~卑劣! 真っ白でベトベトして、髪とかに付いたら中々取れないモノ~

 朝――

 正確には、夜明けまであと数秒と迫った朝と夜の狭間の世界で。

 ベッドの下……いや、俺の影からズモモモ、と真っ黒な腕が伸びてきた。まぁ、この時点で俺は眠っていたのだが、その腕が俺を拘束しようとした段階で跳び起きたので気付けたわけだ。


「――ッ!?」


 俺を掴もうと影から伸びる黒い手。大きい手から小さい手まで、俺を拘束しようと伸びてくるが、俺はベッドから跳ねるように跳び退き、天井のすみっこまで非難した。


「――くッ」


 目の前で空を掴む真っ黒な手。

 俺を捕らえる寸前で、窓から差し込んできた太陽光に当たって、紅く燃えるように消失していった。


「……はぁ」


 俺は大きく息を吐きながら天井付近から着地した。

 そいて、諸悪の根源である吸血鬼を見る。


「もう少しでしたのに……残念」


 ルビーにお願いしている朝の不意打ち。

 今日のそれは反則ギリギリの吸血鬼的攻撃だったので、朝から冷や汗をかいてしまった。


「恐ろしい攻撃は勘弁して欲しい」

「あら、この程度で『恐ろしい』なんて。師匠さんも冗談がお上手ですわ」


 なにそれ怖い。

 とりあえず、俺の身に迫った危機は無事に去ったらしい。もしも起きるのが数秒遅れていたらどうなったのか?

 手という手に拘束されて、なんかこう、いろいろやられちゃうんだ。

 たぶん。

 うん。

 考えることすらおぞましい。

 いや、おぞましいで済んだらいいな。

 下手をすればパルが見てる前で、いろいろと大変なことになるかもしれない。

 朝から。

 うん。

 パルに嫌われちゃう。

 恐ろしい。


「次はパル……チッ、時間切れですわ」


 朝日が昇り、窓から差し込んでくる太陽光の角度が変わる。ベッドの上まで届いたそれは、ルビーの能力減退が起こし、半分以上を影の中に沈ませていたルビーの身体を強制的に排出させた。

 どちらかというと、マグ『常闇のヴェール』を装備している副作用に思える。光を克服する代わりに影から追い出されるとは、なんとも言えない代償だ。

 まぁ燃えるよりマシなんだろうけど。

 しかし――

 推測するに、マグの副作用によって能力が減退しているのではなく……もしかしたら、人間に戻っている、と考えられるのではないだろうか。

 伝説や伝承で語られる吸血鬼は、元は人間だった、なんて話は聞いたことがある。

 初めから吸血鬼として生まれたであろうルビーだが、吸血鬼の能力を失えば、それは人間に近い存在だ。

 もっとも――槍で刺されようが死なないみたいだけど。

 人間ではなく死人……リビングデッドというやつかなぁ。


「んふふ。ぐっすり眠っているようですわね、パル」


 なんて思いながらパルに対するルビーの不意打ちを観察していた。

 はてさて。

 俺に対する攻撃は結構ハードだったからなぁ。今日のパルへの不意打ちは、どんなものだろうか。

 ルビーはこっそりとベッドの上を移動し、寝ているパルに顔を近づけている。

 なにをするつもりなんだろう、と思ったら――


「がぶ」


 ルビーはパルの鼻に噛みついた。

 一瞬、キスするのかと思ってドキドキしちゃった。


「へ? みぎゃあああああ!?」


 鼻を噛まれたパルは驚いて叫び声をあげた。

 しかし、まぁ、どんな不意打ちだ、それ。


「あにすんのよ!?」

「鼻の穴に指を突っ込むよりマシでしょう」

「もっと普通の不意打ちにしてよぉ」

「では下のあ――」

「ぶっ殺すぞ吸血鬼!」

「やってみなさいな、小娘」


 きぃきぃきゃぁきゃぁ、と美少女たちが騒いでいる。

 素晴らしい朝だ。

 これほどのしあわせを感じる日々は、もう二度と無いんじゃないか。

 しあわせ過ぎて、なんだか怖い。

 そんなイカれた感情をひとまず置いておいて、いつもの朝の訓練。


「準備運動から」

「は~い」


 パルといっしょに軽く運動する。朝からそれなりに動く訓練をしておけば、本当に寝込みを襲われた時にも対処できるだろう。

 すぐ動ける状態というのを身体に覚えさせる目的でもある。


「いくぞ、パル」

「はい。ほ、はっ、うりゃ」


 軽い攻撃を軽く受け流す訓練。もちろん迷惑にならないように、音を殺しながら。

 汗をかかない程度の、軽い運動だ。

 その間にルビーには朝ごはんを買いに行ってもらった。

 メニューはお任せ。


「ただいま戻りました」

「ふぅ。ありがとうルビー」

「どういたしまして。あら、不意打ちを避けられなかった小娘が転がっていますわね」

「うぐぐ……お、おかえりルビー。あ、あたしのことは、気にしないで……」


 どうしましたの、という視線でルビーが見てくるので俺は肩をすくめながら説明する。


「いつもの回避訓練で、ベッドの足に小指を痛打したようだ。ブーツが無ければ、まだまだ動きは甘い。だが、気持ちは凄く分かるのでそっとしておいてやって欲しい」

「あぁ、なんとなく分かります。牙で噛んだら鉄に当たったようなものですわね」


 逆にそれが分からないんだが……?


「朝ごはん、先に食べますわよ」

「あたしも食べるぅ」


 まぁ、食い意地があるみたいなので大丈夫だろう。

 俺とルビーはテーブルで、パルはベッドで朝食をもそもそと食べた。食べ終えると、身支度を整えて宿を出る。


「いってらっしゃいませ」


 すっかりと顔なじみになってしまった宿の店主に挨拶をして、外に出た。相変わらず騒がしい学園都市。

 今日も白いローブを着た学園生徒たちが実験と称して朝からフル活動していた。

 そんな中をのんびりと中央通りを歩いていく。

 商人たちの馬車や乗り合い馬車が追い抜かしていく中、筋肉研究会の連中が上半身裸でランニングしながらキラキラと輝く汗を流していた。


「マッソーファイ! マッソーファイ!」


 なんだその掛け声。

 って思いながら見てたら、真っ白な歯を見せつけられて笑顔を向けられた。

 怖い。

 不気味だったので、思わず目を反らせてしまった。


「師匠、女の人がいました」

「え、裸だったの?」

「いえ、ちゃんと隠してましたけど。でもおっぱいもムキムキでした」

「凄いな」


 女性の胸とは柔らかそうな物だけど、鍛えればちゃんと筋肉になるんだなぁ。というか、あの筋肉研究会に入門できる精神力を持った女性って何者なんだ?

 あの真っ白な歯で笑顔を向けられて耐えられる精神力がうらやましい。

 筋肉の大きい戦士タイプの男性に憧れを持つ女性というのは聞いたことがあるが。自らも筋肉を鍛え始める女性っていうのは、また別の憧れなんだろうな。

 なんにしても、たぶんきっと、強い。

 肉体的にも。

 精神的にも。

 うん。

 なんて思いながら歩いていくと、学園校舎が近づいてきた。と、同時になにやら人々の好奇の視線が一点を向いている。

 この学園都市で好奇の視線を受けるなど、それはそれで稀有な例だ。

 それこそ昨日のナユタぐらいのもの――


「ははは、はははは! はははははははははは! はははははははははははははははははは!」

「旦那、はえーって! 旦那、だんなぁ! あはは! 加減しろって、旦那ぁ! あははははははは!」


 いや、その本人たちだったわ。

 なにやらちょっとした広間で、仮面商人風サムライのセツナは木製ハンマーを高速で振り下ろしていた。

 その前には、なんか木で作られたような寸胴のような物があり、その前にハーフ・ドラゴンのナユタが中腰で座っている。

 セツナがハンマーを木製寸胴の中に振り下ろすたびにナユタが手を入れて、なにか作業をしている感じだった。

 しかし、その速さが常人のそれを越えている。木製ハンマーと言えどもそこそこの重さがあるはずだが、正確に一定のリズムを保ちつつも高速で振り下ろすのは、なかなかの実力が必要だろう。

 ハンマーを振り下ろす間に手を差し入れるナユタもまた、相当な胆力があると思われた。なにせ、ハンマーで叩かれれば無事では済まない。失敗すれば一撃で指の骨を粉砕されそうな勢いだ。


「よいっせ!」「ほらよ!」「はっは!」「はいよ!」「もいっちょ!」「ほいよ!」「そら!」「おう!」「ははは!」「ははは!」「うはは!」「あはは!」「はははははは!」「あっはっははははは!」


 合図なのか笑い声なのか。

 リズムがいいのか、無茶苦茶なのか。

 もう分からない速さでハンマーと手が交差するように木製寸胴の中に突っ込まれていく。

 信頼感と、なにか良く分からないテンションの勢いで、セツナとナユタは爆笑しながら何かをしていた。


「なんですの、アレ。気でも狂いまして?」


 ルビーの言葉がなにもかもを物語っている。

 どう考えても、どう見ても。

 尋常ではなかった。

 うん。


「新料理研究会だ。あ、クララスさん」


 あまりに異様な光景だったため、そこが新料理研究会がいつも屋台を出している場所と認識できなかったが、良く見れば普通に新料理研究会の看板が出てた。

 キラキラとした瞳のクララスがいて、セツナとナユタを見守っている。スペースを借りてるだけかと思ったが、違うようだ。

 あれ、料理をしている姿なのか?

 無視するわけにもいかないので、クララスに近づいた。

 とりあえず、いろいろなヤバイ情報を抱えてしまって、落ち込んでいる様子はない。元気そうでなによりだが……反転してしまってオカしくなってしまった可能性もあるので、まだなんとも言えない。


「あ、みなさん! おはようございます!」

「おはよう。あ~、クララス。あれはいったい何なんだ?」


 もちろんセツナとナユタがやってるアレ。

 近づいてみても、なにをやっているのかサッパリ分からない。とりあえず、寸胴の中には白い物が入っているのが分かった。

 小麦粉の塊とかだろうか?

 それにしては親の仇のようにハンマーで殴りまくっているのだが?


「モチツキっていう料理方法らしいです。ほら、パルヴァスさんに初めて食べてもらった料理があるじゃないですか。プルティクラです」


 プルティクラ……

 あ~、あの白くて虫の卵みたいな形をしていたり、なんかドロドロで白い白濁液に浸かっていたアレか。


「どうやらあの料理方法は正式な物ではなかったらしく、義の倭の国からやってきた商人さんがちゃんと作ってくださっているのです! まさか蒸した上でハンマーで叩くなんて! この世にはまだまだ知らない調理方法があるんですね!」


 新料理研究会に所属する他メンバーもクララスと同じようなキラキラした瞳でそのモチツキなる料理を見ているのだが……


「はははは、ははははは! ハーハハハハハハハハハハハハ!」


 それ以上にセツナが楽しそうなのは、なんなんだ?


「おはようでござる、エラント殿、パル、ルビー殿」

「うわぁ!?」「ひぃ!?」「ひっ!?」「わひゃぁ!?」


 突然現れたニンジャ娘シュユに、俺たちは驚きの声をあげた。


「ニンジャ、え、ニンジャ!?」


 特にクララスは混乱がおさまらないようで、しきりにニンジャニンジャと声をあげた。


「お、おはようシュユ。あ~、セツナ殿はどうしてあんなにオカ――楽しそうなんだ?」

「はい……そこには悲しい理由があるのです」


 え、悲しい理由なの?

 楽しそうなんだけど?


「倭国では、御餅つきはおめでたい時、特に新年を迎えた時にやる行事でござる。が、そういった行事には参加させてもらえなかったご主人様は、御餅つきをやったことがなかったでござるよ。それは那由多姐さまも同じ。ですので、遠い異国で御餅つきができるなんて、とお二方は昨晩からハシャイでしまって。臼と杵を楽しそうに自作されて、いまこうやって御餅つきを楽しんでおられるでござる。う、うぅ、おいたわしや、ご主人様ぁ」


 なぜか泣くシュユちゃん。

 ちょっと何言っているのか良く分からなかったです。


「できた、できたぞ! お餅だ! 餅を打つことができた!」

「やったなぁ旦那! あたいもまさか合いの手を入れられるなんて、ふぐ、うぅ」

「泣くな那由多! 餅だ、餅なんだ。付きたての餅だぞ! まだ温かい餅だ! やわらかい! モチモチでやわらかくて、熱い!」

「あり、ありがとう旦那。う、うぅ」


 あっちも相当に盛り上がってるし、ナユタちゃんも泣いてるし。

 ちょっと良く分からないです。


「ん!? エラント殿! エラント殿ではないか! 良い所に来た! 餅だ、餅を食べていってくれ! 拙者の付いた餅を是非とも食べていって欲しい!」


 いや、セツナちゃんもちょっと泣いてない?

 しかも『拙者』って言っちゃってるし。

 あんた商人に偽装している時は『私』だっただろうが。

 倭国人にとってのオモチツキってなんなの?

 成人の儀式みたいな話?

 それとも、結婚式とか葬式とか、そういうレベルの祭事?

 ちょっと良く分からないです。


「あ、師匠おいしい! もっちもち! あ、だからおモチ!?」


 いや、パルちゃんも食べるの早すぎない?

 この状況に付いていけるって、やっぱり最近の若者って凄いですね。

 おじさんには理解ができません……


「違うと思うぞパル殿。だがそれでいい! ほれ、須臾! おまえも、おまえも拙者の付いた餅を食べてくれ!」

「はい、ご主人様!」


 うん。

 やっぱり良く分からないです。

 でも、確実に分かることはひとつあります。

 さっき朝ごはん食べたばっかりなのに、良く食べられますねパルちゃん。

 太りますよ?

 太っても可愛いと思うので別にいいですけど……盗賊稼業は厳しいですからね。


「師匠さん美味しいですわよ、これ」


 ルビーも興味深そうにモチなるものを食べていた。

 真っ白でむにょんと伸びる不思議な食べ物だなぁ。


「あ、そうなんだ。じゃ、じゃぁセツナ殿。一口もらえるか?」

「一口と言わず、いっぱい食べてくれ! ははは、はははははははは!」


 まぁ。

 なんにしても。

 楽しそうでいいか。

 悪いことじゃぁないもんな。

 しかし、まぁ……

 セツナ殿たちとはしばらく会わないと思っていたけど。

 もう再会するとは思わなかった。

 あ、お餅は美味しかったです。

 お腹いっぱいになっちゃったけどね!

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