~卑劣! あの頃できなかったことをしてみよう~
盗賊ギルド・ディスペクトゥスを立ち上げてから十年――なんて恐ろしくも簡単に、一言で済ませられるエルフレベルで時間が経過するわけもなく。
普通に次の日。
学園校舎から宿屋に戻った俺は、再び深い眠りに落ちてしまったらしく気が付けば早朝だった。
「……う~ん」
肉体は問題ないが精神が疲弊しているらしい。
周囲に気を配るどころか、夢すらも見ないほど深く眠ってしまった。
さすがに大怪我を負った後というか、ほぼ死んでいたのを無理やり復活したこともあって、精神的負荷は根が深そうだ。
しばらくは安全な場所で眠らないといけないな。
と、思いつつベッドの両脇を見るとパルとルビーもスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていた。
これもまた無理もないか。
パルはもちろんだが、ルビーにも相当な心配をかけてしまった。こうやって三人で安心して眠れているのが、なによりの喜びなのかもしれない。
まぁ、夜に寝て朝に起きる吸血鬼ってなんだよ、という感じではあるが。
「……」
俺はふたりを起こさないようにベッドから起き上がり、静かに床に降りた。
肉体は全盛期のそれそのもの。
やわらかいベッドだろうが布団の上だろうが、振動を完全に殺すことができた。今なら水の中に波紋すら立てずに入れる気がする。
まぁ物理的に不可能だけど。
「ふぅ……」
静かに息を吐く。そのまま段々と呼吸を浅くしていく。
気配をゼロに近づけていった。
無呼吸ではなく、あくまで浅く息を繰り返している状態。動くことができるギリギリの呼吸で、気配を無に近づけた。
その状態で部屋の中をぐるりと一周まわっていく。床の上を盗賊スキル『忍び足』で移動していった。
床と足の間に、まるで空気をクッションにしているように、無音で歩くことができた。そのまま部屋の壁を伝うようにして歩いていく。
ぐるりとまわって、パルとルビーが寝ているベッドまで戻ってくると、静かにベッドの上に登り、パルとルビーを起こさないようにまたぐ。
再びベッドから降りても、ふたりは眠ったままだった。
「……ふむ」
肉体に精神が追いついたのではなく、精神に肉体が追いついた、と表現すべきか。
磨いてきた盗賊スキルの熟練度に身体的な能力がプラスされるようになった。
これならば、眠っている人間を暗殺するのは文字通り『朝飯前』にできる。勇者に気付かれずに勇者パーティを全滅させることだってできるだろう。
魔王を暗殺できればいいのだが……さすがにそこまで望むのは無謀というものだ。
「ふむ……これが限界突破、というやつかな」
レベル99が種族・人間の限界値だったが、レベル100に到達できたようなもの。上手くすれば101にも102にも成れるかもしれない。
「あくまで数字上の話だが」
すくめる肩も軽いので、皮肉めいた笑いが出てくる。
それこそ、自分でおじさんになったと冗談っぽく言っていたが、そのつもりは無かった。同じ年齢の他者と比べたら充分マシなほうだと思っていたのだが。
やはり年を取っていたのは間違いなかったわけで。
少しだけ若返った程度でこの体の軽さなのだ。それを知ってしまった今では、確かに俺はおじさんだったと自覚できた。
失って初めて気づく、なんてことは良く言われるが……
「若返って初めて気づくってのも、おかしな話だなぁ」
まぁ。
だからこそ。
だからこそ勇者に、時間遡行薬を届けないといけない。
この俺でさえ限界突破ができたのだ。
種族の限界値を超えることができそうなんだ。
勇者が――あいつが出来ないわけがない。
勇者が人類最強に成れないはずが、ない。
きっと。
凄く強くなってくれるはずだ。
誰もが憧れる、誰もが心酔してしまうほどに。
おとぎ話や絵本に出てくるような、とても強い勇者に。
なってくれるはず。
安心して魔王を倒してくれる存在になってくれるはずだ。
「うん」
そのために、バックアップしないといけない。
盗賊ギルド・ディスペクトゥスは、勇者支援に特化させる。魔王領にいる勇者を援護する組織が必要不可欠だ。
まずやらないといけないのは、人材確保。
あらゆる支援を、盗賊ギルドを通せば可能となるはずだ。
そのために必要なのは横の繋がりを増やすこと。つまりは地位をあげることだ。それは言ってしまえば成り上がり。
盗賊ギルドの間で、俺の名前を売らないといけない。
「あとは転移のマグもいるだろ……組織運営には金もいるから、定期収入の方法も考えないといけないな」
う~む……
やることが多いな……
人が増えると、それぞれの面倒も見ないといけないだろうし……盗賊という存在を考えると、あまり人格の良さはあてにできんし……
う~ん……面倒になってきたぞ……
「よし」
こういう時は優秀な部下を置いて、俺は実働するに限る。まずは、優秀な管理者を探すとしよう。
それまでは、コツコツと地道にやるか。
とりあえず転移のマグが完成しない限りはどうしようもない。開発してくれている学園長とドワーフに期待するしかない。
「うむ」
今度の方針をボヤっと決めたところで、俺はひとつだけ試したいことがあった。
それは、どうしても無理だった修行方法。
思いついたはいいが、難しすぎて練習にも修行にもならなかった物がひとつある。
今ならそれが出来るんじゃないか。
昨日の内に買っておいた生卵を取り出し、右手に持ったナイフを横向けに持って、刃の腹部分に生卵を乗せた。
少しでも傾ければ卵は転がってしまう。
不安定な楕円形で、同じく不安定なナイフの腹の上に静止させた。
これだけでもかなりの集中力がいる。
だが。
ここからが本番――
「フッ!」
という短い呼吸を吐き、俺は素早くナイフを下げる。腰のあたりでナイフを順手から逆手に持ち直し、再び生卵をナイフの腹に乗せた。
ナイフを戻す腕の勢いが付きすぎると生卵は割れる。勢いを抑えたからといって、単純に乗せようとしたのでは生卵は跳ね上がってしまう。
その加減が出来ても尚、バランスを失したのでは生卵は落ちる。腕を戻すのが遅れれば遅れるほど難易度は上がる。 かといって急げば勢いが付きすぎて割れてしまう。
そんなジレンマだらけの修行方法。
当時は出来なかったのだが――
「……できた」
まるで空中に固定されたように、生卵を寸分に落とすことなくナイフの持つ手を順手から逆手へ入れ替えることができた。
もう一度――今度は逆手から順手へ!
「フッ!」
成功!
やった、やったぞ!
できるようになってる!
「はは――あっ」
と、調子に乗ったのがいけなかった。
生卵がポーンと跳ね上がってしまった。ナイフで割れなかったが、その後の勢いを殺せなかったらしい。
天井にコツンと当たってヒビが入り、そのまま落ちてきた。
手でキャッチしても割れそうだ。
「パル」
「はい!」
さすがに気配を消し続けることは不可能であり、殺気にも似た気配が部屋の中に広がってしまったのだろう。
パルが起きてしまったのを知覚していた。
俺の意図を察した愛すべき弟子は床の上に滑り込むように移動してきて、あ~んと口を開ける。
というわけで、落ちてきた卵の殻をナイフで切断し、殻だけを指で回収した。あとは割れた黄身がパルの口へと落ちていく。
「……むにゅむにゅ。んぐ。ごちそうさまでした」
「助かったよ、パル。おはよう」
「おはようございます師匠。朝ごはんはスクランブルエッグが食べたいです」
生卵が朝食じゃぁ、ちょっと悲しいし。
美味しい卵料理屋さんでも探してみるか。
「ん?」
ルビーも目覚めたようだ……と、思ったら物凄く嫌そうな表情でパルを見ていた。
「よ、よく生のタマゴなんて食べられますわね」
「美味しい、とは言い切れないけど、美味しいよ?」
「いえ、タマゴってアレじゃないですか。出てくる場所」
ルビーの言わんとしていることが分かった。
「ちゃんと洗浄してあるから大丈夫だぞ、ルビー」
「いえ、でも、イメージが……う~ん?」
朝からルビーは腕を組んで考え込んでしまった。
「師匠、タマゴって普通に生まれるんじゃないんですか? 鳥さんが産むと思ってたんですけど、違うの?」
「いや、合ってる。でもタマゴを産む特別な穴があるわけじゃない」
「はぁ……口から? そんなわけないですよね。じゃぁ、おしり」
「それだ」
「ほへ~。おしりってタマゴが入るんだ」
「え、そっち?」
「え?」
まぁ、なんにしても。
パルは平気そうなので、問題はないか。
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