第3話 戸惑う海上の沈殿少女
綺麗だ。そんな事を最初に思った。
自分のひとまず神様だって言える肩書きも、この瞳を見ていると、なんの自慢の足しにもならないように思えた。
「…えっ、あれ? お姉さんは……」
「へっ?」
思わず声を掛けられて変な声が出る。
まずい。生まれてこの方、同業の神様どころか、人間と話したことさえない。まるで神と題した自然現象の一貫のように生きてきたことが、今になって牙を剥いて来た。なんと話せばいいか分からない…!
「……よ、よーこそ、にんげんよ! 言葉ワカリマスカ?」
つい、未知の存在に話しかけるような声を出してしまった。
「あ、はい。分かりますけれど……」
こっちの反応にたじろいだのが、辺りをきょろきょろと見回す。
少女の目に映るのは、360度陸の見えない水平線だ。一通り見終えたところで、視線を目の前に戻せば。羽衣を着た良いお姉さんに抱かれている。
「……斬新な誘拐ですか?」
「うぐあっ!?」
神隠しですか? なんて言われて驚かれることを期待していた。悲しいかな、現代っ子の目には神威も何もあったものじゃないらしい。悲しみ。
「ち、違います。 私は、湖畔」
悲しいけれど。望んだものを得たいのなら、得られるよう自分で結果を手繰り寄せるまで。
少女をゆっくり海中に離す。私の手が離れようとすると、こちらを不審者がっていた少女が逆に手放されるのが怖いらしく、わたわたと慌てる。大丈夫、怖くないから。
両手が自由になったところで。私はパンっと両手の平を合わせ、それから左右の手のひらをそれぞれ、少女を中心とした海面に着いた。
「重し、軽し、辛みも忘れ浮かび上がり給う。自由になり給う」
私がそう呟くと、両手が淡く光り輝き、そのまま少女の回りの海面が光り輝く。
そのまま、少女を持ち上げるようにして海面から人程の大きさの泡が浮かびあがった。
「ひゃっ!?」
少女は驚きの声を挙げる。バランスを取ろうと体をバタバタとさせ、結果として泡を強く掴み爪を押し込んでしまう。
だが、それもご安心だ。少女もついやってしまった事に気が付いて手を見るが、爪をくいたてたところで、泡は割れない。
「驚いたかな? これで人間では無いという事が分かられたと思うが」
「わぁ……」
体勢も整えられたらしく、少女は泡の上にへたり込む。自分も海面に足をつけるぐらいまで浮き上がる。空は飛ぶことはできないが、海面に立つぐらいまでなら問題ない。
「改めまして、私は
にっこりと微笑み、羽衣の裾をめぐり手を差し出す。
少女は、恐る恐ると言ってこちらの手を握ってくれた。良かった、少し心を開いてくれたようだ。
「わ、わたしの名前は……
「そうかそうか、いずみちゃんか」
良かった。人間とのファーストコンタクトだったが、なんとか通じ合ったようだ。他の神様も、最初はこんな風にドキドキするのかなぁ……会った事ないし、同僚みたいなのが居るのか知らないけど。
「湖畔、さんは……わたしを食べる為に、攫った妖怪さんなの?」
「うぐっ……!」
……前言撤回。超常なる者とは分かってくれたけど。自分を狙っている相手と思っているらしい。
自分は、泡神様っていう。ここでお勤めを果たしている神様だよ、と説明してあげた。
「というわけで、お姉さんは君を食べないよ?」
「う、うん」
いずみちゃんはこくりと頷いてくれた。良かった、自分が怪物では無いという事と、自分を呼ぶときはお姉さんだという事を教えられた。年の功が怖いからねぇ。
「それで、いずみちゃん。 今は何年頃かな。それと、どこから来たのかとか…」
「へっ? ええっと、1972年、ですけれど……」
「ふむふむ……1972年かぁ……」
1972年。1972年、1972年ねぇ……ふーん?……
…それって、いったい何時ごろだろうか?
いや、自分が知っている頃の年の呼び方は、別のものだったし。何時ごろからその4桁の数字になったのかも思い出せない。最初に聞いた4桁の数字とか覚えられんもん。
……あー、やっばいなぁ。ずっと何も考えないで暮らしてきたけれど、外の人とふれあってみると、案外自分が何も知らん事が思いっきり露呈してくる。私は、知識における地位の最下位だ! うわっはー!
ま、まあ。前回の目覚めの時に見つけた漂流物に書いてあったのは、たしか1920年だが、損ぐらいだったと思う。という事は、自分の漂流物知識さえも、もう50年まと言うわけだ。早いなぁ、時代の流れ。
「うむ。時代は大体わかった。して、ここに来た理由は?」
「え、えっと……」
少女は口ごもってしまう。
「…あー、そっか! 泡の中に入って来たもんだから。自分がどうやって来たかも分からないんだな?」
「は、はい! そもそも、泡の中になんて、どうやって入ったのかも。さっぱり……」
「うーむ、そこからか…。じゃあ、いずみちゃんがそうなる前の、自分の居た街の様子は?」
「それだったら…」
少女は、故郷が見えるかと期待したのか、もう一度辺りを見回してから口を開く。
「故郷は……港の町です。背にはおっきい山があって……山の中にぽつんと出来た、小さな集落みたいなところです」
「ふむふむ。結構しゃれた場所なんだねぇ」
「ええ。みんな、すごい優しくて、それで……」
そう言葉をつづけたところで、少女の言葉が詰まってしまった。見て見れば、顔は悲しそうな表情で固まり、じんわりと目元に涙が見える。
「お、おぉおぉ? どうしたんだい、大丈夫かい?」
どうしていいのか分からなくて、いずみちゃんに近寄って抱き、そっと背中を撫でてあげた。
「す、すみません。なんか、私帰れるのかなーって、急に思っちゃって……」
「あぁ……」
そうか。不思議な状況の連続で、急にいつもの場所の事を思い返しちゃったから、途端に元の場所に帰れるか不安になっちゃったわけだ。ちょっと、まずいことをしたなぁ……。
「おおぉ、泣かないでおくれ、いずみちゃん。大丈夫、大丈夫だから……」
「ぐすっ、ぐす……」
泣きかけるいずみちゃんをなだめながら、自分は辺りを見回す。
この子が、どこから来たか、か……。陸の港際とまでは分かったが、それ以上の事が分からない。
……だが、手がかりが何も無いというわけでもない。
「…うぅむ……」
ゆっくりと空を見上げる。
そこにあるのは澄んだ青い空。波の中、海上の様子とは反し何の波も経ってない澄んだ世界。自分は、そこにいつも一本の道が浮かび上がる事を知っている。
そう、光の道だ。泡、記憶を溢れんばかりに含んだ魂達は、光の道に乗ってあの世のある水平線を目指していく。この子が入っていた泡も、それと同じであるとしたら……。
「……あの先、なのかねぇ……」
自分は、いつも出来上がる光の道の先の方を眺めた。
消える水平線の反対側。魂がやってくる方をたどれば、いずみちゃんが言っていた港の町にたどり着くかもしれなかった。
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