第1話 寒空の下で

「今日は少し早めの新雪ですね〜雪がわずかに降るでしょう」

 天気予報通り今日は雪が降っていた。

 そんな日、僕が真新しい総合病院の前を通ると一人の女の子が病院の前に佇むのが見えた。

 その女の子は両手を高く空に上げて雪を浴びていた。

 残念ながら僕の方に背を向けていたので顔は見えなかったが、華奢な体つきで綺麗な人、

 という印象だった。僕はその女の子を見てこの寒さでは凍えてしまうのではないかと心配になった。

 彼女は裸足で、着ていたものは寝巻きに薄いストールを羽織っただけの格好だったからだ。

 「あの……大丈夫ですか?」

 僕が彼女に近づき、声をかけると彼女はゆっくりと僕の方を振り返った。

 その瞬間、僕は驚きを隠せなかった。

 振り返った彼女は全身が色白で雪と同化しそうな肌色をしていたからだ。

 「あ……えーっと……誰だっけ?あ!思い出した!河原かわはら君、だよね?」

 「え……」

 目を大きく見開いて問う彼女のことを僕は知らなかったので僕の名前を知っていた彼女に少しばかり驚いた。

 「ほら、同じクラスじゃん?私、あまり学校行ってないけどね」

 「あぁ」

 やっと思い出した。なんか筋骨の手術で学校に全然来ていない女子だ。

 「私、水谷みずたに美雪みゆき。よろしくね」

 彼女が一点の曇りのない笑顔になり、僕は何かくすぐったくなったような感覚を覚えた。

 「河原君、何してるの?」

彼女の素朴な疑問に僕は少し上ずった声で答えた。

「えっと……家に帰る途中でたまたま通りかかったから……」

「そうなんだ〜」

彼女は半分納得したような顔になり、大きく頷いていた。

「君こそ、そんな格好で何してるの?」

僕が彼女の全身を凝視しながらそう言うと彼女はちょっと言いにくそうに言葉を濁した。

「うーん……まぁ、君になら言ってもいいかな……」

彼女が意味深なことを言ったので僕は不思議に思った。

「何のこと……?」

「私ね、実は病気なの」

その瞬間、肌を刺すような風がびゅん、と僕たちを包み込んだ。

「え……」

僕が言葉に窮すと彼女は風になびいた髪を押さえながら少し微笑んだ。

「だから、この病院に入院してるの。私の家はここみたいなものだよ」

彼女はそう言って僕の目を見つめる。

「病気って……え?筋骨の手術じゃないの……?」

「担任にはそう言ってもらってるけど実は嘘なんだよね」

苦笑しながら告げる彼女に僕は恐る恐る尋ねる。

「何の病気……?」

「心臓の病気。虚血性心疾患って言うんだ」

「虚血性心疾患……」

僕がそう虚な目で繰り返すと彼女は少しだけ含み笑いをしてみせた。

「病気のこと誰にも言わないって約束してくれる?」

「……友達は?」

「いないよ。だって学校行ってないもん。高校入ってから始業式しか行ってないし」

「そう……」

「だから裸足でも大丈夫。すぐに戻ればいいから」

「いや、そういう意味じゃなくて。風邪引くよ。雪降ってる日に裸足は危ないよ」

「そうかな〜じゃあ、そろそろ戻ろうかな」

僕がすかさず注意をすると彼女は僕に軽く手を振って軽やかに病院の中へ戻って行った。

僕は彼女の後ろ姿を見送りながら何か複雑な気持ちを抱えていた。


僕の家は総合病院を少し行った先にある。

次の日、僕は学校の帰りに少し彼女に会ってみたくなった。

まるで雪のレースをかけたような病院に僕は身を隠すようにして入る。

僕が辺りを見渡すとカウンターがあったので看護師に彼女の病室番号を聞くことにした。

「あの……水谷さんの病室ってどこですか?」

僕がそうアクリル板越しに聞くと看護師はカルテから目を上げて奥の方を指差した。

「そこの階段を上がって曲がった突き当たりよ、あなた……美雪ちゃんのお友達かしら?」

僕は少し困ったが、こう答えることにした。

「僕は彼女の知り合いです」

そう言った時、看護師が残念そうな顔をしたのをよく覚えている。


「失礼します……」

僕が恐る恐るドアを開けると開け放たれた窓と開放感のある個室が僕の目に飛び込んできた。そして沢山のチューブや点滴、持続陽圧呼吸器などが彼女のベッドの周りを取り囲んでいた。冬の冷たい風が白いカーテンを少し揺らしていた。

「わぁ!君、来てくれたの!?」

彼女が嬉しそうに声を上げる。

「学校帰り?寄ってくれたの?」

彼女が僕の制服を見やりながら尋ねた。

「うん。そうだよ。大丈夫かなって気になって」

「嬉しい〜!私全然大丈夫だし、元気だよ〜」

彼女が元気にガッツポーズをして見せる。

僕は安心して頷くとドアに手をかけて病室を出ようとした。

「え!?君、どこに行くの?」

彼女がびっくりしたように聞いてきたので僕は当たり前のように答えた。

「君の顔を見にきただけだから、もう帰るの」

「え〜!もっとお話ししようよ〜お互いのことまだあまりよく知らないでしょ?」

反強制的に僕は折りたたみ式の椅子を彼女のベッドの横に置き、座った。

「学校とかで新学期、新クラスになった時、自己紹介するでしょ?あれやろうよ!」

「いいけど……」

「じゃあ、名前、誕生日、血液型、趣味、特技、よろしくお願いします、ね。これ、一回やってみたかっただ〜!」

彼女は嬉しそうに笑い声を上げた。

「じゃあ、私からね。水谷美雪です!誕生日は三月三日で、血液型はO型です。趣味は本を読むことで特技は暗記です!よろしくお願いします!」

彼女は僕に向かって大きな声でそう言い、「次、君の番」と促した。

「はいはい。河原裕翔ゆうと。誕生日は二月二十六日。血液型はA。趣味は読書で、特技はない。よろしく」

僕が自己紹介を簡潔にまとめると彼女は膨れっ面をした。

「真面目にやってよ〜私、これが初めての自己紹介なんだからねっ」

彼女が怒ったような口調で言ったので僕はとりあえず謝っておいた。

「ごめん、ごめん」

彼女は口を尖らせながらも嬉しそうに言った。

「なんか嬉しいな。一生、人前で自己紹介できないと思ってたから」

「ふーん」

自己紹介なんて毎回新クラスになる都度に実施するのですごくつまらないし、飽きるものだ。

毎回同じことを繰り返すのが僕の自己紹介になりつつあった。

「ねぇ、そういえば昨日、担任の先生が電話で言ってたんだけど、もうすぐ校外キャンプでしょ?いいなぁ。行きたいな〜」

彼女が心底羨ましそうな顔で僕を見てきた。

「行けないんでしょ」

「うん。でも、バスに乗るくらいまではしたいなって思ってる」

「へぇ」

「あのさ、座席決めの時、私を君の隣にしてよ」

「え……?」

「だって他に知り合いいないし、喋る人いないのつまらないでしょ。お願い!」

彼女が当たり前のように言って退けたので僕は驚いたが、お願いされて断るわけにもいかないので聞き入れてあげることにした。

これが、彼女との最初の会話だった。

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