首刎ね騎士の求婚理由

瀬尾優梨

1  はじまりの日

『おい、おまえ。なんだその目は。鬱陶しい』


 彼の第一声を聞いたときは、なんだこの無礼な男は、と腹が立った。


『……昨日は、すまなかった。カミラ様の部下とは知らなかった。いきなり無礼な物言いをしたこと、お詫びする』


 翌日に真面目な顔で謝ってきたときには、拍子抜けしてしまった。

 それからは少しずつ彼と接点を持つようになり、色々な話をした。


 彼は、エンフィールドの北東に位置するリュドミラ王国の騎士だった。

 リュドミラは一年中寒くて、乾燥しているという。どんな場所なのだろうか、と呟くと、隣に座っていた彼はほんのり微笑んだ。


『リュドミラがどんな場所か、気になるか? それならこの戦いが終わった後、遊びに来てくれ。おまえが来るのなら、歓迎しよう』


 彼としては何てことのない会話の一部だったのだろうが、それを聞いて思わずどきっとしてしまった。


 自分にとっては思わずときめいてしまうような台詞だったが、彼にとってはたわいもない雑談にすぎないだろう。きっとこんな会話をしたことも、すぐに忘れてしまうはず。


 だが、柔らかい風に灰色の髪を靡かせて笑う彼の顔と優しい声音は忘れがたく、三年経った今も、エレンの心の中で大切な思い出として残っていた。













 緑豊かな国、エンフィールド。

 かつてこの国を治めていた王は傲慢で、民から巻き上げた血税を湯水のように使い、暴虐の限りを尽くしていた。


 その煽りは近隣諸国も受けており、各国の王はエンフィールド王の悪政に眉をひそめつつも、広大な領土と優れた戦力、そして鍛えられた魔道士の軍を抱えるエンフィールドにはなかなか刃向かえずにいた。


 そんな現状を打破すべく立ち上がったのは、流浪の王女マリーアンナ。国王の姪である彼女は幼少期に両親を殺されて各地をさすらいながら、復讐のときを狙っていた。


 そうして彼女はついに革命軍を立ち上げ、エンフィールドに夜明けを迎えさせるべく、王国軍との戦いに身を投じた。

 王女マリーアンナはカリスマ性に富んだ女戦士で弁舌も巧みで、各国の王も彼女に手を貸した。


 そうして悪の王を討った彼女は自らがエンフィールド王族であることを証明し、王座に就いた。最初の頃は旧王国軍と呼ばれる派閥が暴れたものの、これらを蹴散らしてマリーアンナは女王としての地位を確立させた。


 マリーアンナは自らが叔父の首を落とすことで王座をもぎ取ったことで有名だが、弱き者には愛情深く接し、味方する者には全幅の信頼を置く。


 そういうことで彼女の即位後三年経った今も、国内で派手な内乱が起こることはなく、女王マリーアンナ・アナスタージア・アディンセルの名は大陸中に轟くまでになったのだった。









「お聞きなさい、エレン。カミラの結婚が決まったのよ」


 女王の言葉に、エレンは顔を上げる。

 今朝、出仕するなり城仕えのメイドに「女王陛下がお呼びです」と言われたときには、一体何事かと思った。だがおずおずと執務室に現れたエレンを迎えた女王はとても機嫌がよさそうで、緑の目は無垢な少女のように輝いていた。


 メイドが淹れた茶から向かいに座る女王の顔へと視線を動かしたエレンは、こくっと唾を呑んだ。


「カミラ様の……ですか」

「驚いた?」

「……カミラ様はまだ御歳十五なので、少し驚きはございますが……嬉しく思います。おめでとうございます」

「ふふ、ありがとう」


 可愛らしく笑う今の女王だけを見て、彼女がかつて戦場で血路を開いた優秀な女戦士であると見抜く者はほとんどいないだろう。


 女王・マリーアンナの母は暗君で知られた先代国王の姉で、アディンセル公爵家に降嫁した。そうしてマリーアンナが生まれたのだが、姉一家を疎ましく思う先代国王の企てによりアディンセル公爵家はありもせぬ罪を着せられ、マリーアンナの

両親は処刑された。


 王家の血を引くマリーアンナも殺されそうになったが、彼女は一部の使用人に連れられて辛くも生き延びることができた。


 そうしてマリーアンナは地方で暮らしながら、いつか両親の仇を討って叔父から王位を奪うのだと志した。

 一方で彼女は自分の家庭教師の息子だった男と結婚して子を生み、家庭を築くことにもなった。マリーアンナの長子が、王女カミラである。


「カミラはリュドミラ王太子の妃として嫁ぐことになったから、あなたにもそのお供を頼むつもりなの。この結婚はリュドミラ側からの申し出だけれど……断る理由はないと思っているわ」


 女王の言葉に、エレンは頷いた。


 リュドミラはエンフィールドの北東に存在する小国で、かの革命――今では、エンフィールド王位継承革命と呼ばれる――において、マリーアンナたち革命軍に支援をしてくれた国の一つだった。


 他国は資金や軍事品の提供が主だった中、リュドミラはなんと国王の甥にあたる若きカヴェーリン公が援軍を率いて革命軍に加わってくれたのだ。元王族の出陣ということで、当然革命軍もリュドミラ王家に注目した。


 そんな恩のあるリュドミラ王国だが、冬の寒さが厳しくて資源にも乏しく、他国と強力な繋がりがあるわけでもない。

 だから、王太子の妃としてマリーアンナの長女であるカミラを望み、国同士の繋がりを強化させようというリュドミラ王の気持ちはエレンにも分かったし、マリーアンナがその申し出を断るはずもないことも納得がいった。


 エレンは頷く。


「では私は、カミラ様のお抱え魔法薬師として随行すればよろしいのですね」

「ええ、あの子はテレンスに似て優秀な魔道士だけれど、やっぱり体調には不安があるから。それに、あの子はあなたのことをとても慕っているわ。不慣れな地に行くことになるけれど、エレンがいるなら大丈夫だと、あの子も言っていたの」

「光栄です」


 女王に言われ、エレンは面はゆい気持ちになった。


 魔法薬師はその名の通り、魔力の込められた薬を作るのが仕事だ。主にエレンのように魔道士の素質はあってもいまいち実力を伸ばせなかった者が就く職業で、地味でぱっとしない印象だ。

 だが自分が作った薬で多くの人を助けられるということにはとてもやりがいがあるし、なによりカミラが頼ってくれるのが嬉しい。


 カミラは魔道士の素質に恵まれているが、生まれつき魔力が安定しなくて体調を崩すことが多く、エレンは彼女のお抱え魔法薬師として薬を処方してきた。女王がカミラの嫁入りのことを一足早く教えてくれたのも、カミラの体調管理係であるエレンだからこそ知っておくべきだからと判断したからだろう。


「これからカミラの方からも話があるでしょう。……ちなみに、エレン。あなた、結婚を考えている相手とかはいないの?」


 女王に問われ、エレンはくすりと笑って手を振った。


「幸運なことに、思いを寄せる相手も寄せてくれる相手もおりません。ですので、とても気持ちよくリュドミラに赴くことができます」


 エレンのこれまでの人生、十九年。

 なかなか波乱に満ちた日々を送ってきたこともあり、また王女のお抱え魔法薬師という堅い職に就いていることもあり――そしてそれ以上にエレンに魅力がないこともあり、これまで恋愛とは縁の遠い生活をしてきた。


 下ろせば背中まで長さのある艶やかな黒髪と濃い紫の目は母親譲りで、肌は健康的な色をしている。革命軍として活動していたこともあり、体付きはしっかりしているし背も高い方。容姿はごくごく普通で、礼儀作法も身につけてはいるが元々の性格はおおざっぱで、我ながらかわいげがないと思っている。


 つまり、異性にモテる要素がないのだ。エレンの立場を狙った者が寄ってくることはあるがエレンの方から丁重にお断りしているので、甘い関係になった相手は一人もいない。


 だから、カミラのお供としてリュドミラに渡っても何の問題もない。エレンに両親はおらず、継がなければならない家などもないのだから。


 エレンは少しだけ微妙な表情をした女王に微笑みかけ、胸に手を当てた。


「カミラ様のお付きとしての任務、承ります。エレン・オールディス、陛下より賜った職を全うすべく、リュドミラに参ります」

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