第14話 霧の中の霧子

 日が傾き、月が徐々に出始めていた。

 歩き通しだったこともあってか、となりでは和泉ちゃんが刻々と首を揺らしながらも歩いていた。


「…大丈夫? 和泉ちゃん」

「んぇ? んー、まだ歩けるらー!」


 ちょっと、呂律が回ってないじゃないか。頑張り屋な所があるのは、やはり間違いないらしい。ほどほどのタイミングで寝床を用意してあげるべきだ。


「……ん?」


 何処辺りに泡の陸地を作って、今日の寝床としようかなぁと辺りを見回して居たら、前方に妙な物が見えた。

 それは、例えるなら霧の壁、というような場所だった。

 珍しい、海上で霧の深い区域との境目が見えるなんて。遠い水平線ならそれなりに見かけはするが、今目の前にある霧の領域は、百メートルあるか無いかぐらいの場所だった。


「あちゃぁ、結構幅が広いわねぇ」


 霧を避けて先に進もうかとも思ったが、どうも霧の切れ目が見当たらない。かなり広範囲のもので、避けて通れるようなものではなかった。


「んんぅ…霧ぃ? いよーし、おねえちゃん、いずみについてくるんだー。えへへへー」


 拳を握った手を上に掲げ、和泉ちゃんが霧の中に歩き出そうとした。行かれてはたまらんとすぐに手を握り止める。


「待て待て待ちなさい和泉ちゃん」

「ええぇ? いずみがんばれるよー?」

「もう限界そうだから。ああよだれ垂らしちゃって…。体調が万全じゃないのに突入するのはまずいわ」


 そう言って、和泉ちゃんをまっすぐ立たせると。私はパンっと手を叩いて海面に両手をついた。

 すると、以前も和泉ちゃんを乗せた泡の陸地が出来上がった。


「さ、もう今日はお休みにしましょ。 和泉ちゃん、頑張ったもんね?」


 そう言って、和泉ちゃんを抱きかかえた。軽く抵抗しようと体を揺らすが、すぐに胸の内でおとなしくなった。やっぱり、疲れてるわけだ。

 そっと泡の陸地に寝かせると、私も横に寝そべり、私たちの上に半円状の泡を張りドームにした。


「大丈夫。明日になっても歩けるから。 海の上を歩くなんて、わくわくしちゃうものねぇ?」


 私は慣れてしまってるのであまり珍しくは思わないが。ずっと陸を歩くことが全てだった和泉ちゃんにとって、貴重な体験の集まりだ。

 だが、貴重無い体験だけが全てでは無いことも忘れないでほしいな。軽く泡のドームで守りは張ったけれど、和泉ちゃんを食べようと襲ってくる輩はいるものなのだ。

 …なんてことを思ってたら、もう和泉ちゃんはのんきに寝息をたててしまっている。


「あらあら、まぁ……」


 そのお気楽さに、逆に顔をほころばされてしまう。よく眠るんだよ、と安心を込めて和泉ちゃんの頬を撫でる。和泉ちゃんの顔もまたほころび、寝息は更に穏やかになった。


「はぁ…本当に可愛らしくてまぁ」


 こういう寝顔を見ていると、なんだか暖かくなってくる。


『私、湖畔お姉ちゃんの大切な思い出だと思うけどなぁ…』


 昼間に和泉ちゃんが言っていた言葉がふと頭をよぎった。

 大切な思い出……私が忘れた事の中には、誰かにこんな風にしてもらった思い出が、あるのかな? もしそういう思い出を思い出せるのなら……。


「…ううん」


 いや、違うね。その思い出を思い出したら、寂しくなって仕方が無くなっちゃうから。触れないんだった。もう過去の事は過去の事。……私が触れられない分。この度の間には、和泉ちゃんが私の分も寂しくならないように、ちゃんと世話をしてあげよう。

 見覚えの無い、居たであろう私の母親の代わりに。一時的に和泉ちゃんの母親代わりに頑張ろう。

 そう決意を新たにし、私はゆっくりと目をつぶった。






 さわさわと。なんて例えが出来そうな程、静かな雰囲気を感じた。


「んっ……ふわぁあ……」


 起き上がり、ノビーっと背伸びをする。目をぱちくりとして、辺りを見回す。


「……! あらまぁ…!」


 今は、きっと日が昇り始めてる時間のはずだ。なのに、どこにも日の出が無い。

 辺り一帯、霧でいっぱい。意識がはっきりとしてきて、再認識してみれば。自分たちは、霧の中に浮かんでいた。

 なんてことだ。寝るにしては、霧が近づきすぎたか? 自分達が流されて入ってしまったのか、霧の方が吹かれて私たちを飲み込んだのかさえも分からない有様だった。

 隣で和泉ちゃんがしっかりと寝ているのを確認すると、泡の外へと出る。海上に立ち、辺り一帯と空を見上げるが……。


「うーん……ここまで、分かっていたのになぁ…」


 ここまでは空を見上げれば、泡神様の性質故か、空に現れていなくても光の道が浮かび上がるだろう線が、直感的に感じ取れていた。

 しかし、今はどうだ。空はおろか、水平線さえも霧によって隠され、自分たちの居場所を知らせる者は何もかも閉ざされてしまった。


「まいったわね……。さて、どうしたものか」


 一応、泡を宙に生成し続ける事によって、空中跳びをする感覚で空に行くことはできると言えばできる。ただ、霧の中に和泉ちゃんを置き去りにするのは恐ろしい。一旦、彼女を起こすのが先かな…。


「和泉ちゃん、起きてー、朝……朝だよね? 変な時間に起こしちゃってないといいけれど……たぶん朝だよー。起き……」


 そう言って、揺すりかけたところで、視界の端に変な物を目にした。


「…ん?」


 起こす前に、気になってそちらの方を見る。何か海上に浮かんでいるような……。船、にしてはシルエットがおかしい。何か三角形の者が、私の2倍ぐらいの高さまで突き上がっているような……あれかな、パンフレットとかいうのに書いてあった、氷山とかだろうか。いやいやまさか。外国の旅じゃあるまいし、こんなところに氷山なんて……。


「…! いや、違う! !!」


 氷山では無かった。でも、

 霧の中から、こちらに流れてくるようにして姿を見せたのは、沈没しかけ、先頭だけを空に突き出している船だった。

 思わず、何事かと海中に飛び込んで、船全体を確認する。が、船の中央部に大きな穴が開いており、そこから沈没しだしたのが見て取れた。


「だが……おかしい。なんだこれ…?」


 船は、沈没してからそれなりに立ったというほどに、古めかしい。それなのに……こんな沈没しかけた状態で、ずっと海上に浮くものなのだろうか?

 ひとまず、気味が悪いものであることに代わりはない。和泉ちゃんを起こし、早くここから出ようと海上に上がる。


「…なっ!?」


 だが、海上に戻って見えた光景に、またも驚くことになった。

 沈没しかけの船は、一つだけじゃない。いつの間にか、霧の向こうから、2隻、3隻、いや、10隻。数えきれないほどの、様々な形で海上に半分突き出た船達が、流れてきた。


「なに、これは……どういうこと?」


 気味が悪いを通り越していた。霧の中だけを彷徨う沈没船の群れとか、自然にある訳がない。気味を通り越して、だ。


「くっ…! 重し、軽し、辛みも忘れ浮かび上がり給う…!」


 パンっと両手を打ち、今も和泉ちゃんが眠っている泡の陸地にかざす。手のひらから浮き出た泡が、あっという間に泡の陸地を包み込んだ。

 これでよし。すぐに逃げた方が良いとも行かなくなった。この海域、何かが居るかもしれない。

 私は両手を構え、静かに耳を澄ませた。


「……」


 ただ、波が沈没しかけの船に当たる音が、異様に多く聞こえた。


「柄杓は、いらない。もういらない」

「!」


 そんな声が、突然聞こえた。

 そして、真横の方からガリっと木を荒々しく削る音が聞こえた。急ぎそちらを見る。


「! これは…!」


 振り向いた先にあったのは、先ほどまではなかった、大きな切り傷だった。のこぎりで何回も削ったような深い斬り後。まさか、これを一回で斬ったのか? しかも、姿が見えなかったぞ?

 そこから、さらにあちこちでガリ、ガリと。四方八方から斬る音が聞こえた。振り向けば振り向く程、私たちの回りの船に、大きな切り傷が刻まれている!


「…っ隠れてないで出てきなさい! 用があるのでしょう!」


 どこにいるかも分からない相手に、そう声をあげた。

 しばし、静寂が流れる。


「柄杓はいらない。もう、穴の空いたので我慢する」


 背後から、声がした。急ぎ、泡を手に呼び出して振り返る。


「でも、子供だけは我慢が出来ない。欲しい、食べたい。溢れんばかりの、神力の集まりぃぃい!!」


 振り向いてみれば。ボロボロな着物を着て、それを動きやすいように縛っている身のこなしをした少女が柄杓を振り上げていた。

 なんだこいつ!? いや、穴の開いた柄杓。それには聞き覚えがある。こいつ、人を沈没させることが生きがいの、舟幽霊だ!

 私は即座に泡を展開し、振り下ろされる柄杓に対して構える。だが、私が構えたのを見ると、舟幽霊はにかっといやらしい笑いを見せた。


「はっはっはぁぁああ!!」


 振り下ろした、柄杓が。


「えっ!」


 そのまま、柄杓は下まで振り下ろされる。私の肩から腰まで、大きな切り傷が現れ、血か、それも分からない光る液体が噴出した。


「うぐっ、がああぁあぁああ!!」


 絶叫をあげた。痛い。こんな痛み、今まで味わった事が無い。歯を思いっきり食いしばり、足を後ろに踏み出して体を支える。そして、右手の手のひらに泡を作り出す。それを舟幽霊目掛けて突きだし、思いっきり掌打をかました。


「っぐはぁっ!!」


 舟幽霊はそれを胸元に受けると、その場から吹き飛び、背後にあった船の船首に当たり、そのまま船の背後へと回転しながら落下した。

 思いっきり当たったが…実体があるのか? だが……例外もあるのかもしれない。

 今殴った時に味わった感覚。あれも、どこか懐かしい感覚だった。間違いない。今の舟幽霊も、


「がーっ!」


 水しぶきを上げて、目の前に再び舟幽霊が姿を見せた。胸元を押さえつけて、呼吸を荒くしている。


「うがーっ! いってえなこの野郎! 一発致命傷与えたんだから、そのまま倒れろよな! あたしは一撃必殺が受け売りなんだぞ! こらぁ!」

「んなっ…」


 思ったより、柄が悪いぞこの舟幽霊。だが、たしかに重い一撃を喰らったのも事実だ。まだ戦えそうだが…かなり戦いに後れをとりそうだ。


「ぐっ……そもそも、何が狙いだ。 勝手にこの海域に入ったのが理由なら、私たちはすぐに出ていく」

「はーっ? 入ったとか入ってないとか、あたしはどうでもいいんだよ。 さっき言っただろう? 狙いは子供だって」


 呆れた、とばかりの表情をして、柄杓で泡の陸地を指す。それは、確実に和泉ちゃんを指していた。


「くっ……」

「あんた、禁域の神様だろ? あたし、あんたのご馳走が気になってねぇ。 それを横取りしたいって思ってんのさ」

「あの子は私の食べ物じゃない」

「ええぇ? あんだけ神力を蓄えた子なのに? なおさらもったいなっ!」


 肩を落とし、ため息をつく舟幽霊。神力を持ってるって言ったか、この幽霊。和泉ちゃんが? …なにか、あの結界内に和泉ちゃんが居た理由に関係するのだろうか?

 いや、ひとまずは…。こいつに和泉ちゃんを渡さないことが最優先だ!


「ああ、それと自己紹介が遅れた。 一撃でやる気だったから、言うつもりもなかったんだけど!」


 そう言って、今度は柄杓を私に対して構える。


「あたしはここ辺りで幽霊やってる霧子きりこ。神力蓄えた人間食べて、今よりもーっと力得たいんだよねぇ!」


 そう叫び、霧子は私に飛びかかって来た。

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