想いが通じ合うまで

想いが通じ合うまで

　朝七時四十分。たまたま早起きして、やることもなかったので登校した。教室には朱里さんがいて、一人で掃除をしていた。朱里さんは俺の顔を見るなり驚いて視線を落とす。

「おはよう」

「うん、おはよう」

「朝から掃除って偉いな」

「暇だったから……」

　昨日、教室の掃除当番である男子たちがサボっていたのを思い出した。黒板消しも汚れたままだったし、ベランダで育てている花の水やりもやってなかった。それは昨日だけのことではない。月曜日から水曜日までの三日間続いている。それなのに、先生が怒ったのは初回だけだ。

　もしかしてと思い、黒板消しを確認した。きれいだった。きっと水やりもやっているに違いない。

「あの、亮太くん、今日は学校に来るの早いね」

「まぁな。俺も暇だったから来た。どうせ今も暇だし、掃除手伝うよ」

　朱里さんは無口で消極的な印象しかなかったが、みんなが見ていないところで頑張っているんだなと関心した。同時に、朱里さんのことをもっと知りたいと思った。

「朱里さん、いつもあの時間に登校してるの？」

「う、うん」

「偉いなぁ、俺なんて普段は遅刻ギリギリなのにな」

「間に合ってるし、いいんじゃないかな」

　朱里さんはそう言って斜め下に目を向けたまま黙り込む。俺と話したくないのかな、と思い、引き下がった。でもそれが、かえって俺の興味が湧いた。

　そうして気がつけば彼女を目で追うようになっていた。

＊＊＊

『私の好きな人は太陽みたいな笑顔で笑った。私のことどう思っているのかな。好きな人の横顔を眺めて、』

「て……うーん、続きが思い浮かばない」

　休み時間、私は教室の隅っこで小説を書いていた。でも、言葉に詰まってペンが止まってしまった。小説とか言いながら実際は好きな人に伝えたい気持ちを書いているだけだ。

　私は引っ込み思案で、発表も積極的にできないし、自分の気持ちもノートに書くことしかできない。

　それに対して亮太くんは、誰かが上履きを失くした時は一緒に探すし、誰かがミスをしたらフォローするし、先生からも信頼されている。クラスを引っ張るリーダー的な存在だ。そんな亮太くんのことが好きだった。

　給食の時や掃除時間に話す機会はたくさんあるけど、私から話しかけることはなく、亮太くんが何気ない話をするだけ。私は話しかけられても緊張してしまい、上手く話せない。目も合わせられないし、逃げるように会話を終わらせてしまう。

　休み時間はとても騒がしく、それに隠れて亮太くんの方へ目を向ける。そして、あたかも悩んでいるかのように天井を見上げる。一瞬姿を見るだけで心はいっぱいいっぱいになり、亮太くんのことしか考えられなくなる。

　亮太くんのことを考えると、一緒に喋っている女子が気になった。ここ最近、穂乃果さんと喋っているのをよく見る。付き合っているのかな、と思った。

『ため息をつく。きっと、好きな人にも好きな人がいる。その相手ともう付き合っているかもしれない。でも私は、その好きな人の好きな人が自分であることを願う。願うことしかできないから。』

　願うことしかできない。だから、この作品はここで終わる。諦めて次の作品の内容を考える。どれもこれも主人公が自分になってしまう。

　席替えで好きな人が隣になって主人公と少しずつ仲良くなっていく。リレーで好きな人にバトンを渡す時、転けてしまうが、好きな人は主人公を無視せず優しく手を差し伸べる。好きな人と給食の好きな物と嫌いな物を交換する。好きな人と一緒に勉強しながら、たまにふざけて笑う。

　どれもフィクション。現実で起きるわけがない。

　男の子の目線で書こうと考えた。そうして主人公が好きな人を探して花火大会へ行く話を書き始めた。

＊＊＊

　授業中、先生に当てられて前へ出て黒板に回答を書き込む。そして、席へ戻る時に朱里さんの様子を伺う。何かを書いているようだ――目が合った。急いで目を逸らす。何も気にしていないフリをして席に着いた。

　朱里さんの目が脳裏に焼き付いて離れない。先生の声が遠くなり、目に映るものを上手く認識できなくなる。そんな感覚が、カエルみたいにぴょんぴょんしていた。授業が終わっても、家へ帰っても、寝る前すらも。

　この胸の言い表せないものが何なのか、 ある程度は分かっている。でも、自信がなかった。そんな時こそ友達に聞いてみるものだと、涼介に聞いてみた。

「それは恋だろ。それで、相手は誰なの？」

「いや待て待て、恥ずかしいから言えねーよ」

「ふーん。俺に好きな人を教えてくれれば、アドバイスだって、橋渡しだってやってあげれるけどなー」

　涼介は俺の好きな人を知りたいだけだと分かっているが、味方がほしいという気持ちの方が強かった。

「へぇ、朱里さんねぇ。意外だな。めちゃくちゃ物静かだし、何考えてるのか分からんし」

「そうなのか……？」

「そうだな。中二の時も同じクラスだったけど、よく分からん。女子に聞いてみたらいいじゃん。ほら、穂乃果さんなら朱里さんのこと知ってるんじゃない？　穂乃果さん、すごいフレンドリーだし、亮太とよく喋ってるし」

「たしかに。ちょっと聞いてみようかな」

＊＊＊

「ねぇ、朱里ちゃんって好きな人とかいる？」

　自習時間のことだ。隣に座って恋バナをしていた三人のうち一人、穂乃果さんが私に聞いてきた。

「い、いないよ」

　急な出来事に戸惑う。穂乃果さんとはほとんど話したことがないのに、どうして私に話しかけてきたのかわからない。気まぐれならいいけど、私が亮太くんのこと好きだってことがバレて、諦めるように説得するために話しかけた可能性もある。もしかしたら、いじめの対象になってしまったのだろうかと少し不安になる。

「ほんとに？」

「う、うん」

　私は全力で平然を装った。嘘をついたら自分の胸がチクリとした。

「そーなんだ。私はね――」

　いつの間にか私も会話の輪に入っていた。穂乃果さんは、私の好意に気がついていない上に、いじめようとして近づいてきたわけでもなかった。会話はしばらく続き、私以外の恋バナにもなったし、私も会話を楽しんでいた。

「そういえば、いつも何書いてるの？」

　恋バナが一段落つくと穂乃果さんが言った。

「あ……えっと、小説……」

「へぇ、小説書いてるんだ！　読ませてー！」

「恥ずかしいからちょっと……」

　私はノートに腕を覆い被せて隠した。

「じゃあまた今度見せてよ」

「今度、ね」

　穂乃果さんはいい人だな、と思った。私じゃ勝てない。だから、亮太くんのことは諦めるしかない。

『私の気持ちは隠す。好きな人が幸せであればそれでいい。』

＊＊＊

　休み時間になった。いくら穂乃果さんから朱里さんのことを聞いても、仲良くなれるわけではない。

「なぁ、何書いてるんだ？」

　朱里さんの席へ近づき、ちらりとノートを覗き込む。もちろん、小説を書いていることは分かっている。

「えっと……」

「もしかして小説？　ちょっと読ませて」

　動揺する朱里さんをよそに、ノートを手に取って文を読み始める。

「ちょ、ちょっと！」

「いいじゃねーかよ」

　朱里さんは返してと言わんばかりにノートへ手を伸ばす。

『偶然、好きな人が朝早くに登校して、掃除を手伝ってくれた』

「えっ……？」

　その一文を読んだ瞬間、俺の頭の中はぐちゃぐちゃになり、固まってしまった。その隙に、朱里さんはノートを取り返し、ぎゅっと抱きしめる。

「それって……」

　俺たちは両想いなのかもしれない。そう思い、朱里さんの顔を見ると、その目に涙を浮かべていた。そこで事の重大さを理解する。彼女にとって、あのノートは見られてはいけないものだったのだ。

「ノート借りただけじゃねーか。泣くことないだろ」

　焦って弁明するが、俺が悪いことは明白だ。

「亮太くんのバカ――」

　そう言い残して教室を出て行った。嫌われたかもしれない、と思ったけど、今の俺にはどうすることもできなかった。

＊＊＊

　ベッドに転がり、今日の出来事を思い返す。バカと言って逃げ出したせいで亮太くんに嫌われたのではないかと心配になった。どうして泣いてしまったのか。泣くほどのことでもなかったし、亮太くんに迷惑をかけてしまったに違いない。

　枕を抱きしめて顔に寄せる。ひんやりして気持ちいい。でも、すぐに生ぬるくなる。まだ冷たい部分を探そうと持ち方を変えるが、それでは落ち着けなくなった。

　夕日が差し込んでいるのに電気をつけているせいで、部屋は赤と白が歪に混じった色をしている。これが心象風景ってやつなのかな、と思った。カーテンを閉めるのも後回しにして亮太のことを考えた。

　そもそも、どうして亮太くんはあんなことをしたのか。そこまで仲がいいわけでもないし、人のノートを勝手に取るような人でもないはずなのに。考えれば考えるほどわからなくなる。

　とにかく、明日謝らないと。

『そ、その……』

　脳内予行演習でさえ緊張して名前も言えない。学校で勇気の出し方を教えてくればいいのに、なんて思う。もっと言うなら恋の仕方も教えてほしい。魔法みたいに一瞬で亮太くんのことを諦めきれる方法を知りたい。

　肩の力を抜き、天井を見上げる。すると、お腹の虫がなった。

＊＊＊

　どうしてあんなにも強引にノートの中身を読んだのだろうか。そんなことを考えながら上履きへ替えた。泣かせるつもりなんてなく、ただ、朱里さんのことを知りたいという気持ちが強すぎたのかもしれない。

　大きく深呼吸をする。朱里さんは毎朝早く登校しているから、同じように早く登校して謝ろうと思っていた。

　教室の扉を開いたが、そこには誰もいなかった。

　七時半。一人では広すぎる教室で孤独を感じながら待ち続けるのはしんどいな、と思い箒を取りだした。読んだノートに書かれていた文章をなぞるように手を動かした。

　――ガラッ

　しばらくすると扉が開いた。そこには朱里さんがいて、目が合う。彼女は目を丸くして驚いた。

「朱里さん、おはよう」

「お、おはよう」

「その、昨日は無理やりノートの中を見てごめん」

　そう言って俺は頭を下げた。

「私こそ、大したことでもないのに泣いたりしてごめんなさい」

「朱里さんが謝る必要はない。俺は、その……朱里さんのことが気になってたんだ」

「えっと……？」

　俺は顔を上げる。そして、朱里さんの目を見た。戸惑っている。それは俺自身もだった。溢れる気持ちを抑えきれず、言葉が出てくる。

「好きなんだ……朱里さんのことが、好きなんだ」

　徐々に顔が熱くなっていくのが分かる。心臓の鳴る音が早く大きくなっていく。

「私も……好き、です」

　朱里は手で頬を隠す。OKの返事をもらってほっと一安心した。そのまま全身の力が抜けて、倒れてしまいそうになった。

「あ、あぁ、掃除の続きしようかな、まだ時間あるし」

「わ、私も手伝うよ」

「あの小説みたいだな」

「えっ!?　なんで知ってるの!?」

「あの時、少しだけ読んだから」

「ってことは……」

　朱里は何かに気がついたようで「ばかっ」と呟いた。でも、前と違ってその瞳に涙はなく、口元は緩んでいた。