第10話 初めての海、初めての料理
出発してから1時間少し。空は晴天で、見た事も無い程巨大な雲があちらこちらで浮かんでいる。夏真っ盛りという具合だ。
そんな中、海上の事は一旦置いといて、私は深海を潜っていた。深くを這う海流に掴まらないように気を付けつつ、深海を辿る。
背中に和泉ちゃんは居ない。一旦海上に待機させている。というのも、出発して早々、和泉ちゃんのお腹が鳴ってしまったのだ。人間である以上腹も減って当然である。
それなりに潜ったところで、海中にきらきらと煌めくものが見えた。
「! みっつけた…!」
それは、海底の砂近辺を泳ぐ、魚の群れだった。一尾ごとがそれなりの大きさを持っている。私の胸元ぐらいまでの長さはあるんじゃないだろうか? 色は背中側半分が真っ黒で腹が白、その間を分けるように黄色いせんが入っている。そんな感じの見た目の魚が数十匹、海底の砂に口を付けてははぐはぐと何かを食べている。きっと、食事をしているんだろう。
食事をしている時、油断をすればその食事そのものにあっと入れ替わられてしまう。…なんて殺伐とした雰囲気の言葉が過ったが。それでも、和泉ちゃんを満腹にしてあげたい。
ごめんな、悪く思わないでくれ。そう心の内で祈って、その魚群に突撃した。
魚達は、海の中を滑るように、荒音も立てないで潜ってくるこちらに明らかに反応が遅れている。そして、私は両手を合わせ念じる。
「重し、軽し、辛みも忘れ浮かび上がり給う。自由になり給う!」
両手の間から泡を作り、目の前の魚群に被せた。
数十匹の魚は一斉にバーッと逃げるが、幸い、泡の中には3匹の魚が捕まった。泡の中で必死に逃げようとバタバタともがくが、どれもこれもが、私の作り出した泡からは逃れられない。
しかし、まいったな…。和泉ちゃんのお腹を満たしたいと思って問ったが、サイズがかなり大きい。この大きさなら、一尾頂ければ量的には十分だ。
どれを生かし、どれを奪うか。生殺与奪の権利が手の内にあるというのは、案外気分が悪い。少し悩んだ後…一番鱗のきらめきが良い物を残し、二匹を泡の網から逃がした。
「よし…」
そのまま、魚一尾を持って海上に戻った。
バシャっと上がり、海上に上がった私の手には、泡に閉じ込められたそれなりの大きさの魚。これよりこの場で行われるのは……泡神様直々、神様らしい方法による神様クッキングだ。
まず最初に、この魚の命を頂く。指をエラの中につっこみ……そして、ぶちっと血管を切った。その瞬間、それまで逃げようと必死に抵抗していた魚は、ビクンと跳ね上がり、それから痙攣をするだけでほとんど動かなくなってしまった。さようなら、魚の命よ……
たしか、魚という物は、暴れれば暴れるほど、疲れや恐怖とかで肉が固く、美味しくなってしまうのだ。だから、出来る限り体が壊れる前にこうして締めた方が良い。
さて、ここからなのだが……。今仕留めたばかりの魚を、もう一度泡の中に浮かせる。
「今まで……魂以外にやったことなんて、和泉ちゃんに渡した水ぐらいしかやった事ないけれど……」
さっきの成功が間違っていないのなら、出来るはずだ。
泡に向かって念じる。
『頭、内蔵よ。分離せよ』
そう念じた途端、少しだけ抵抗を指先に感じた後に、泡の中でぶちっと音がして魚の頭が飛び、内臓が腹から飛び出した。
「うあっ、うああぁぁあ!」
思わず叫んだ。自分の能力の筈なのに、ついさっきまで生きていたもの相手にまさかこんな軽く解体できるとは思わなかった。分離した頭と内臓は、泡から抜け落ち、海へと落ちていった。
「ま、まさか。本当にできるなんて……えっと、えっと。次は……血抜き!」
分離せよ、血液。と念じる。すると、かつて頭があった場所や、腹に開いた穴などから魚の血液が吸い取られるようにして出てきた。
それもまた、綺麗に分離されて泡の中に球体として浮かび上がり、そしてそこから、泡の外にとぽとぽと垂れて、海に流れていった。
二回目の分離で気になったのは、先ほど頭と内臓を分離した時よりも、手に感じる
もし、今後生命相手に生きた状態で分離を願うとしたら……多少なりとも抵抗されて、簡単には分離できないだろう。そう自分自身の中で考えて、逆にその答えにほっとしてしまった。当然だ、生き物相手にこんなのがひょいひょい出来たら…恐ろしすぎる。怖いわ。やってるの私だけど。
まあ、ひとまず頭や内臓、血液は抜けた。さらに追加で、身体がびくびくとしないように、身体の中に這っている線みたいなものを取り除いて…。それと、寄生虫の分離も念じて見る。これは、驚いたことに居なかった。実にいい。規制されてない魚とは、元気に成長していることだろう。後の止めは、尻尾と鱗の分離だ。
「さて、と。これで大方の順は出来たねぇ」
ひとしきりの能力の駆使は終わり、ひと汗を拭う。泡の中には、それはもう大きな、キラキラと輝く魚の切り身が浮かんでいた。
空から差す光が膜を通して表面に当たり、素晴らしい色合いの反射をしている。食事という物がいつあったのか分からない私でも、つい唾を呑んでしまう逸品だった。
だが、不幸なことに……残念なことに……ここに醤油は無い!
いや、私が知っている時代でも、醤油なんて貴重だった。だが、もう数百年は経っているんだぞ? 醤油ぐらい…! 様々な人が気軽に今日は醤油でございますよーって言って、好き放題に駆けてるに違いない! そんな時代の恩恵を感じられないとは、何たる不幸か! ああ、そう思ってくると。私自身も陸地を見たくなってきた。きっと色々楽になってるんだろうなぁ……陸地。
……なんでだろう。陸なんて知らないはずなのに、どーしても思考を重ねると、懐かしさを覚えてしまうんだよね? 不思議だ…。
「うーん…仕方ない。 軽く塩でもかけておくかぁ……」
刺身に醤油を掛けられないという、苦痛も苦痛の悲劇を堪え、しぶしぶ海水を泡で包む。そして、分離せよと命じ、海水から塩だけを取り出した……。あまりにも多すぎる量塩が出来たから、指で一つまみ取り、パッパと刺身に巻いた。残りの塩は……さらば、海に帰るがいい……全部海に帰した。
よし、これで泡神様特製。取れたて魚の刺身が出来上がり。さっそく和泉ちゃんを待たせてる方に戻った。
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