第一話(02)
* * *
歩き始めて、どれくらいが経っただろうか。真っ白だった星油ランタンの光が、黄色がかってきた。夕方、だろうか。太陽の色が、月の色に近づきつつある。もっとも、エピは太陽も月も、星も見たことがないけれども。絵でしか見たことがない。
もう少し歩いたら、そこで一晩過ごそうとエピは考えていた。星油ランタンの夜の光は、昼に比べて弱い。その光のまま歩けば『暗闇』の餌食になりかねない。夜の間は、その場にとどまり、焚き火を起こして朝まで過ごすのが一番安全だ。
そう考えながら歩いていると、何もなかった先に、白くて細い、棒状の何かが転がっていることに気が付いた。ぼんやりと、ランタンの光がそれを照らし出す。
思わず立ち止まる。奇妙だ。暗闇だけの荒野には、基本的に何もない。『暗闇』が全てを呑み込んでしまうからだ。残っていると考えられるのは、小さな瓦礫や石ぐらい。だが、白いそれはどうも違うように思える。少し早足で、進む。
けれどもはっとして、立ち止まった。
進めば、ランタンの明かりがはっきりとその白い何かを照らす。その周り、その先も。
白い何かは、ほかにも転がっていた。細かいものもある。どこかで見たことがあるような、ないような形をしている何か。ぼろ切れを纏っている。あわせて、ボールが一つ転がっていた。同じく白色だ。穴が二つ開いていて、こちらを見ていた――眼孔だ。真っ黒な、眼孔。これは、頭蓋骨。
人骨が落ちていた。一人分の、骨。
怖い、とは思わなかったが、しばらくエピは動けなくなってしまった。闇を湛えた眼孔から、目が離せなくなってしまって。やがて、吸い寄せられるようにゆっくりと近づいて、しゃがみ込んで、エピはまじまじと骨を見つめた。
人の骨を見るのは初めてだった。それまでは、骨というのはつるつるしているものだろうと思っていたが、実際はざらざらしていそうだった。触る勇気はないため、答えはわからないが。長い間、ここにあったのだろうか。運よく『暗闇』に呑まれることなく。
白骨の横に、ぼろぼろのリュックと古びた星油ランタンがあることに気付いたのは、時間が大分経ってからだった。手にしていたランタンの光が、すっかり夜の色になっていた。
黄色がかった明かりに照らされる汚れたリュック。それから火の灯っていない星油ランタン。つまりこの人物は、生前旅人だった、ということか。そして――その道中で、力尽きてしまった。
旅人であるならば――エピはそっと、ぼろぼろのリュックに手を伸ばす。
旅人であるならば、必ず持っているものがあるはずだ。
リュックの中には、旅の荷物が色々と詰まっていた。物々交換に使う予定だったのだろう、特産品らしき織物や植物の種、そして書物も。まだ中に残りがある星油ボトルも。開けてみると、十分な量の星油が残っている。星油がなくなったから、進めなくなって力尽きたわけではないらしい。そもそも、光がなくなれば、まず『暗闇』に襲われる。そうなれば骨も荷物も残らないはずだ。
見あたらなかったのは、食料と水だった。死因がわかったような気がした。
だが、どうしてそうなってしまったのか、わかるものも見あたらない。旅人ならば、必ずといっていいほど持っているはずのもの。
それは、リュックの奥底に入っていた。何かがある、と思って引っ張り出してみると、布で包まれた四角い何かが出てきた。これに違いない、とエピは直感でわかった。大切そうに、包まれていたから。
布を解いてみると、その布は薄い上着だった。そして包まれていたのは旅の手記。旅人が必ず持つもの。自身がどのように暗闇の中を歩いてきたのか記録し、また必要になれば書物の一つとして交換に出すもの。
手記を手にして、エピが再び骨を見れば、あの骸骨がじっとこちらを見つめていた。先程と全く変わらない、真っ黒な眼孔。しかしエピの星油ランタンが、その黒色を照らす。
やがてエピは、荷物を下ろせば、焚き火の準備を始めた。街から持ってきた枝や葉を取り出し、あわせて焚き火専用に作られた小さな固形燃料を取り出しマッチで火を点ければ、少しの燃料でも明るく、そして朝になるまで十分に燃えてくれる焚火が出来上がる。
炎は星油ランタンよりも明るい。しかしだからといってランタンの火を消すわけにはいかない。旅の間は、ずっと灯しておかなくてはいけない。『暗闇』が嫌うのは、星油やその光――砕けて地上に落ちた太陽と月の欠片と星が、液体になって一度地中に染み込み、だが地表に噴き出してきたものと言われる液体や、それを燃料にした火だけ。星油の光が消えてしまえば、このただの焚き火も、そして自分も『暗闇』に呑まれてしまう。
けれどもこの骨の持ち主は違った。死んでもなお、星油の光が消えてもなお『暗闇』に呑まれずに済んだ。そしてエピは、骨に出会うことができたのだ。
野宿する準備ができて、エピは地面に座り込んだ。一度置いた手記に、再び手を伸ばす。
この手記を読まなければいけない気がした。この人のここまでの道のりを、旅をしていた目的を、知らなくてはいけないような気がした。
一ページ目を開くと、そこに綴られた黒い文字が、光に照らされる。
『旅人の手記を読むことは多かったが、こうして書くことになるとは思わなかった。』
そんな一文から、始まっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます