第五話(04)


 * * *


 ロミウの隣人の家を飛び出したその足で、デューゴはまっすぐに宿屋へと帰ってきた。あのリェッタの手紙を握りしめたまま。部屋まで戻ってくれば、溜息をついて椅子に腰を下ろし、その手紙をしばらく見つめていた。

 返事を書いてほしい、と言われた。

 ロミウが死んでいることを知られないために。リェッタを落ち込ませないために。

 ――あのリェッタの顔が、瞼の裏に焼きついて離れない。

 ……長いこと、デューゴは手紙を前に、机で頬杖をついていた。ちらりとエピを見れば、もう一つの机の方で、何か手記を綴っている。先程のことを書いているのだろうか。その手記を見れば、いままで書いてきたであろうページの量は多い。半分以上、すでに記録を綴っているらしかった。

 手紙。届けるのも、旅人の役目。思いを運ぶのも、旅人の役目。

 手紙が渡せないなんて。

 ――初めての手紙だったのだ。

 けれども。

 ――確かにあの男が言ったとおり、返事を書くことは、できる。

 その上、いままでそうしてきたとも言っていたし。

 だが。それは。

「……」

 手紙の破れ目からは、中身が見える。折り畳まれて何が綴られているのかわからないものの、少し引っ張れば、見えてしまうであろう、リェッタの想い。

 ――この想いに答えられる人物は、もういない。

 しかし。

 ……デューゴはついに、その中身へ手を伸ばした。指で摘んで、だがそこまで来て、引き出すことはできなくて。

 悩んだ果てに。

「――なあ、お前なら、どうする?」

 顔を上げて、エピへと尋ねた。

 エピはしばらくの間、手記から顔を上げなかった。ペンを手放そうとしなかった。けれども尋ねられた瞬間、ぴたりとその筆が止まり、それでもさらさらと何か書き続けたかと思えば、ようやく顔を上げてくれた。

「デューゴくんはどうしたいの?」

 逆に聞き返された。

 どうしたらいいのかわからないから、尋ねたというのに。

 思わずデューゴは顔を顰めた。だがつと、破れた手紙と、向かい合う。

 ――自分は。

「……悪いことしたなって、思ってるんだ」

 手紙をこんな姿にして。性格の悪いことに、ロミウがいないと知ってほっとしたことにも対して。

 だから、もし、リェッタが返事を待っているというのなら。

「――でも、嘘になっちゃうよ?」

 と、その思考を遮るように、エピは声を上げた。

「確かにリェッタさん、かわいそうだけど……嘘を吐くのも、かわいそうだと思うよ」

「……じゃあお前は、書くなって言うんだな?」

「ちょっと違うよ。『僕なら書かない』って言ってるの……僕なら、もうその手紙のことは忘れる。だって、受け取ってくれる人がいないんだもの。だから……捨てちゃう。変に持ったまま、どこかで死んじゃうのも、そのあと手紙がどうなるかわからないし……」

 エピは手記を閉じれば、火のついていない星油ランタンへと手を伸ばした。手入れを始める。まだこの街を旅立つには、日数があるものの、次の旅のために。

「……僕も何度か、手紙を届けられなかったことはあるよ。だからといって、どうにかしようとするのはね、大変なんだよ。デューゴくん、手紙って気持ちだから、重いものなんだよ。いつまでも背負うには重いんだ……だから、僕なら、捨てちゃう」

「……結構ひどい奴だな、お前」

 思わずデューゴはそう言ってしまった。するとエピは、笑いもせずに、

「旅をするって、そういうことなんだと思う」

 そう言われてしまえば、デューゴはもう、何も言えなかった。

 机の上にある、エピの手記。彼は、間違いなく長いこと旅をしているのだから。

 ……しかし彼は彼で、自分は自分だ。

 深く溜息を吐く。そうですか、とは、簡単に言えない。

「でも、その手紙は僕じゃなくて、デューゴくんに託されたものだからね」

 そこでエピは、わずかに微笑んだ。

「デューゴくんが自分で考えたらいいと思うよ。僕はああ言ったけど、君は僕じゃないんだから」

 結局、自分だけで、決着をつけるしかないようだ。

 また改めて、デューゴは手紙と向き合う。エピはといえば、ランタンの手入れに集中しはじめていた。

 手紙を見つめれば見つめるほど、リェッタの顔が思い浮かぶ。

 手紙を預かった責任。気持ちを預かった責任。

 どうしたいかと言えば。

 ――誰かを、喜ばせたかった。

 ――誰かの役に、立ちたかった。

 ……それならば。

 ――破れた手紙を、封筒から、抜き取る。

 まだ開かない。中身は見えない。想いは見えない。

 ロミウにあてた想い。けれどもロミウはもういない。死んだ。

 それでも返事を待つリェッタのために。

 ロミウは死んだのだから。届けてくれと言われた相手は、いないのだから。

 いないのだから――。

 その時だった。

「……ああ、そうか」

 思わず、デューゴは言葉を漏らした。それはエピにも聞こえていない声だった。

 ――届けてくれと、言われたのだった。

 我に返る。この想いを、ロミウに届けてくれと、頼まれたのだった。

 ……難しく考えすぎていた。

「――ちょっと行ってくる!」

 もやもやしていた頭の中が、一気に晴れたような気がした。その勢いに押されるように、デューゴは手紙を手に立ち上がったかと思えば、部屋を飛び出した。エピが驚いたように顔を上げるものの、デューゴは急ぎ足で、部屋を出ていく。

 もしここでロミウの代わりに返事を書いたとしても。

 ――死んだロミウは、悲しむかもしれない。

 しかし思いついたのだ。

 ――きっと、二人の想いを繋ぐことができる、方法を。

 そして思い出したのだ。

 ――一体自分が、何を頼まれたのか。

「――ああ、宿屋のおっさん!  ちょっと!」

 玄関まで走って、デューゴはそこで宿屋の主の姿を捉えた。声をかければ、彼は驚いたように振り返ったが、デューゴは構わず続けた。

「どこにあるか、聞きたい場所があるんだ――」


 * * *


 星油ランタンの手入れを終えたエピは、再び手記に向かっていた。ペンを滑らせる。文字を綴る。けれども時折窓の外を見つめる。もう夜になっていた。外の星油ランタンの街灯は黄色に染まっている。

 部屋を飛び出したデューゴは、まだ戻ってきていなかった。そのことを考えて、また一文を、手記に綴る。

 少し不安に思っていた。だが。

 ――ばたん、と音がした。扉の閉まる音。

「……あ、デューゴくん」

 エピが振り返れば、扉の前に、デューゴがいた。

「どうしたの、急に飛び出したから、びっくりしちゃったよ……帰ってくるのも、遅かったし」

 安心にエピは表情を和らげたものの、ふと、真顔に戻る。

 デューゴを見れば、その手には何もなかった。

 あの破いてしまった手紙を持って、飛び出したにもかかわらず。

「……手紙は、どうしたの?」

 尋ねれば――デューゴは笑った。

「墓に置いてきた」

「……墓?」

 一瞬、何を言われているのかわからなくて、エピは首を傾げてしまった。

 けれども。

「――ああ、そっか」

 ――デューゴは。

 頼み事を、無事にやり遂げたのだ。

「ロミウさんのお墓に、置いてきたんだね?」

「ああ……多分それが、本当にやるべき事だと思ってな」

 デューゴはベッドへと腰を下ろせば、また笑った。

「これが、本来頼まれた事だったんだ。深く考えすぎてた……俺のやることは、手紙を届けること。そうだろ? これが……多分リェッタも、それにロミウも納得する方法だ……」

 だがデューゴはふと表情を曇らせた。

「……もしかすると、これからもリェッタはロミウに手紙を出すかもしれないけどな。それで他の旅人は返事を書いて……リェッタはこのまま、ロミウが死んでることを知らないままかもしれない……だから、俺が教えるべきだったのかもしれない」

 それでも、デューゴは。

「でも……悪いけど、俺にはそんなことできないし……まあ、世の中、知らない方がいいこともある。多分これは、その一つ……だと信じたい」

「そう、かもね」

 エピもただ曖昧に微笑んだ。だが。

「……でも、君はちゃんとロミウさんへの手紙を、ロミウさんに届けたんだね。きっと、リェッタさんの想いは、ロミウさんに届いてるよ! 君が返事を書いちゃうと……ロミウさんは手紙を読めなかったからね」

 きっと、想いは届いただろう。

 エピは深く溜息を吐いて、手記を閉じた。

 ――どうなるかと、思っていたけれども。

 デューゴを見据える。

 やがて、エピは椅子から立ち上がった。

「デューゴくん、さっき宿屋の人が来てね、もう夕食、できてるんだって。僕、もう少し君が帰ってくるの遅かったら、一人でいこうかと思ってたんだ」

「ん? なんだ、待たせて悪かったな、一人で行っても、よかったのに」

「君があの手紙をどうするのか、気になってね……じゃあ、一緒に食堂行こう、冷めちゃう前に、食べに行こう」

 そうして二人は部屋を出ていった。

 この場所に、もうリェッタの想いはない。


【第五話 恋文の行方 終】

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