~卑劣! トランスフェーレ・アルミーアス~

「では良いニュースを伝えよう」


 時間遡行薬の報告書と思われる紙束を足元に置き、学園長は背後からひとつの木箱を取り出した。

 なにやら古めかしい箱であり、まるで遺跡から発掘されたような雰囲気がある。汚れてはいないものの、相当古いものであるのは確かなようだ。

 はてさて。

 転移の腕輪が完成したと思ったのだが……違ったか?


「受け取りたまえ、盗賊クン」


 投げて寄越す、なんてことはせずに学園長は丁寧に箱を差し出した。別に警戒する必要もないので、俺は素直に箱を受け取る。

 見た目通り、かなりの古さを感じさせる木箱で、大きさはパルの顔ぐらいだろうか。何の特徴もないが、どこか温かさを感じる……気がした。

 そこまで重くもないが、軽いとも言い切れない微妙な重さ。学園長が投げなかったところを思うに、相当貴重な箱なのだろう。

 遺跡で発見されたのであれば、中身よりも箱自体に価値が生まれる場合がある。

 もっとも――

 絵本や子ども向けの冒険譚に出てくる『宝箱』なんていう分かりやすい箱は、この世のどこを探しても存在しないが。

 遺跡から発掘された貴重な箱。

 これもその類なのだろうか?


「この箱がどうしたんだ? もしかして罠解除の依頼だろうか」

「なにを寝ぼけたことを言っているんだ、盗賊クン。私は言ったはずだぞ。良いニュースだと」


 あぁ。

 そういえば、そうだった。


「開けたまえ。君が望んだ物がそこには入っている」

「ということは、もう――」


 俺は木箱のフタを閉じていた金具を動かし、ロックを外す。ぎしり、と少しばかり木の擦れる音を立てて、フタは開いた。

 果たして中に入っていた物。

 それは――


「腕輪が……ふたつ?」


 ひとつは俺が装備していた銀の腕輪だ。

 それは、すでに『銀』とは言えないほどに表面に複雑な紋様が刻まれている。それらが表面を全て覆っているので、銀の腕輪ではなく『黒の腕輪』と呼んでもおかしくはない状態だった。

 しかもよくよく見てみれば、黒く見える表面のそれは筋や溝ではなく、全て細かい文字であるのが分かる。いや、ギリギリで文字と認識できる大きさだ。深淵魔法という存在を知らなければ、これを文字と認識できなかったかもしれない。

 つまり、黒く見える表面は、全て恐ろしいほど細かい文字で埋め尽くされていた。


「すごい……!」


 思わず息を飲んでしまうほど、ドワーフたち……いや、人類の最先端技術がこれでもかと刻み込まれた腕輪になっていた。

 なるほど、小人になれるハンマーが必要になる理由が分かった。

 こんなもの、いくら腕利きのドワーフであろうとも、作れるはずがない。なにせ文字を書くのではなく刻んであるのだ。それも呪いの武器を応用した道具で。

 これはもう、人類の最先端技術というよりも。

 ひとつ世代を超えた……次世代技術と言っても過言ではない。


「それじゃぁ……こっちの腕輪は?」


 箱の中には、それとは別にもうひとつ腕輪が入っていた。

 こちらも、先ほどの腕輪より小さいが、表面に紋様のように文字が刻まれている。パルやルビーの装備しているマグに近い物と言えるだろうか。


「な、なんか凄そう」

「芸術品染みてますわね」


 パルとルビーも箱の中を覗き込んで、そんな感想を漏らした。


「学園長。これが――」

「そうだとも。それが、転移の腕輪『トランスフェーレ・アルミーアス』だ」


 トランスフェーレ・アルミーアス。

 恐らく、神々が使っていた旧き言葉だろう。


「申し訳ないが、転移の腕輪の深淵魔法を構築していく上で、最低限の安全性を新たに組み込む必要があった。事故防止だ。それらの対処をしていると、どうしても腕輪ひとつに収めることが出来なくてな。マグを利用してふたつに分離させることになってしまった」


 なるほど、それで腕輪がふたつになっているのか。


「ちなみにその箱だが……たいへん貴重なので返してもらえるかな?」

「あぁ、分かった」


 俺は……少し緊張するように、おっかなびっくりと箱の中からふたつの腕輪を取り出す。

 もちろん触った程度でなにも起こらないが、それでも少しビビってしまった。

 不思議なのは、ふたつの腕輪に温度差を感じたことだろうか。

 転移の腕輪のほうは、ほのかに温かく感じ、転移のマグのほうは冷たかった。

 俺はふたつの腕輪を慎重に持ったまま、学園長に箱を返却する。もちろん、投げ渡すなんていう愚行は起こさない。


「よろしい。そしてなにより重要なことがある。むしろここからが本番だと思ってもらってもいい。ニュースを伝えるだけでいいのなら、呼び出す必要は無いからね。さて、その良いニュースとはもちろん転移の腕輪が完成したことだ。だが、そこで良いニュースの内容は終わっている。それ以上でもそれ以下でもない。ただの報告に過ぎない。さぁ。さぁさぁ。さぁさぁ盗賊クン! ここから先が今日の本題だ! いや、人類種の明日への一歩を踏み出す命題といっても過言ではないだろう。さぁ、偉大なる実験を始めようではないか!」


 学園長はニヤリと笑った。

 まぁ、そうだろうな。

 この銀の腕輪……いや、転移の腕輪に充填されている魔力は俺の物であり、俺にしか馴染まないようになっている。

 成長する武器の製造方法を大元にしているので。

 決して、他人には使うことができない物になってしまっていた。

 だからこそ、完成したとは言い切れない。

 むしろ、この実験をもって――この実験が無事に完了してこそ、完成したと言い切れる。

 ルビーがマグの実験台になったように。

 俺が、その役目を担わなければならない。


「もちろん安全には最大限に考慮する。まずはこれだ」


 学園長は木箱を指差した。


「これは魔力の満ちる不思議な木箱でね。中に入れておく物に魔力を付与してくれる。盗賊クンの魔力を補足する効果を期待して、その箱の中に入れておいた。まぁおまじない程度の付け焼き刃だ。気休め程度でも、やらないよりやるほうがマシだからね。それから、これも渡しておこう」


 学園長がポケットから取り出したのは宝石が付いた指輪。四つとも、無造作に俺に投げ渡してくる。

 多少は空中でバラけるが……難なく受け取り、俺は観察した。指輪に取りつけられている宝石は青と赤がふたつずつ。これといって装飾もなく、特徴の無い指輪だった。


「これは?」

「結婚指輪だ」


 学園長の、少しも面白くもない冗談を本気にしてしまったのか。俺から指輪を奪おうと飛びかかってくる弟子一号と吸血鬼を避けた。

 べちゃり、と地面に転がるふたりの哀れな少女たちを見て、学園長はゲラゲラと笑う。


「あっはっは! 冗談だとも。それは結婚指輪ではなく、魔力を石に蓄積させた良くあるマジックアイテムさ。高位レベル帯の冒険者の魔法職なら必ず装備している一品だよ」

「な、なんだ……良かった」

「冗談が過ぎますわ、ハイ・エルフ」


 こんな形で結婚指輪を渡すはずがないので、もうちょっと冷静でいてもらいたいものだ。

 特にパル。

 ころっと騙されそうで怖い。盗賊だというのに。騙す側であって欲しいというのに。

 でも、そこが可愛い。

 世の中、ままならんものだ。


「転移の腕輪がいったいどれほど魔力を消費するものなのか、それはまだ分かっていない。腕輪に蓄積された魔力で足りるかもしれない。足りないかもしれない。足りない場合は、装備者から補うのか、それとも周囲にただよう空気中の魔力を補填するのか。それとも未知のことが起こるのか。それは誰にも分からないからね。なので、できるだけ盗賊クンの魔力を強くしておく」

「なるほど。では……腕輪を装備するが、いいか?」

「あぁ、なにか危険があれば、危険の兆候でもかまわない。少しでも異変があれば、すぐに装備を解除し、腕輪をその場に置いたまま距離を取ってくれたまえ」


 分かった。と、俺はうなづき、転移の腕輪を左腕に装備する。手を通し、肘を超えたあたりで転移の腕輪はまるで吸い付くように固定された。

 やばいか、と思ったが……それ以上、変化は無かった。


「おぉ」


 いや、腕輪の表面に刻まれた紋様の文字。真っ黒に見えていたそれらの文字に魔力が満ちるように青の光が充填されていく。

 真っ黒に見えていた転移の腕輪が、ゆっくりと深く青い色の腕輪へと変化した。


「素晴らしい! これが……適合者が装備した場合の反応か。私では何も起こらなったのは、魔力が適合しなかったからだろう。盗賊クン、体調に変化は無いかな?」

「あ、あぁ。いまのところ、何も問題はない」


 よろしい、と学園長はうなづいた。


「では先ほど渡した魔力の指輪を装備してくれ。あぁ、両手の人差し指と中指に付けるのかい。薬指にしてくれても良かったのに。いや、特に深い意味はないよ? ただの愛情表現だと思ってくれ。なにせ、この腕輪が完成したら、君に無茶苦茶に犯されても私は笑って許してしまうほど――あ、はい冗談です。パルヴァスくん、そのナイフを下ろしてくれると嬉しい。ルゥブルムくんも怖いから、その金色の瞳で見ないでくれたまえ。私はみんなが思っているほど強くないので」


 どうどうどう、と俺はパルとルビーをなだめた。


「よし、指輪を装備したな。では、最後にもうひとつの腕輪、マグを反対側の腕に装備してくれたまえ。恐らく手首に固定できるはず」


 学園長の言うとおり、マグを右手の手首に付ける。これも吸い付くように手に固定されて、違和感なく馴染んだ。

 転移の腕輪と違って、こちらは黒いままだが、ヒヤリとした冷たい感覚はすぐに無くなった。


「よし。ここから不意に無駄に動かないでくれよ、盗賊クン。転移の腕輪がひとつに収まらなかったことを謝ったが、腕輪とマグに分離させたおかげで副次的にマグをキーにすることができた。つまり、マグが発動の鍵となっている。いいかい、盗賊クン。まだだよ、絶対にまだ動かないでおくれよ。説明を最後まで聞いてくれよ。転移を発動させるには、まず転移の腕輪にマグを触れさせる。それが第一の鍵だ」


 分かった、と俺は慎重に両腕に装備された転移の腕輪と転移のマグを見る。

 青と黒の腕輪。

 二の腕に対して手首に装備しているので、まぁ不意に触れあうことはないだろうが……肩を触ったりする際には注意が必要か。


「第一の鍵。その条件が満たされている間に、転移の巻物と同じく行き先を脳内で設定して欲しい。行き先は転移の巻物と同等で、盗賊クンが行ったことのある場所でしか発動できないと思われる。いきなり魔王城の魔王の目の前、などと言った無茶はできない……と、思うのだが、実験しないと分からない。加えて、転移の巻物で可能となる触れている者を同時に転移させることも可能だろう。可能だが、どれほど魔力が消費されるのかは未知数だ。魔力消費に影響があるのか、それとも消費は一律で無限に人数も物も増やせるのか。それは分からない。全ては実験の後でしか分からない。ここまではいいかな?」


 俺はゆっくりとうなづいた。

 つまり、転移の巻物とそう変わらない条件で使え、あとは実験次第の未知数というわけだ。


「では、最後の鍵だ。マグと同じく始動キーを唱えると効果が発動する。旧き言葉で発動を意味する言葉。アクティヴァーテ。それが二つ目の鍵となる」

「――分かった」


 思わず復唱しそうになるのをこらえて、俺はうなづきながら答えた。


「簡潔にまとめよう」


 学園長が指を立てる。


「ひとつ、転移の腕輪と転移のマグを触れさせる」


 指をふたつ立てた。


「ふたつ、行き先を設定する」


 最後に指を三本立てる。


「みっつ、アクティヴァーテと唱える」


 以上だ。

 と、学園長は説明を終えた。


「なにか質問はあるかな?」

「いや……大丈夫だ」

「よろしい」


 では、と学園長はうなづく。


「早速――実践してみよう」


 緊張感を増すように。

 学園長は宣言した。

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