第一話(03)

 * * *


『昔、ある人の手記に「暗闇は怖いが、進まなくてはいけない」と書いてあったが、いまではその気持ちがよくわかる。俺も、いま、旅で初めての夜を過ごそうとしている。星油ランタンの調子もいいし、焚き火もしっかり起こした。これで『暗闇』に呑まれることは、ないと思う。

 さて、何からどう書きはじめたらいいのだろうか。様々な人の手記を読んできたが、皆どう書いていたのか、思い出せない。

 まずは、やはり、旅の目的についてか。

 旅をする目的は、人それぞれだ。街から街への連絡のため。住む場所を求めて。特産品を売って利益を得るため。そして、人を探して。

 俺は妹を探している。名前はジュディリア。生きていれば、十五歳くらいになっているはずだ。

 妙な話かもしれないが、数日前まで、俺は自分に妹がいるなんて知らなかった。いや忘れていたと言うべきか。母親から妹の話をされたとき、ふと幼い女の子の姿を思い出したのだから。まだ上手に話すことができないけれども、人形を抱えてご機嫌に笑う妹の姿が。

 数日前まで、俺にはもう、母親しか家族がいないと思っていた。父親は俺が幼い頃に亡くなったし、妹の話もいままで一度もされなかった。けれども、一昨日、母親がついに話してくれた。

 一昨日、母親が亡くなった。流行病に倒れて、そのまま弱っていき、息を引き取った。医者からは、手を尽くしたがダメだと言われた。母親は心配そうに俺を見ていた、俺の方こそ、心配だったのに。でも、その時ようやく、母親は妹について話してくれたのだ。俺には、三つ歳の離れた妹がいる、と。

 妹は、父親が事故死した少し後に生まれたらしい。最初の内は、一緒に暮らしていたという。でも、それも妹が二歳ぐらいになるまで。何故いなくなったかというと、母親の妹、つまり俺と妹の叔母が、連れ去ってしまったから。

 母親の話によると、叔母は妹を連れ去る少し前、自分の娘を亡くしたのだという。叔母は結婚したものの、夫は浮気癖がひどく、ある日いなくなってしまったそうだ。恐らく、叔母に飽きて近くの街へ逃げたのだろう。そして産まれた娘は身体が小さく、病弱だったらしい。なんとか一歳まで生きられたが、二歳を迎える前に亡くなってしまったそうだ。

 夫に捨てられ、一人大切に育ててきた娘も亡くして、叔母は辛かったのだろう。そして恵まれた俺達の母親が羨ましく、妹を自身の娘と重ねたのだろう。だから妹をさらった。

 母親が気付いた時には、もう遅かったという。叔母はなんと、まだ幼い妹を連れて、街から出て行ってしまったのだ。あの暗闇の中へ。どこへ行ったかは、誰も知らなかった。そうして、妹はいなくなってしまった。

 話を聞いて俺はもちろん怒った。どうしていままで教えてくれなかったのだ、と。俺はひどく悔しかった。でも母親は、俺までいなくなるのが怖かったのだという。妹の話をしたならば、俺は間違いなく街から出て探しに行くだろう。そう考えたために、母親はいまのいままで黙っていたのだ。街の外は危険だし、妹と叔母がどこへ行ったのか、そもそも生きているのかわからない。そんな無謀なことはしてほしくない、と。母親は、叔母が妹を連れて街から出て行ったと悟った時、二人が死んだと思うことにしたのだ。事実、街の外は暗闇。危険で溢れている。

 でも、俺にそのことを黙ってこの世を去るのは、耐えられなかったらしい。

 全てを話した後に、母親は亡くなった。そして俺は一人残された。けれども「妹がいる」と聞いて、じっとしていられる俺ではなかったんだ。まだこの世界のどこかに、家族がいる。そう思うと、会いに行かないと、と思ったんだ。

 母親が思った通り、確かに無謀だ。どこに行ったかわからない妹と叔母を探すなんて。外は暗闇、危険は多い。その上、二人が出て行ったのは何年も前だ。いまさら、手がかりなんてどこにもない。

 それでも俺は、旅立とうと思ったのだ。確かにこの街に思い出はある。友達もいるし、何より安全だ。だが、じっとしていられなかったのだ。

 ひとまずは、一番近い隣町に行くつもりだ。俺も無茶なことをするなと思うけれども、馬鹿じゃない。叔母に旅をした経験はないと聞いた。それでも、街の外へ妹を連れて行ってしまったと。ならば、最初に遠くの街へ向かうようなことはしないと思う。

 隣町までは、順調にいけば三日で到着する。何年も前だけれども、何か情報が得られたならば。あるいは、そこで二人が暮らしていたならば。しかし、隣町に二人はいない気がする。いたならば、噂がこの街に流れてくるだろうから。

 長い旅になるかもしれない。覚悟はできている。

 ザッド』


 * * *


 ――ザッド。

 その名前を、エピは指でなぞった。この手記の持ち主、そして傍らに横たわっている骨は、ザッドという名前らしい。日付も記されている、見たところ、この文が記されたのは、つまり彼が旅に出たのは、何年も前のことらしい。

 次のページを読む前に、手記をぱらぱらとめくってざっと見ると、その後の旅の様子が綴られていた。まめにつけているわけではなかったらしいが、何ページにも渡っている。これが意味するのは、彼が何事もなく旅を続けられていた、ということだ。そして、妹が見つからない、ということも意味しているのだろう。

 エピは自身のリュックの中を探り、携帯食料を取り出した。もう夜だ、早く食事を済ませて、眠らなければ。睡眠不足はよくない。しかし、不吉な予感がして、いま手記を読まなければ、と思わずにはいられなかったのだ――妹を探しに旅を始めた人間が、ここで骨になっている。つまり。

 続きを読み始める。どうやらザッドは、隣町で奇跡的に叔母と妹の手がかりを掴んだようだった。

『驚いたことに、宿屋の店主が二人のことを憶えていたのだ。幼い子供を連れていたから、記憶していたらしい。言われてみれば、確かに幼い子供を連れた旅人なんて、目立つに決まっている。これは思っていたより、情報が得られるかもしれない。』

 二人が向かった先もわかったらしく、ザッドは次の町へと旅立っていった。そうやって、二人の足取りを追いかけていく。けれども二人に会うことはできない。どうやら二人は、どこかの街に定住しようとはせず、まるで逃げるかのように次の街へ、また次の街へ、と旅をしているようだった。

『もしかすると、妹をさらった罪悪感から逃げようとしているのかもしれない。そんな気がする。だから落ち着いて暮らすことができないのかもしれない。』

 そのことに関して、ザッドはそう綴っていた。

 だが「幼い子供を連れた旅人」というのは非常に目立ち記憶に残るようで、ザッドも無事情報を手に入れたら、次の街へと追いかけていった。時に情報が得られない場合もあったが、それでも先へと進むと、また情報が手に入ったようだ。

『周りから見ると、二人は親子に見えるらしかった。それも仕方がないだろう、妹もまだ幼い。叔母のことを母親だと認識し始めているかもしれない。そして俺のことも、忘れているかもしれない。それでも、俺は諦めない。もう一度、妹に会うつもりだ。』

 ザッドの旅は、順調だった。最初のうちは、旅に慣れずに、物々交換の交渉がうまくいかなかったり、星油の残量管理がうまくいかなかったりと、苦労している様子が綴られていた。それでも行く先で無事に二人の情報を得られていた。手がかりがなく、無謀かと思われた旅だったが、奇跡的にも二人の情報はザッドの元に集まっていたのだ。それこそ、ザッドの勇気を祝福するかのように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る