第11話

115. 絵本と魔女

 時間を置くのは悪手だとわかっていた。


 それでもそうしなければならなかったのは、歓迎会の性質上、主役であるクローディア王女と、ホスト役も担っているフィリップ王子を、いつまでも拘束するわけにはいかなかったからだ。


 衆人環視の中で目立つことをしてしまった我々の話題は、出席者の話の種になっただろう。前世現代のような情報化社会ではない。その話が出席した者の他にまで広まるには時間がかかるだろうが、その分、伝聞に伴い、尾ひれやはひれは付きやすい。


 可能な限り速やかに手を打ちたい、というのが、そういうことを心配する、僕の本当のところ、ではあるのだが、今回の件に関しては、相手が相手、状況が状況だけに、早まった真似もできない。


 強い権限を持たされた外国の要人なのだ、クローディア王女は。


 まんじりともせず夜を明かした僕は、結局は、焦らずじっくり、状況を見守るべきだ、という結論に達していた。


 クローディア王女と僕が結婚して困るのは、何も僕ばかりではない。

 アレオン王国政府首脳とその関係者は、皆が同意見のはずだ。

 であれば、大人たちが手をこまねいているはずがない。

 その出方を見てからでも、いいと思い至ったのだ。



 馴染みの古書店を訪れたのは、翌日、午前中の早い時間帯。

 商店街の一角にあるこの店は、自宅からも、学園の寮からも訪れやすい場所にあった。


 この店をよく訪れるようになったのは、この春、前世の記憶を取り戻して以降のことだ。


 ヴィルジニーとの関係にばかり、かまけていたわけではない。

 僕は僕で、僕自身に起きた現象のことを、気にしていた。


 ゲームの世界に転生した理由、そのロジックを、知りたいと思っていた。


 当てがあったわけではない。


 常識的に考えれば、ゲームの世界、すなわち、誰か作家によって創造された創作フィクションの世界、などというものが、現実に存在するはずがない。パラレルワールド、などと呼ばれるような平行世界、異世界が存在しない、などと断言するつもりはないが、それでも、その異世界が、僕の世界で創作物に描かれた世界とまったく同一のものとして存在する、というのは、素直に受け入れがたい。かと言って、ゲームの世界に入り込んでしまった、などというのは、もっとありえない。


 それでも、この世界は、僕にとっては現実なのだ。


 ならば、僕が僕として、前世のものと思われる記憶を持ち、この世界にいる、そのことには、説明可能な理由、論理ロジックがあるのではないか、と思えるのだ。


 おそらく、この現象には、なんらかの意図、何者かの意思が、介在している。

 そう考えるのが、自然だと思える。

 偶然が偶然を呼んだだけで、このようなことが起こるとは思えない。


 それに、僕のためだけに、この世界これほどのモノがあるのだとも、考えにくい。


 僕は前世でだって、決して特別な人間ではなかったのだ。


 この世界に、僕以外にも、“転生者”がいて、おかしくない――むしろ、当然いるのだと考えるべきだ……


 そういうことを考えていたときだった、この古書店を見つけたのは。


 古今東西、ありとあらゆる種類の本を扱うという触れ込みのこの店を見つけた時、もしかしたら、手がかりはこういうところで見つかるのかもしれない、と思いついた。


 僕のような存在が他にいれば……転生した経験などを、本に記したりする人間が、いたかもしれない。本人ではなくても、そういう人物に接した人間が、書き残したかもしれない。


 僕自身が、ゲームのシナリオがはじまる時期よりずっと前から、この世界にいるのだ。転生した人間が、ゲームシナリオとは関係ない人間だったり、ずっと昔に生きていたということだって、考えられる。


 まあ、望み薄だろうけど――僕の行動ははっきり言って、妖精やUFOを探すようなものに等しい。いるかもしれない、いないと証明できない、とは言ってみせても、何の当ても手がかりもなしに、見つけられるはずがない。


 それでも、まったく手がかりがない故に、思いついたことは試したかったのだ。



 これまでも、幾度となく店を訪れていた。しかし、意味がありそうなもの、期待しているようなものを見つけたことは、一度たりともなかった。

 だから、その朝、その店を訪れたのは、何かを期待してのことではない。ある種の現実逃避だった。


 僕の顔を見つけた初老の店主は、ニコリと微笑んだ。


「旦那が好きそうなもの、入ってますよ」


 本好きの店主には、もちろん僕の事情など話していなかったが、狭くはない店の棚に収まりきらず床にまで積んである膨大な本の中から目的のものを見つけ出すため、目当ての本については、伝えてあった。


 転生とか生まれ変わりに関する本があれば、どんなものでもいいから取っておいて欲しい、とお願いしていたのだ。


 店主がカウンターの後ろから取り出したのは、装丁は立派だが古びたハードカバーだった。

 差し出してくれたので遠慮なく受け取り、ページをめくる。


 中身は、よくある読み物、おとぎ話だった。

 死んでも蘇る男が何百年と旅をする話で……これは“転生”ではなく、“復活”だな。

 確かに嫌いではない……いや正直ちょっと面白そうだが、あいにく期待していたようなものではない。


 探していたようなものではないが、せっかく見つけてくれたのだし、金にも困ってない。こういう時は、その気持ちと行為に報いるべきだ。

 僕は笑顔を浮かべて礼を言うと、金額を訊ねて財布を取り出した。


 支払いをした、その時だ。カウンターの前に雑多に積んであった本の上に、を見つけたのは。


 子供向けの絵本だった。懐かしい。僕も幼い頃に読んだことがある。両親は本が好きな人で、物心ついたときには、家には本が溢れていた。これもいつのころからか本棚にあった絵本で――


 そこまで考えて、これは前世の記憶だ、と思いついた。

 なぜその絵本を見て前世の、それも幼少期の記憶など思い出したのか――すぐにはわからなかったが、その絵本を手にとって、僕はようやく、理由に思い至った。


 その絵本は、日本語で――で、書かれていたのだ。


 信じられない思いで、僕はその本をひっくり返した。裏表紙には商品管理用バーコードこそなかったが、出版社(もちろんこの世界には存在しない)の表記はあった。これはまるで――


「それ、読めるんですか?」

「――えっ?」


 店主に声を掛けられ、僕は我に返った。


 店主は顎で、僕の持っていた本を指し示す。僕はなんと言っていいのかわからず、首を傾げた。

 その僕の反応を、どう受け取ったのか、店主は言った。


「たまにあるんですよ、そういう、どこのものかわからない字で書かれた本が。わたしも世界中の言葉がわかるってわけじゃありませんが、字を見ればどのあたりの国で書かれたものかぐらいはわかるつもりなんですけどね」


 僕が知っている限りでも、日本語が使われている書物を見るのは、はじめてだ。


「ご主人、これ――」

「ああ、すいませんね、それ、魔女さんの頼まれものなんです」


 店主が口にした単語に、僕は片眉を歪めた。


「魔女?」


 聞き返した僕に、店主は肩をすくめる。


「そういうふうに呼ばれているお客さんがいるんですよ。なんでそんな妙なあだ名なのかは、知りませんけどね」

「そう呼ばれてる……お客さん?」

「ええ。詳しいことはわかりませんが、都を出て西の、山の中に住んでるって話で。それみたいに読めない字で書かれた本があったら、引き取るから取り置きしてくれって、頼まれてるんですよ」


 それから、店主はカウンターに肘をついて、僕が持っていたままだった絵本を眺めた。


「もしかしたら、魔女さんは読めるのかな」


 なんだこれは――僕は、手に持ったまま離せない、その絵本に目を落とした。


 これまでにこの世界では一度も出会ったことがない、前世の言葉で書かれた本。

 そして、その字で書かれた本を探しているらしい、魔女と呼ばれる人物。


 魔女――その人物は、呼ばれ方の通りの魔女、魔法使い、というわけではないのだろう。この世界に魔法の類はない。世界観は異世界ファンタジーだが、超常現象が認知されている様子はないのだ。実際にこれまでだって、魔法やモンスターは創作物の中にしか出てこなかったし――


 魔法がない? 本当に?


 僕は、絵本の表紙に書かれた文字列を目で追いながら、考えた。

 妖精やUFOのように、魔法やモンスターについても、本当にない、とは、言い切れないのではないか。

 この世界がなんなのか、どういうものなのか、僕はまだ、知らないのだ。


 だが、その魔女なる人物は?

 もしかしたら、僕が知らないことを、知っているのではないか?


 そうではなかったとしても、もしも店主が言うように、その人物も、この字が読めるのだとしたら……

 僕と同じ、転生者ということだって、ありえる?

 魔女、などと呼ばれているのも、そういう、前世の知識がある故、だとしたら、説明はつく。


 いや――想像するだけだったら、ありとあらゆる可能性があり得るのだ。

 これはどうしても、確かめる必要が、ある。


「ご主人、その、魔女という人は――」


 しかし、僕が質問を最後まで口にする前に、店の入口から、勢い良く飛び込んできた人物がいた。

 その剣幕に、驚いて顔を向けると、そこにいたのはメイド服の女性――我がルージュリー家の若きハウスメイド、ブリジットだった。


「すっ……ステファン様っ」


 走ってきたのだろう、息せき切らして、彼女は言った。


「大変です……お早く、お屋敷にお戻りください……!」


 メイドを走らせるとは、相当の重大事だろう。のっぴきならない事態が起きたのだ、と思う。しかし――


 僕は手にしていた絵本をチラリと見たが、結局は、仕方ないと諦め、その本を元あった山の上に置いた。

 慌てなくても、逃げはしないだろう。魔女なる人物について聞くのは、また今度だ。


 買い取った本の方を手にすると店主に短く礼を言い、膝に手をついたブリジットのそばへ駆け寄った。


「どうしました?」


 ブリジットはぜえぜえと息をしながら、答えた。


「お客様です……クローディア・プレスコット王女殿下が、お見えになられています……!」


 僕は盛大に顔をしかめた。


「は? なに? ウチに? ウチの屋敷にか?」


 悪い冗談だと思ったが、胸を押さえながら頷くブリジットは、とても冗談を言っているようには、見えない。

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