(2)泉パーキングエリア・エイリアンズ

 


 不思議な交通事故が起きたのが金木犀が香り始める十月頃。年が明けた一月の今は、あの件から三ヶ月経ったことになる。


 仕事の忙しさは変わりなく、相変わらず味気のない日々を淡々と繰り返しているが、そんな日々の中で僕は新しい趣味を見つけることが出来た。深夜の高速道路をドライブすることだ。



 * * *



 深夜0時、東北自動車道、泉パーキングエリア(上り)。


 仕事を終えた僕はスーツ姿のまま愛車ラシーンに乗ってここまで来た。


 公衆トイレと屋外喫煙所しかない小規模なこのパーキングエリアには、大型トラックや自家用車が片手で数えられるほどしか駐車していない。


 運転手は車の中で眠っているらしい。大型トラックの窓にカーテンが敷かれていて、隙間から口をあんぐりと開けて目をつむる青髭の男が見えた。


 目先にある蛍光灯がうっすら灯る公衆トイレには人気ひとけが無い。


 車から降りると高速道路を行き交う車の走行音が聞きながらスマートフォンとBluetoothイヤホン、加熱式タバコを持って喫煙所へ歩いていく。木製のベンチと立ち灰皿が置かれただけの簡素なものだ。


 途中で我慢できずに加熱式タバコの煙を肺いっぱいに吸い込み、空中に輪っかを浮かせてみた。たまらないひとときだ。


 僕は最近、休日前に深夜の高速道路をドライブして、サービスエリアやパーキングエリアに訪れる。


 人気が無い喫煙所でタバコを吸いながら、深夜寝静まる閑静かんせいな仙台市街地の航空障害灯が赤く点滅するビル群に思いせ、穏やかなネオ・シティポップを聴いて、感傷に浸るのがマイブームとなっている。きっかけは動画サイトのコメントだ。


 雪の降りしきる年末の夜に自室でくつろぎながら動画サイトを眺めていた時のこと、『深夜に聴きたいネオ・シティポップ』という動画が目に入った。


 CD音源の寄せ集め動画だ。無許可で他人の楽曲をアップロードするのは違法なのだろうけれど、暇さえあれば就寝前にイヤホンを耳にして聴き入っていた。


 動画のコメント数を見ると千を超えていて、動画を視聴した人の日本語や外国語で書かれたコメントが多く目に付いた。


『この動画のおかけで試験勉強が捗りました!』


『夜、散歩する時に聴いています。最高にエモいです!』


『選曲がズルい。好きになっちゃう。耳が幸せになっちゃう』


『広告が邪魔』


 違法アップロードされた動画だから歌手がこれらのコメントを読んで複雑な気持ちになるんだろうなと鼻で笑った。コメント欄をスクロールしていると、ある一文に目が奪われた。


『深夜の高速道路を運転しながらこの曲聴いたら最高に気分が良かった』


 その一文に多くの返信コメントがあった。


『分かります。あと真夜中のサービスエリアみたいな雰囲気があって、トキメキが止まらないです』


『夜行バスから降りた時の夜のサービスエリアがまさにこんな感じ。心地良い孤独感』


 確かに、と僕は一人頷いた。


 深夜の高速道路、真夜中のサービスエリア、心地良い孤独感──。


 僕はこのフレーズに心惹かれた。


 それ以来、休みの前日に深夜の高速道路をドライブするのが趣味となる。誰もが寝静まる夜更け。僕に対して文句を言う者や奇異きいの目を向ける者はいない。


 屋外喫煙所のベンチに座るとBluetoothイヤホンを耳に装着して曲を再生する。外出先で動画を見たら通信料が膨大ぼうだいにかかってしまうだろうから、正規のミュージックアプリで曲を購入した。


 僕が作成したスマートフォンのミュージックプレイリスト「深夜高速」には、この時間帯に聴くには打って付けの曲が羅列られつしている。


 今回聴く曲は僕のお気に入りの一つ、キリンジの『エイリアンズ』だ。


 この曲を聴いていると宙を漂っているような独特な心持ちになる。星々がまたたく夜空の下、瞳を閉じて、曲に集中し、自己陶酔じことうすいする。


 此処ここには僕以外誰もいない。思わずイヤホンから流れる曲に合わせて口ずさんでしまう。


 五分ほど経っただろうか。曲を聴き終わる頃に不意に金木犀の花の香りが鼻を掠め、僕はゆっくりと目を開いた。視界の右端にキラキラと光り輝く何かを感じて横を見ると、僕の座るところから一人分空いた隣に人が座っていた。


 しまった、人が来ていたのにずっと歌を口ずさんでしまったと冷や汗が出てきた。隣に座る人物が優しく微笑んだ。


「いい歌だね。もっと聴かせてよ」


「え……」


 その人は瞳を閉じていた。どうやらイヤホンから漏れる音に耳をかたむけていたらしい。


 不思議な人だ。ブラウンのニットワンピース姿、金色の頭髪、背中の真っ白な翼、頭上に浮かぶ輝く光の輪。その人物に見覚えがあった。


 天使様の姿をしたその人物は、自身を「九里香くりか」と名乗った。瞳を閉じる天使様は月光と街路灯の薄明かりを浴びて仄かに輝いているように見えた。


「君が九里香か」


 と、僕は落ち着いた動作で耳につけていたBluetoothイヤホンをケースにしまいながら開口一番に天使様に言い放った。


「へえ、私のことを知ってるみたいだね」


 天使様。いや、九里香はゆっくりと目を開いた。硝子玉のように透き通る蒼き瞳と目が合う。宵闇よいやみの中、瞳はまるで僕達の頭上に広がる夜空のように紺青こんじょうに染まっていた。


「僕が務めている会社の先輩が話題にしてたよ。この街に現れる人助けをする天使様のこと」


 僕は加熱式タバコを手にすると、煙を肺いっぱいに吸い込み、夜空に向けて吐き出した。煙が昇っていき、しばらくすると薄れて消えていった。九里香がついに僕の元にも現れた。


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