聖女と呼ばれる侯爵令嬢~極めた転移魔術は強すぎましたが旅する宿屋を始めます~

ラチム

序章 宿屋開始

第1話 冒険者の宿屋さん

七歳の頃、私は覚えたての転移魔術を軽はずみで使ってしまった。


 どこか知らないところへ行きたい。そんな漠然とした気持ちだったと思う。目の前の風景が鬱蒼とした森に変わった。


「ここ、どこ……?」


 どこからか、何かの遠吠えが聴こえてくる。闇雲に歩いたところで、帰れるはずもない。

 いつ遠吠えの主が襲いかかってくるかもわからず、暗い森の中で私の恐怖が頂点に達した。

 木陰でしゃがみ込んで、震えて泣く。もう帰れない。二度と家族に会えない。泣いたところで解決しないけど、涙が止まらなかった。

 もう一度、転移魔術を使おうとも考えた。だけど、もしまた変なところに行ってしまったらと思うと実行できない。




「お父様ぁ……お母様ぁ……」




 大声を出せば遠吠えの主に気づかれると、子どもながら本能で察していたかもしれない。思えば見つからなかったのは奇跡だ。

 やがて静かになり、移動を開始するも出口など見えるはずがなかった。

 自室にいたから靴なんて履いてない。靴下が擦り切れて、裸足が剥き出しになる。石や枝が刺さって、血が滲む。


「助けて……誰か……」


 もうダメだ、そう思った時だった。遠くに灯りが見える。魔物や悪い人間がいるかもしれない。

 その時の私はそんな可能性なんて考えなかった。ひたすら灯りに向かって走る。

 辿りついたのは丸太で作られた大きな建物だ。ドアを開けて、中を覗く。


「いやぁ! 今日も成果が出ねぇ!」

「それは残念だったわね。冷たいドリンクをどうぞ」

「酒はないか?」

「酔っ払って魔物の餌になりたければいくらでも」


 多くの人達で賑わっていた。そんな中で、テーブル席についた男女にドリンクを提供する女性がいる。耳が尖っていたのが印象的だ。

 ドアを開けたまま呆然としている私を、女性が見つけた。


「あら? まさか子どもがこんなところに……」

「き、気をつけろ! 魔物の類かもしれねぇぞ!」

「だったらすぐわかるわ。この子は人間よ。あなた、どうしたの?」


 要領を得ない私の話だったけど、女性はきちんと理解してくれた。そして私の頭を撫でて、優しく抱く。




「それは怖かったわね……。もう大丈夫よ。ここは冒険者の宿屋といってね。あそこの命知らず達を泊めてあげたりしてる場所なの」

「もっときちんと紹介してくれよ!」

「ここには危険な魔物が徘徊してるんだけどね。あの人達は無謀にも、そんな魔物を討伐して生計を立てているのよ」


「一言多くないか!?」

「事実でしょ」


 私が見上げるほどの大男をからかう女性がかっこよく見えた。確かに言い方は悪いけど、冒険者が女性に本気で怒っている様子がない。

 女性も本気で馬鹿にしてるわけじゃないとわかった。危険な場所なのに、この空間だけが切り取られたように和気藹々としている。

 絶望の最中だったはずなのに、この時は胸の内がポカポカしていた。


「外傷はほとんどないわね。でも念のため……」


 女性が私にかけたのは回復系の魔術だったと思う。擦り傷が消えて、痛みもない。

 後から調べてわかった事だけど、このレベルの回復魔術の使い手なんて世界に何人といない。

 この頃の私がそれを知るわけもなく、女性の優しさが嬉しかった。


「ここでは冒険者の怪我も治せるのよ。どんなに怖くなっても痛くても、生きていればここからやり直せる。だから、あなたも泣かないで」

「うん……」

「まずは栄養をつけましょ」


 女性の料理は屋敷の専属料理人と比べたら味は落ちるかもしれない。味に偏りがあるし、具材も雑多に入ってる。

 だけど不思議とがっついて食べてしまった。


「ここの料理は味付けが濃くていいんだよな」

「疲れた体に対する満足感が高いよ」

「俺達に上品な気取った料理は合わねぇよな」


 なるほど、女性は客層を考えてあえてああいう味付けにしていたのか。子ども心ながら、それがわかった時は感動した。

 私の中で、この場所に対する憧れが本格的に強くなる。この女性は何者なのか。なぜ、こんな商売をしてるのか。

 聞くべき事はあったはずだけど、その後の心地よさがすべてを忘れさせた。

 寝室に案内されて、用意されていたふかふかのベッド。ダイブすると、すぐに瞼が重くなっていった。


「その子、朝になったら帰すんだろ? 俺達が預かるよ」

「悪いわね。そうしてくれると助かるわ」

「なに、いつも助けてもらってるからな」

「本当にね」


 朝になって朝食をご馳走してもらった後、私は冒険者の人達と一緒に森を出た。

 道中、魔物が襲ってきたけどあの人達は魔術も使わずバッサバッサと倒していく。

 身一つで障害を切り開き、生計を立てている姿に感銘を受けたんだ。私の身を心配してくれて、時には背負ってくれた。

 仲間達と笑い合い、苦楽を共にする。あの女性がこの人達に入れ込む気持ちが何となくわかった気がした。


「アリエッタ! よく無事だった!」


 私を送り届けてくれた冒険者達に、お父様とお母様は何度も頭を下げた。相手が侯爵家の娘とあって、冒険者達がかなり萎縮していたのを覚えている。

 冒険者に対して憧れなかったわけじゃない。それ以上に、私はあの女性に憧れた。


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