔。
だが、それだけだ。
正義は元々施設で過ごしてきており、両親は不明。
高校卒業後は就職を目指していたが、思うように上手くいかなかった。
そのままアルバイトをしていた店でずっと働き続けて、今に至っていた。
正直に言うと、親族もいなし親しい友人もいなかったので、元の世界にそこまで未練があるわけではない。
ただお客さんの弁当を届けた帰りだったので、店長やバイト仲間たちが帰ってこない正義を心配しているかと思うと、そこは胸が痛む。
店の宅配バイクも異世界に連れてきてしまった。
次に正義の頭に浮かんだのは、カルディナの顔。
出会った時から朗らかで、何の躊躇いもなく正義を助けてくれた優しい女性。
何かお礼をしなければ。
今の自分ができるお礼を、何か――。
正義はベッドの中で、真剣に考えるのだった。
次の日の早朝。
「俺をこの店で働かせてください」
開口一番、正義は開店準備をしているカルディナにお願いをした。
カルディナは突然の正義の申し出に戸惑う。
「いや、私もそうしてあげたいのはやまやまなんだけどさ。お手伝いをしてもらっても、暇すぎて給料が払えないんだよ……」
「それなんですが、俺一晩考えました。カルディナさんの料理は間違いなく美味い。でも店の立地が悪すぎて、思うように集客ができていない」
「うん……」
「だから、宅配をしましょう」
「………………へ?」
カルディナは目を丸くした。
何を言われたのかわかっていないらしく、口をポカンと開けたままだ。
「宅配っていうのはその……。お客さんを待つんじゃなくて、こっちから料理を届けに行くんです。そのお手伝いを俺がします」
「そ、それは――」
カラランッと、そのタイミングで店のドア上部に取り付けられたベルが鳴った。
正義とカルディナは同時にそちらへ振り返る。
「あら? 開店前なのにもうお客さんがいたの?」
長い黒髪の女性が立っていた。
目を引く大きな帽子に、スリット入りの長いドレス。
全身に取り付けられた貴金属が、少しの動きに反応してじゃらじゃらと音を鳴らす。
そしていかにも『魔法を使います』と主張するかのような、先端に宝石が埋め込まれた杖を持っていた。
「ララー!」
カルディナが嬉しそうに声を上げる。
どうやら知り合いらしい。
「この人はお客さんじゃないんだ。迷子になってた所を拾った、記憶喪失のマサヨシだよ」
「拾ったって、あんたねぇ……。また持ち前のお節介を発揮しちゃったわけか」
ララーと呼ばれた女性はジト目でカルディナを見る。
「マサヨシ、紹介するね。彼女は私の幼馴染みのララーベリント。すごい魔法使いなんだよ」
「ど、どうも……」
「記憶喪失ねぇ」
一応軽く会釈してみるが、正義に注いでくる視線が痛い。
確かにララーベリントからしてみれば、いきなり幼馴染みの所に現れた不審者にしか見えないだろう。
「この世界について何も知らないのは本当なんです……」
小さい声でとりあえず主張だけはしておく。
「ま、カルディナが嘘を言うような子じゃないのはわかってるわ。それで、この店の手伝いをしてたってわけ?」
「それなんだけど。マサヨシから『宅配』をしてみたらどうだって、今提案を受けたところだったんだ」
「『宅配』?」
軽く首を捻るララーベリント。
先ほどのカルディナの反応と併せて見ると、どうやらこの世界には『宅配』という概念がないらしい。
「はい。カルディナさんの料理を頂いたんですけど、とても美味しくて感動してしまって……。でもお店がそんなに儲かっていないっていうじゃないですか。だからこっちから料理をお客さんの所に持っていく『宅配』なら、もっとカルディナさんの美味しい料理を広めることができるんじゃないかなと。俺はそれのお手伝いをしたいなと思って……」
心に思ったまま、正義は正直に話す。
この世界にバイクがないことは間違いないだろう。ガソリンの補充ができないので、宅配バイクに頼るのはやめた方が良い。
それならば、自分が走って届けに行けば良いだけだ。
ララーベリントは魔法使いらしいので、もしかしたら走力を上げるような魔法を知っているかもしれない。
「…………」
ララーベリントは無言のまま、ツカツカと正義と距離を詰めてくると――。
突然、正義の両手をギュッと握り上下にぶんぶんと振り始めた。
いきなりのことに声も出ない正義。
されるがまま腕を上下に振られ続ける。
「カルディナの料理の美味しさをわかってくれるなんて! 私の中で君はとても良い人に認定されました! そう! カルディナの料理はもっと広まるべきなのよ! それをこの子は『私と両親の味は違うから……』なんて言って。違うんだって! この店にお客さんが少ないのは、入り組んだ路地裏にあることと、貧民街に近いこの立地のせいなんだって!」
興奮気味に捲し立てるララーベリント。
貧民街に近い、という情報は初耳だ。
「『宅配』。初めて聞いたけどそのアイディアかなり良いじゃない! 私も協力するわ! 改めてはじましてマサヨシ。私のことはララーでいいわよ。名前が長いってよく言われちゃうし」
「あ、はい。よろしくお願いします。ララーさん」
「でもララー……。今日もお酒を飲みに来たんじゃないの?」
「その言い方だと、私がいつも朝から飲んだくれてるダメ人間みたいじゃない。あんたの様子が心配でいつも顔出してんのよ!」
「それはわかってるしありがたいと思ってるけど、毎回朝からお酒を飲むのは本当じゃん?」
「…………」
ララーは額からつぅっと一筋の汗を流して黙ってしまった。
どうやら酒好きなのは間違いないらしい。
「と、とにかく。今日からこのお店を再生させるべく『宅配』に向けて準備するわよ!」
正義の手を離したララーは、カルディナに向けてビシッと指を突き出したのだった。
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