第2話
15才、高等学校一年生の夏。
入学というイベントを経て、流石に高校生活にも慣れる程度の月日は経過し、差し迫る夏休みに向けて我々生徒達が浮き足立つ季節。
水田真理が白線を踏み越えて消えたのが10才の夏休みだったから、あれからもうすぐ5年になるのか。
5年。
1826日。
43824時間。
2629440分。
もう彼女は、……生きてはいないだろう。
「ナギ。おい、ナギ。物思いに耽りながら歩くのは危ないぞ」
昔のことを思い返しながらセンチメンタルになっていると、隣を歩くちっこい女の子に話しかけられた。
ナギ、というのは僕の名前だ。
そして、この隣を歩く幼女としか思えない少女は
どう見ても幼女のようにしか見えない愛くるしい
もっぱら「不条理な幼女先輩」などと揶揄される理奈だが、彼女のこの姿には理由がある。
富城理奈はいつまでも子供でいる為に、幻想大陸の中だけで使える特別な
それは10才の時のことなので、肉体年齢は5才となり、5年経った今でも彼女の体は2年半分の成長しかしていない。
故に、理奈の肉体年齢は7才半前後と思われる。
もっとも、「水田真理の喪失」により、僕らの心は何段階か大人への階段を登ってしまい、結局は幻想大陸への門をくぐれなくなってしまったが……。
亜麻色の髪を揺らしながら歩く幼女先輩こと理奈にごめんと謝り、前へと向き直る。
つい昔のことを考えて惚けてしまっていたが、今は高校へ向かう道すがら、いわゆる登校途中であった。
話が逸れてしまったが、ええっと、そうだ、水田真理はもう生きてはいないだろう。
あの世界、幻想大陸は精神世界のような場所なのか、現実世界と時の流れが異なる。
一炊之夢という故事を知っているだろうか。
ある男が人生の栄華を極める夢を見たものの、それは飯すら炊き上がらない程短い時間だったというものだ。
あの世界で1日過ごしたとしても、現実世界ではおおよそ1分程しか経たない。
それゆえに、あの世界で何日過ごしたとしても現実ではほんの数分の出来事だ。
5年、1826日、43,824時間、2,629,440分。
つまり、あの世界での2,629,440日。
……約7200年。
それだけ経っても水田真理が帰ってこないということは、既に現実世界に戻ってくることは不可能なのだろう。
たとえ生きていたとしても、それだけの年月を体感してしまえば精神の均衡を保ってはいられないだろう。
水田真理は死んだ、いや、死ねていれば幸運なのかもしれない。
もし仮に死ねないまま7200年を──いや、考えるだけで恐ろしい。
彼女の為にも、死んでいた方が、いい……筈だ。
「おお、そこに居るのは我が宿敵であり友人、
敵なのか友なのかはっきりしろ。
そんな感想が浮かんでしまいそうな奇怪な挨拶をしてきたのは、陽の光の元では目立ちすぎる
彼女の名は
この少女もまた、かつて共に幻想大陸を旅した仲間の一人だ。
「えっと、おはよう、舞」
僕がした申し訳程度の挨拶に続けて、幼女先輩こと理奈が声を掛ける。
「マイよ、息災か」
「うむ。
彼女の言動が突飛なのも理奈と同じ理由である。
例によって例の如く、子供心を忘れない為だ。
要するに彼女は厨二病、いや、戦略的厨二病なのだ。
成績だけはやたら良い為、教師も迂闊に注意をすることが出来ずに恐れられている白髪と赤目のカラコン。
たとえ周囲から不治の病、厨二病などと蔑まされても己を貫き通す気高さ。
それが彼女、藤乃屋舞という人物だった。
そんな彼女の生き方を、僕は密かにかっこいいと思っている。
子供心を持ち続ける為だけに、他人から嘲りを受けて笑われるなんて、とてつもなく恐ろしい。
気の弱い僕には到底真似できそうもない異形の偉業。
だが、それだけのことをしなければならない理由があるのだ。
幻想大陸のルールが一つ。
『子供の心を忘れた者は、幻想大陸を憶えておくことは出来ない』。
子供の心を失ってしまえば、幻想大陸の記憶は全て「子供の頃特有のごっこ遊びの思い出」にすり替わってしまうのだ。
たとえどんなに克明に日記として書いておいたとしても、記憶はただの記録へと、現実だったものが幻想へと変わる。
事実として、もう一人かつての仲間がいるのだが、幻想大陸のことは何一つとして覚えていない。
幻想大陸の話をしても、「ああ、ガキの頃はそんな設定で遊んでたな」と、まるで遠い昔の思い出話を語るような反応だった。
彼は、大人になってしまったのだ。
あの世界での出来事が無かったことになってしまう。
有耶は無耶へ。
有為は無為へ。
幻想大陸へと迷い込む子供達は数多居るだろうに、その存在が公に認められていないのはそのせいだろう。
子供しか認知し得ない世界。
証言するのが子供だけならば、それは子供の戯言となってしまう。
探さなければならない。
子供の心を失いかけている僕らが、再び幻想大陸へと入る方法を。
幻想大陸に入れなくなってしまったものの、この5年間、僕は再びあの世界に行くことを諦めてはいなかった。
少なくとも、水田真理の生死を確認するまでは諦めてなるものか。
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