(14)Voiceが胸に届かない



「今のは……」


「私がこの街に来てからお世話になった東雲さん。持病の発作でね、去年の12月に亡くなったの」


 後ろを振り返ると九里香が眉間に力を入れて目をつぶっていた。涙が出そうになっているのをなんとか堪えているように見えた。


「天使の役目は人を幸せに導くことだって私は信じてる……けれども『死』が人の心の救済になることもあるってこれまでの活動から学ぶこともあった……死が救済となるならば、吉秋君、私はあなたを引き止めはしない」



 * * *



 ここしばらく、俺も兄貴と同じ錠剤を飲んでいた。元カノに振られて鬱々としていた兄貴と同一の状態にあるようだった。どうすれば抜け出せる? 兄貴は九里香に出会ったことで回復した。「生きよう」と引き止められたからだ。


 だけど今回は違う。俺は自ら死を願い、死による救済があることを知った九里香は俺を最後まで見届ける選択をした。俺はただ一言「ありがとう」とだけ伝えた。


 ゲームセンター内の座席に座って俺はいつもと変わらぬ姿でエクステⅦの全国の猛者との対戦に集中していた。留年一年目にあたる今年の春から俺は再起することを両親と約束していたはずだった……けれどもコロナ禍で大学が閉鎖され出鼻を挫かれてしまった。


 俺がその時やっていたことといえば今と変わらぬ姿でエクステⅦをプレイして兄貴の順位を店内ランキング一位から落とさないことだった。当初の俺はそこまで強くなくてコロナ禍で短縮された営業時間内に朝から晩まで居座り、対戦を多くこなすことで勝利してスコアを稼いでいた。


 春から夏、そして秋へ。実力で一位の座を不動のものにできるようになった頃、大学では知らぬ間に出来上がっていた歳下のコミュニティの中に入り込むのが怖くて怖くてたまらなくなっていた。


「なあ、知ってるか? この大学の最寄駅で……」


 遠くから聞こえたその言葉に俺は教材をカバンにしまい、誰にも悟られることなく静かに講義室を抜け出した。あの日のことがフラッシュバックする。もしかしたら全く関係無い話だったかもしれないし、幻聴だったのかもしれない。


 あの事件から一年経った今でも検索サイトにこの大学名を入力するとサジェストに事件と関連するワードが出てくるほどだ。大学進学を希望する人達は間違いなくこの話題に目が入るだろう。兄貴の死が俺にまとわりつく。そしていつ人々の記憶から消えるのか分からない……敗者の記憶を……。



 * * *



 全国対戦モードの相手の〝質〟がいつもと違うように感じられた。攻めに転じ、それを逆手に取られたカウンターによる敗北。動きを封じられて一方的に叩きのめされる場面もあった。


 今日の対戦は普段より調子が悪く、体勢を立て直そうという焦りと苛立ちがより俺を敗者の立ち位置へ引きずり込む。


「クソッ! なんでこんな日に限って連敗すんだよ!」


 拳を握りしめゲーム筐体を叩きつけてやろうとしたがすんでのところで手を止めた。残り百円玉が六枚。額から汗が流れ頬を伝っていく。


 一戦、二戦、三戦……。


 ……俺にとっての最後の戦いを……今終えた。心臓の鼓動が早すぎて胸が痛い。身体の震えが止まらず、自然と涙が目から溢れてきて俺はゲーム筐体の台に頭を伏せて声を上げて泣いた。


「ああああ!! ふざっけんな! なんで……なんで俺は!!」


 周りにいた客が店員を呼ぶ声が聞こえる。


 店員に肩を叩かれ「お客様、大丈夫ですか……?」と恐る恐る声をかけられたその瞬間、俺は座椅子から立ち上がって逃げるように駆け出した。


 たくさんの人の注目を集めながらゲームセンターから抜け出し、エスカレーターを駆け足で下り、複合商業ビル「delta」の玄関口で入店してきた人を突き飛ばしそうになりながら外へと飛び出した。雪が今もチラホラと降り、曇っていて空が見えないが恐らく夕暮れ時のことだった。


 眼前に広がるのは昼時に見たままの仙台駅東口のクリスマスムードの街中で行き交う人々。皆幸せそうだ。以前、九里香とハオさんと一緒になって談笑したバスターミナル付近にあるベンチに座って静かに涙を流した。


 夜に移り変わってゆく。周囲の人々の足取りが帰路につくようなそんな雰囲気を持った頃、耳障りな女性の笑い声が耳に入った。


 顔を上げて身体が強張った。そこにいたのは俺が好きだった同じ大学のあの子だった。彼氏らしき人と同伴で腰に手を回され抱き寄せられていた。


「あいつね〜ギャハハハ!」


 周囲の喧騒でよく聞き取れなかったが、俺を指差して馬鹿にしていることだけはわかった。


「やめなさいよ! そういうこと言うの!!」


 突然視界の端から怒り顔の九里香が現れて純白の大きな翼を広げた。翼をはためかせて威嚇するようにすたすたと迫る様に俺を馬鹿にしていたあの子も彼氏も怯えた顔をしてその場から早足で逃げ去って行った。


「ぬう、私を怒らせないことね。あなた達の頭の中ぐじゃぐじゃにだって出来るんだから!!」


 離れて小さくなっていく二人の背に向かって九里香はそう言い放った。俺は九里香に涙を見せたくなくて涙を袖で拭ったがいくら拭っても自然と目からポタポタと涙が落ちて止まらなかった。なんて惨めなんだ……。


「そろそろ死ぬよ、俺……」


 ゆっくりとベンチから立ち上がって仙台駅に向かって数歩歩いたところ後ろから九里香に手を掴まれた。


「待って……吉秋君。本当は……本当は……死の救済があるってわかっていてもあなたには生きていてほしい!! あなたとハオさんと一緒に過ごした時間はかけがえのないものだった……それをこんな形で終えるなんて……ハオさんだってそう言ってくれるはず……!」


 ははっ、昼にあんなもの見せといてよく言うよ……九里香に引き止められたことは嬉しく思うがその感情は肌に降り落ちた雪のようにすぐに溶けて消えていった。もう誰の言葉も俺の心に届くことはない……九里香の声も……ハオさんの声も……。


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