第二話 夜の海を泳ぐ ~エピの物語~

第二話(01)

 星、というのはこの星油ランタンと似た輝きで、大昔には空にたくさんあって、夜、月と共に地上を照らしていたという。ずっと高いところにあって、それでも輝いて見えるなんて、昔の世界の星はこのランタンよりもずっと大きく、強い光を放っていたということだろう。きっと、暗闇なんて忘れるくらい。

 光は素晴らしいものだと思う。けれども、そう考えると僕は、星に近づきたいとは思えなくなった。それほどまでに強烈な光を間近で見てしまうと、多分目が潰れてしまうからだ。遠くから見るだけでいい。

 考えてみれば、何も見えなくなってしまうなら、光も暗闇もあんまり変わりがないのかもしれない。暗闇の反対は光。暗いときは光で照らす。眩しすぎるときは光を消して少し暗くする。どちらが良いか悪いか、ではないのだと思う。水の温度に似ている気がする。寒いときはお湯がいい。暑いときは冷水。けれども、熱湯だと火傷するし、あまりにも冷たい水だと凍ってしまう。そういうことなのだろう。


【エピの手記より】


 * * *


 旅の最中、あまり恐怖は感じない。

 だが旅をしている中で、この時が、一番怖いと感じている時かもしれない。

 何もない、暗闇の荒野。エピは星油ランタンを手に、先を進む。

 街を離れて暗闇へ歩いていく際は、ほとんど恐怖を感じないのだ。振り向けば、光があるから。願えば戻れる。だから怖くない。

 しかし、いま――到着の時は違う。

 予定通り進めていれば、先に光が見えてくるはずだ。次の街だ。けれども道を間違えていれば、何も見えてこない。それはつまり、迷子になってしまった、ということ。この何もない暗闇の中で、死に近づいたということだ。そのまま街を見つけられなければ、暗闇の中で果てるしかないのだから。

 ランタンの光は、健気に暗闇を照らしている。かつて空に輝いていた、太陽と月、そして星が溶けて合わさった光。少し黄色がかってきている、夜が近づいてきている証拠だ。

 そろそろだろうか。心なしか、歩みが少しだけ早くなる。そろそろのはずだ。計算では、夜になる前に、街に到着するはずなのだ。だからもうじき光が見えてくるはずなのだ。

 でも、見えてこなかったら?

 そう思ってしまうと、顔を伏せたくなるのだ。怖いものは、見ないに限る。

 けれどもエピは前を見続けた。しっかりと、歩んでいく。顔を伏せてしまえば、目の前の小さな光を見逃してしまうかもしれない。だから立ち向かうかのように、進んでいく。

 と、その時だった。先に小さな光が見えてきたのは。

 思わず立ち止まって眺めた。確かに輝いている光。それは大昔にあったという星を彷彿させる。けれどもあれは星ではない。街だ。

 ようやく見えてきたその光へと、歩き出す。見失わないように、見つめながら。


 * * *


 小さな街だった。あまり旅人が来ないらしく、そのためエピが珍しいようで、人々に驚かれた。通りを歩いていると「知らない人……もしかして旅人か!」「旅人なんて、いつ振りかしら」と囁かれ、偵察するように遠くからこちらを伺っている子供達の目には、好奇心と羨望、それから少し恐怖した様子が見えた。あの暗闇を歩いてきたのだから、仕方ないと思う。ちらりと子供達の方を見れば、彼らは慌てて隠れてしまった。それでも、また頭を出してきたかと思えば、じっとこちらを見つめているのだ。

 それよりも。ランタンの光がより黄色くなっている。火の明かりに混じって、街の所々にある星油ランタンの光も黄色に近い。もうじき夜だ。宿屋を探さなければ。どんな街でも、宿屋は必ずあるはずだ。

「あの、すみません」

 家の前を箒で掃いていた町人に声をかける。中年の女性。声をかけられ顔を上げると、彼女はまず不思議そうな表情を浮かべて、ぱっと笑った。

「あら……もしかして、あなた、旅人さん? いやぁ、久しぶりねぇ、この街に旅人さんが来るなんて」

「宿屋を探しているんですが、どこにあるんですか? 教えてもらいたいんですが……」

 そう尋ねると、中年の女性ははっとしたように、

「それなら、さっきセナティがここを通ったわ……ほら、あの子!」

 通りを歩いていく、一つの人影を指さした。女の子だろうか。「セナティ! セナティってば!」と中年の女性が声を大きくあげると、彼女は振り返り、手招きされると、こちらへとやって来る。

「どうしたんですか?」

 セナティと呼ばれた、エピと同じ年頃の少女は、大きな紙袋を抱えていた。野菜やパンが入っている、買い物の途中だったのだろう。彼女はエピに気付くと、

「あっ! 旅人さんですか……? この街に誰かが来るなんて、久しぶりですね!」

 にっこりと、笑いかけてくる。中年の女性が「宿屋を探してるんだって」と説明すると、彼女はさらに笑った。優しい笑みだった。

「いまちょうど帰るところでしたから、一緒に行きましょう! 私はセナティ、お父さんと一緒に、宿屋をやっているの」

「エピです、それじゃあ、よろしくお願いします」

 そうしてセナティを引き止めてくれた女性に礼を言うと、エピはセナティと共に宿屋へと向かっていった。

 宿屋は少し離れた場所にあった。セナティに続いて中へ入ると、そこにいたセナティの父親、宿屋の主に驚かれた。話によると、この街には本当に旅人が来ないそうだ。

 宿屋の二階にある一室をエピは借り、今日はもう休むことにした。持ってきたものの交換、次の旅に必要なものの仕入れは、また明日に。セナティが作ってくれた夕食を済ませば、すっかり夜の時間になっていた。

 借りた部屋に戻って窓の外を見れば、街の灯りが美しかった。安心する。いつもの暗闇ではないから。

 多くの光が、白、あるいは赤みがかっている。星油ランタンの光ではない。普通の街灯のランタンだ。火の色。それに混じって、所々に星油ランタンの光が見える――火のランタンが点いているのは、このおかげだ。街には星油ランタンはもちろん、その燃料となる『星油の泉』もある。ここは星油の力に満ちているのだ。

 テーブルに置いてあった自分のランタンに手を伸ばす。旅の最中はずっと火を灯しているが、光溢れる街にいるいまは必要なく、火を消してある。

 ランタンの手入れをするのは、このタイミングだ。綺麗に拭き点検する。隅々までチェックを終えると、エピはもう寝ることにした。いつもは固い地面の上に布を敷いて眠るが、今日は柔らかいベッドの上だ。潜り込むと、その心地よさに、すぐに寝入ってしまった。

 ――しかし、目覚めると。

 手入れを終えて、テーブルの上に置いておいた星油ランタンが、なくなっていたのだ。

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