(4)私、シーモア・グラスにて。



 翌日、病院で看護業務をする私が何度も何度もため息を吐くので、同期の鹿島さんが心配して声をかけてくれました。以前別の友人から送られてきた彼氏の浮気写真が気になって、業務に全く集中出来ないのです。夜になると鬱々として眠ることが出来ず、目元に薄っすらとクマができていました。


 彼氏は今、建設会社に勤めていて山形に出張するためしばらく会えなくなると言っていたはずでした。もし本当に浮気をしているのなら私が住む仙台市街地の通りを堂々と知らない女性と一緒に歩くのは神経を疑います。


 彼に直接問いただすのは怖かったので、メッセージアプリで『仕事お疲れ様、元気にしてる? 山形寒くないかな?』と笑顔の絵文字付きメッセージを送ってみると『山形は寒い』と無愛想な返事が返ってきました。


「今日、私の誕生日なの覚えててくれてるかな……」



 * * *



 今から三年前、看護学生だった私は友人の誘いで仙台の国分町で行われる飲み会に参加することになり、Bar「シーモア・グラス」にて、初めて彼に出会いました。


 両親から悪い男には引っかからないようにと釘を刺されていましたが、黒髪で誠実そうな振る舞いをする彼に心惹かれて付き合い始めた頃は私の悩み事を聞いて、親身になって励ましてくれる心の優しい人だったのです。


 けれどもしばらく経ってから急に髪を染め上げて態度が変わり、日毎に彼の口数が少なくなって今や相談できる相手はパキラちゃんのみとなりました。


 過去の記憶をさかのぼりながら鬱々と作業をこなしていると、窓際にいた先輩にジッと見つめられていることに気付きます。私が業務ミスをする瞬間を今か今かと待ち侘びているのです。


 彼氏の浮気問題、先輩看護師のパワーハラスメント。二つの悩み事に板挟みにされて今日も私の腹部がキリキリ痛む。空き病室に隠れて額に汗を滲ませながらうずくまっていると鹿島さんが私を見つけて背中をさすってくれました。


「ごめん、ありがとう……だいぶ楽になってきたよ」


「狩野さん無理しないでね。もう少しで退勤だから頑張ろ」


「うん……」



 * * *



「お疲れ様でした!」といつものように職員玄関の前で威勢良く声を上げてお辞儀をするのはペコさんと呼ばれている病院の清掃員です。


「ペコさんお疲れ様ー」


「お疲れ様ですー」


 私と鹿島さん、それに中江さんの同期メンバー三人で病院を後にしました。


「中江さんも先輩にキツいこと言われてたね……」


「もう嫌になるなあ! メモの通りに業務こなしたのに間違ってるって叱られたんだよ。あの先輩から教わったことなのに。それにあのいやらしい目、私達をジッと見ているのが気っ持ち悪い!」


 先輩の悪口を鹿島さんと中江さんがグチグチ言い合っていました。繰り返される味気無い日々。患者さんは皆優しくていい人ばかりなのに、病院職員と仲が悪くなって精神を病んでいくのが何よりも耐えられませんでした。


 私は人の悪口を言うのがあまり好きではなかったので、歩きながら民家の庭に植えられている赤黄色の小さな花を咲かせた金木犀の木をぼんやりと見つめていました。


 金木犀の甘い香りが漂ってきて、この心地良い甘い香りを嗅いでいると金木犀の天使「九里香くりか」のことを想起してしまう。


 今日も夕暮れ時に私の住むマンションのベランダに訪れて、鉄柵にもたれながら日が暮れてライトアップされていく三本の電波塔を眺めるのでしょうか……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る