31. 悪役令嬢の性根
ヴィルジニーは、店の外に立っていた。
通りを左、そして右へと、視線を巡らせ、それから顔だけで僕を振り返った。
「馬車は? どこです?」
不機嫌そうに、言う。
「向こうの広場に待たせてあります。帰るころになったら、リオネルに呼びに行ってもらう段取りでした」
「では、呼んできなさい」
悪役令嬢の物言いに、僕はため息をついて、サンチュロン革細工店の扉を振り返った。
リオネルは、まだ出てこない。
「ヴィルジニー、どういうおつもりか」
チェバル通りは、行き交う人はそれなりにいるが、場違いに貴族然としたヴィルジニー、そしてやけに小奇麗な僕を、彼らは遠巻きに視線を投げかけることはあっても、近づいては来ない。あえて避けて通っている様子だ。貴族が一般市民にむやみに近づかないように、彼らもまた、貴族と余計な関わりを持ちたくないのだろう。
「つもりもなにも」
ヴィルジニーはようやく、半身だけではあるが、振り返った。
「事情はわかりました。もう用はないでしょう?」
「えっ……しかし」
僕はサンチュロン家を指し示した。
「セリーズは、あのまま? 放っておいて?」
僕が言うと、ヴィルジニーは怪訝な顔をしてみせる。
「王子には、調べて報告する、と申し上げました。それ以上のことをする必要、ございますか?」
確かに、ヴィルジニーの言うとおりではあるが、しかしそれは、事情がわからない状態で、解決を約束などできなかったからだ。
「それに、よく考えてみれば」
ヴィルジニーは再び、広げた扇子で口元を隠した。
「セリーズの成績低下は……
僕からは彼女の表情全ては伺えないが、その目には冷笑が浮かんでいるのが見て取れた。
「あの者が学園からいなくなってくれれば、むしろせいせいする、というものです。所詮、平民には、王立学園で学ぶ資格などない……学業を修めるには、ただ成績が優秀、というだけではなく、安心してそれに打ち込める、そういう環境を持っていることも大事なのですよ」
扇子がずれて、口元の蔑んだ笑みが覗く。
「あの者が自分の事情で学業を修められない、となれば、それは王子殿下や、国王陛下の責任ではございません。目障りな特待生を何一つ手を下すことなく、また何の憂いもなく、学園から追い出せる。この状況は、
くそっ! そうだった。こいつ性根は本当にただの悪役令嬢だった!
確かに、ヴィルジニー個人にとっては、セリーズの成績や動向など、関係がない。いま現在、彼女がセリーズの面倒をまあまあ見てやっているのは、王子との関係をより深めるためには、そのほうが都合が良さそうだからだ。セリーズがいなかったらいなかったで、別のプランを模索するだけだ。
むしろ彼女は、なにかと目障りなセリーズがいなければ、その方が心穏やかに学園生活を送れると、そう思ってさえいるのだ。
しかし、僕には、それではダメだ。
僕がヴィルジニーを手に入れるためには、セリーズには、フィリップ王子を攻略してもらう必要がある。セリーズが学園を離れるようなことになれば、それはより一層、困難になる。
成績が低下している、といっても、上位には違いないから、簡単に退学、放校というようなことにはならないだろうが、成績低下を理由に奨学金を打ち切られでもしたら、サンチュロン家がセリーズの学費や生活費を賄うのは、不可能だろう。不可避的に自主退学ということになる。
それだけは、避けなければならない。
「まあ……そう、ですね、そういう考え方もできましょう」
僕は動揺をなんとか押し殺して、言った。
「確かにヴィルジニー、
「…………は?」
心外そうに目元を歪ませた悪役令嬢に、僕は続けた。
「王子は、ヴィルジニー、貴女が問題意識を共有してくれている、と考えておられます。その貴女が、“問題”を理解し、それを報告した上で、しかし解決策のひとつも考えていない、となると――気落ちされるでしょうね、きっと」
真顔になったヴィルジニーは、その口元を扇子で隠し直し、考え込むように視線をそらした。
「目的を思い出してください。王子に感心され、褒めていただきたいのでしょう? このままでは、ねぎらいの言葉どころか、下手をすれば呆れさせて終わり、ですよ」
ヴィルジニーは、音を立てて扇子を閉じると、僕を睨みつけた。
「そこまでおっしゃられるのなら……ステファン、
今度は、言葉を失うのは僕の方。
正直言って、解決策など、なにも思いついていなかった。
結局のところ、最大の問題は、サンチュロン家の経済状況だ。十分にして安定した収入があれば、定休日を設けることもできるだろうし、セリーズも安心して学業に励めるだろう。
金、といえば貴族の得意分野と思われるかもしれない。しかし、学生の身分である僕が自由に使える現金などたかが知れているし、仮にお金があったとしても、単純に施しをする、というわけにはいかない。寄付の類はやはり貴族の義務ではあるが、公平にする必要がある。この町全体にそのようなことをする、などというのは、伯爵家でも非現実的だ。
なにか、金を出す、大義名分があればいいのだが。
そのころになってようやく、リオネルが店から出てくる。
視線を向けると、
「簡単にではありますが、事情を説明しておきました」
と言う。
そういえばセリーズは、彼のことを「リオネル様」と呼んでいたが、二人が親しくなったという話は聞いていない。主人公と攻略対象という間柄なのだから、その関係性の進行度は確かめておく必要がある。
あとで聞いておこう、と思ったところに、リオネルは「それにしても」と続けた。
「このようなところに、これほどの技術を持った職人がいるとは、まったく驚きました。あれほどの品なら、もう少し繁盛していても良さそうなものですがね」
「……なに?」
怪訝な顔をした僕に、リオネルは持っていた手提げ袋を掲げた。
「ちょうど、新しいベルトがほしいと思っていたところでしてね。買ってしまいました」
彼が取り出してみせたのは、
「表面の仕上げもですが、このステッチ、大変几帳面で、職人のこだわりを感じますね。これほどの仕事ができる人間は、そうそういませんよ」
そういうことか……
言われてみれば、ヴィルジニーもリオネルも、店の商品をやけに気にしていた。騎士としての教育を施され、武具や馬具で多用される革製品の目利きができるリオネルはもちろん、ヴィルジニーも目が肥えた上流貴族。二人共、店の品の良さに気づいていたのだ。
ヴィルジニーを振り返ると、再び扇子で口元を隠した彼女は、わかりやすく視線をそらした。
「すでに思いついているのでは? “解決策”を」
その表情から察した僕が言うと、ヴィルジニーは目だけを動かしこちらを見たが、またすぐに逸らした。
「どうして、
「理由なら、すでに申し上げたと思いますがね。貴女がそれで良いとおっしゃるのなら、放っておけばよろしい」
僕とヴィルジニーのやりとりを見ていたリオネルは、ヴィルジニーがそっぽを向いたのを見て、僕に向かって口を開いた。
「父に相談してみましょう。我が親族は騎士家ゆえ、武具や馬具で革製品を多く使います。この店は、ヴュイヤール家お抱えの革職人と同等……いえ、それ以上の品質かもしれません。いくらかは仕事を発注することができると思います」
僕は返事はせず、再びヴィルジニーの方を向いた。
彼女は僕の視線に気づいたが、ふいっと横を向く。
「早く、馬車を呼んできてちょうだい」
「ヴィルジニー様、いま言ったことをやれば、評価されるのはリオネルです。ですが、貴女がやれば――」
ヴィルジニーは僕、そしてリオネルを順番に睨みつけた。
「
「そうではありません。ご自宅、デジール公爵家に、腕の良い革職人を紹介するのです」
ヴィルジニーは不満そうに目を細め、しばらく僕を睨みつけていたが、やがて、リオネルに向き直って、畳んだ扇子を突き出した。
「早く馬車をお呼びなさい!」
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